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無欲になりたい


承認欲求を捨てたい。
プライドを捨てたい。


本来私は、無欲な人間なのだと思う。


出世やブランドものには興味がない。
日々の幸せを積み重ねていきたいタイプ。


無欲、向上心がないとも言える。



でも、アメリカに来てからというもの
自分の欲---プライドの高さや承認欲求。

そういうものを感じてしんどくなることが多い。

自分にだってできる!とプライドだけ高くて中身が伴っていない自分。そんな醜さに直面して自己嫌悪…

そんな負のスパイラルです。



どうしてそんなことになったのか。

それはおそらく、アメリカに住んでいるというだけで親近感を抱いてしまうから。

そして知らず知らずのうちに比べてしまうから。


ご主人の帯同についてきているのに自身も英語がペラペラでフルタイム働いている奥さん。

自分の仕事でアメリカに来ているバリキャリウーマン。


異国の地で子育てを頑張っているお母さん。




日本にだって英語の得意な人はたくさんいるし、バリバリのキャリアウーマンもいる。


でも、日本にいるときはそんな人と自分を比べたことなんてなかった。
まるで別世界の人だと思っていたから。


私とは違う土俵で努力をしている人たちなんだから、比べようと思ったことなんてなかった。


なのに、今は比べてしまう。


「アメリカに住んでいる日本人女性」というだけで一括りにして比べてしまう。


そして、自分に自信をなくしてしまう。


なんなら会ったことのないSNS上の人までも
年齢が近いというだけで比較対象になってしまう。


客観的に聞いたらすごくおかしな話ですよね。

その人その人によって背景やライフプランは様々。

比べるのはお門違い。

分かっているはずなのに。


情緒が安定している時は承認欲求がなく、自分で自分を認めてあげられている。


情緒が安定している時は変なプライドもない。
「私ってこんなもん」ってありのままの私を受け入れられる。



幸せに暮らせているんだから、これ以上なにを求めるっていうのと思える。


誰かと比べようという気持ちすら起こらない。



少し不安定になると「自分がなにもできていない、このままじゃだめだ」何か生産性のあることを始めなければと焦る。


人と比べて「今のままじゃだめ!」と何かに駆られているときは、承認欲求やプライドが出てきている証拠。


プライドが原動力になることもあるだろうけど
私にとっては足枷も大きい気がする。



私の中から承認欲求が消えればもっと楽に生きられるのに。


そんな欲たちを完全に捨て切ってしまいたい。

「私は私」と割り切っていられる人間は強い。


そんな人が、私の憧れ。




「年収100万円の豊かな節約生活術」の著者、
山﨑寿人さんは、なんと東大卒。
その後も大企業に入社。


出世コースを捨てるなんて
「もったいない」とたくさん言われたらしい。


でも彼はそれを全く気にしていない。
なんてかっこいい生き方なんだろう。


私もこんなふうに自分を大切にして生きていきたい。


今の収入で何とかこの生活を続けてゆけるんだから、それ以上は望まない。望んだら罰が当たるよ――これが僕の偽らざる気持ちだ。



一方、世の中を見渡せば、僕などよりはるかにたくさん稼いでいながら苦しんでおられる方や、思うように社会的目標を達することができず悩んでいる若者たちの姿を多く目にもします。(中略)もしや見栄や体面とかに踊らされていませんか?


社会の常識や価値観なんて利用するもので、縛られたり、踊らされるものじゃない――少なくとも僕はそう思っています。もちろん社会の常識や価値観は尊重する。批判もしない。だが、自分がそれに従うかどうかは自分で決める。

年収100万円の豊かな節約生活術/山﨑寿人



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