『ファラオの密室』著者がエジプトの発掘現場に行ってみた 〜 白川尚史のエジプト旅行記 #02
この記事は、小説家の白川尚史が遺跡発掘の見学でエジプトを訪れた旅行記の二日目です。
前回の記事はこちら。
二日目:カイロの朝、発掘現場、そして、ギザの大ピラミッド
初日はカイロに着いて早々に寝てしまったため、私は翌朝四時に目を覚ました。おおよそこの旅を通して、夕飯は取らず早めに床に入り、夜明け前に目を覚ましていた。
朝食は六時半からと聞いていたので、本を読んで過ごす。そして、六時半を少し過ぎたところで朝食へ向かった。
いきなり話が逸れるのだが、マリオット系列のホテルでは、プラチナエリートというステータスがあり、これが大層便利である。
特典は色々あるが、やはり無料の朝食と、ラウンジ利用が特に助かる。それだけでなく、ステータスが高いとなにかと便宜を図ってもらえるので、初めて行く国でも安心感が増す。
これがあまりに快適なので、私は国内でも海外でも、レジャーでも出張でも、まずホテルはマリオット系列を探してしまうほどだ。チェックアウト前後など、中途半端に空いてしまった時間を快適に過ごすのに、ラウンジはとてもありがたい。(※リンクにアフィリエイトなどは一切ないです。念のため)
プラチナエリートで付与される朝食は、正確にいうとウェルカムギフトの一部という形なので、対応はホテルによってまちまちで、例えば旅の後半で訪れるマリオット・メナハウスでは滞在中ずっと朝食が無料になったが、舞浜のシェラトン・グランデ・トーキョーベイでは滞在中一回のみといったように、ホテルによって差異はある。
こうした特典の有無に関わらず、ラウンジに行けば朝食・昼食・夕食の時間に軽食が供されるのだが、これはホテルによっては争奪戦になるので、あまり当てにしすぎないほうがいいかもしれない。
シェラトン・カイロの朝食は、ラウンジで取る形式だった。パンとコーヒーを頂きながら、私はなにより眺望に感動した。
特に、ナイルに照り映える朝日は格別だった。
さて、朝食を済ませた後は、ホテルの一階でガイドの方と合流し、発掘現場へと向かった。
今回の旅では、Triways Travel Agency さんに旅程のほとんどをガイドして頂き、車も手配して頂いた。
大変細やかなサービスをしていただき、次回以降も(あれば)是非お願いしたいと考えている。
そして、初めてのエジプト観光で、旅行会社を頼ったのは本当に正解だった。
まず、ガイドの方の遺跡に関する知識は確かなもので、それなりに勉強したつもりだった私も、ただ見ていたら見過ごしてしまう点(例えば、ある壁画がどんな内容や光景を表しているかとか、それが後世に書き換えられた痕跡だとか、なぜこの部分は書き換えられて、そうでない部分は残されたのかとか、その他にも本当に色々)を数多く教えて頂いた。それに、疑問に思ったことはすぐに質問できる。遺跡のことを隅々まで知っている人と一緒に周るのは、ガイドブック片手になんとなく歩くのとは全く違う体験である。
そしてもう一点、これは遺跡によるのかもしれないが、ガイドがついていない人、特に日本人には、セールスの類(物を売ったり、ラクダに乗るのを勧めてきたり、写真を取ったり、チップを要求したり、意味もなく絡んだり)が頻繁に声をかけてくる。こちらは遺跡を見たいのに、率直に言って、非常に煩わしい。ただ、ガイドの方と一緒にいるときにはこうしたことはなかったので、やはり彼らも相手を選んでいるのだろう。なお、普通に観光している限り、暴力や窃盗など、いわゆる危険に類するものは感じなかった(夜に出歩いたりしたら危ないかもしれないが、私はすぐに寝ていたのでわからない)。
さらに、エジプトの遺跡や美術館は近くにあるように思えて、車での移動が結構多い。最近は高速道路が整備されたようで、道は快適であったが、それでも短くて十五分、長いと三十分以上の車移動が頻繁に発生する。こうした移動のたびに車を調達するのも無論できなくはないが、やはり一日車をチャーターしてもらった方が便利なのは間違いない。ガイドの方と一緒の車なら、移動時間でも次に見る遺跡や時代背景のレクチャーをしてもらえる。
というわけで、トライウェイズさんにお願いしたことで、本当にいい旅をすることができました。この場を借りてお礼を申し上げます。
さて、そんなわけで、発掘現場に向かったのだが、残念ながら発掘現場で見たものの詳細については、現状未発表の成果が含まれうるので、私の口から語るのは差し控えるべきだろう。
ただ、私がこの現場で強く意識したのは、遺跡そのものよりも、そこで見つかった人、すなわち棺や骸であった。それは、この遺跡が神殿ではなく、古代の墓であったことも関係しているだろう。
我々は普段、自らの死を意識していない。長距離の飛行機に乗る際には、もしかしたら落ちるかも…と不吉な想像をすることもあろうが、日本で月曜から金曜まで働いて、「毎朝、今日死ぬかもと思いながら出勤しました」という人は、ほとんどいないと思われる。
とはいえ、月並みな言葉だが、人はいつか死ぬ。それは一時間後かもしれないし、何十年かの猶予はあるかもしれない。だが、必ず、その時は来る。まさに、メメント・モリというやつだ。
この遺跡で、目の前に横たわっている人たちにも、はるか昔にその時がきた。そして彼らの遺骸は、数百年以上もの時を地中で過ごし、今発掘され、私自身の目の前にある。本人も、埋葬した者たちも、まさかそんなことは想像もしていないだろう。その歴史の壮大さ、そして、めぐり合わせの数奇さというものを感じた。
