それはついこのあいだ、ほんの百年すこしまえの物語
梨木香歩の『家守綺譚』を読んでいた。
これがもう、どんぴしゃだった。一話目の結びの言葉で、完全に魂を掌握された。なんて素敵な世界だと思った。読み進んでいくと、あたりまえだが残りのページが少なくなる。未読部分がどんどん薄くなっていく。それが残念でならない。いつまでもこの世界に続いていてほしい。いつまでもこの世界の中にいたい。。
でもそれは叶わぬ願い。
この物語の本質が transition である以上、たとえ物語が終わらなくても、時代は確実に変わってゆく。時は過ぎ、季節は移ろい、人の心もとりまく状況も変化する。人ならぬモノたちとの暮らしは、いつまでも続きはしない。
物語の舞台は京都の山科から滋賀の大津にかけてのあたりで、神戸の地震の後、僕らが被災者として一年近く避難生活をしていた、よく知ってるエリアだった。
蹴上を抜ける琵琶湖の疏水。
街道筋と、目の前に迫る山々。
景色が目に浮かぶ。が、それはたかだか10年前の風景。この本に描かれている100年前とはもちろん違う。違うのだが、でもどこかに、ああ成程と納得するなにかがある。人ならぬモノたちが人とともに暮らしていけそうな空気。
読み終わって、すぐさま読み返し、さらにまた読み直す。 何遍も何遍も読んでしまう。この世界がいとおしい。
梨木香歩は天才だろうか。
『村田エフェンディ滞土録』と併せてどうぞ。
(2005.11.5)
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