そんな感傷に浸っていたところで、SF作家であり、この前都知事選にも出ていた安野くんの言葉を思い出した。
彼は若かりし頃、十年くらい前だったかな、
「僕達が生きる未来では、寿命が尽きるよりも寿命が延びるスピードの方が早くなる。だから、人は永遠に生きることができるようになるし、その覚悟をしなければならない」
なんてことを言っていて(後のSF作家にふさわしい物言いで、昔から面白い人だった)、彼の大胆な仮説を否定するつもりは毛頭ないけど、でも私は自分が、いつかは死ぬことを確信している。
そして、自分が死んだ後も、世界は続いていくのだ。私の骨は地中に埋まり、千年、二千年とその上にものが積み上がり、やがて骨は塵になるのだろうけど。
それよりも私は、死ぬとき誰に囲まれているのか、そのときまでに何が遺せるのか、と自らに問い続けねばならないだろう。
様々な側面で、このエジプト旅行は、私にとって、死と向き合う旅となった。
さて、私の個人的感傷はこれくらいにして、調査をしている発掘隊に目を向けよう。発掘隊の皆さんは、現地の方とも連携し、歴史を明らかにする試みと精力的に向き合っていた。そこには、前回の記事にも書いたとおり、砂漠での発掘調査の危険さ、物理的な困難さがあり、一方で世界で初めて歴史的な発見をすることへの喜びや情熱というものは、なるほどここでしか味わえないものだな、と強く感じた。
自分の寄付をどのように活用頂いたかもご説明頂き、発掘の一助になっていることを考えると、寄付という選択をして本当によかった、と思えるものである。
そして最後に、埋葬されたミイラや人骨というものを直接目にするのは滅多にない体験で、ミステリー作家としてもいい経験になった…といえるのかもしれない。
さて、発掘現場を見学した後は、ジェセル王の階段ピラミッドなどを見た後、レストランで食事を取った。
エジプトでは屋外型のレストランや、街中でも、野良犬や野良猫が多いように感じた。ただ、あまり殺気立ってはおらず、レストランでの食べ残しなどをもらって生活しているようだ。だから人通りが多いところで見かけるのかもしれない。
とにかく暑いので、ほとんどの犬は日陰でだらりと寝そべっていた。
食事の後はギザに戻って大ピラミッド群を見たりしたのだが、観光日記になってもつまらないと思うので、詳細は省こうと思う。
それに、ピラミッドの雄大さについて言葉を尽くすことはできるが、実際に目の当たりにするのはやはり素晴らしい。興味を持った方は、是非実際に行ってみてほしいと思う。
エジプトでは、もちろん古代の遺跡や遺物にとても感動したのだが、道中で目にする現代のエジプトの町並みというものも、とても興味深かった。
ガイドの方の説明によれば、最近の政府の方針として、早期にインフラを整備したい、ということがあるらしい。
実際、街中を流れる川が、ゴミだらけだったのが今は綺麗になっていたりだとか、カイロを貫いて綺麗な高速道路がGEM(大エジプト博物館。めちゃくちゃ大きい。10月にオープンするらしい!)やギザのピラミッド群といった観光名所まで整備されたりだとかで、どんどん便利になっているようである。
一方で、近年はインフレが続き、国民の生活は逼迫しているそうだ。前回の記事で話したドライバーの方は、自分の家の家賃が六倍になったと嘆いていた。それは言い過ぎかもしれないが、実際、ここ三、四年で食料品などは優に二、三倍近い価格になっているようである。経済記事を読み漁ってみると、コロナ禍に加えて、ウクライナ戦争の影響による外貨不足と燃料価格の上昇などが重なり、インフレを招いたとの見方が強い。
エジプトを観光する上で、治安の問題はさほど感じず、エジプト自体は安定しているように見えるが、周辺地域に目を向ければ紛争も続いている。既に多くの難民も避難してきているようだ。
このような事情もあるなか、一方でエジプトの人口は日本に近く1.1億人程度、そして出生率は2.92人だそうだ。それに人口ピラミッドは、まさしくピラミッドの形をしており、すなわち若者の方が多く、そういう意味で今後の先行きは明るいように思えた。また、現職のシシ大統領は日本式教育を高く評価されているようで、"2016年2月の来日時に、安倍晋三首相と「エジプト・日本教育パートナーシップ(EJEP)」を締結し、保育園から大学まで、日本式教育の特徴を生かした包括的な協力を行うことで合意した" とのこと(引用:https://www.jica.go.jp/Resource/publication/mundi/1904/201904_03_01.html)。これは日本人学校ではなく、日本式の教育を行う現地の学校である。既に運営が始まっており、人気があるとも聞いた。
また、シシ大統領は、カイロの東に位置する幹線道路の一部を、故安倍晋三元首相にちなんで命名し、「シンゾー・アベ軸線道路」としている。
私は恥ずかしながら、今回エジプトを訪れるまで、現代におけるこうした両国のパートナーシップについて知らずに生きてきた。
こうしてエジプトを訪れてみて、エジプトももちろん色々な問題を抱えているものの、国民はバイタリティに溢れ、その将来は明るいのではないか、というような印象を受けた。
一方の日本では、少子高齢化と、出生率1.20 という現状が重くのしかかる。
他国を旅して、自国を相対化することで、自分のみならず国のためになにができるのかと、そう考えさせられるような一日であった。
つづく
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