【鈴】ラジオとワタシ
初めまして。SQ-SALON臨床部屋1期生の鈴木綾子です。
突然ですが……
私の23%はラジオで出来ています
食べ物は、体という目に見える外見を作っています。
それでは、目に見えない中身は何がつくっているのでしょうか?
それは見て聞いて感じてきたもの、すべてです。
(持って産まれた素質にくわえて)
今回のnoteは、その中身についてもっと具体的に深堀してみよう、という私的試みから生まれたものです。
ということで、いかにラジオが私の中身23%を占めるようになったのか。
「ラジオと私」しばしお付き合いくださいませ。
ラジオとの出会い~幼少期~
ラジオとの出会いは物心つく前から。もっと言うと母のお腹の中から。
母はラジオをBGMに家事をしていたため、必然的に私もラジオを聴きながら育ちました。
幼すぎてほとんど覚えていませんが、かすかに記憶に残っているのは「こども電話相談室」。子どもたちがラジオ局に電話をかけ、それぞれの疑問をぶつけます。ラジオの向こうにいる専門家たちがそれに応える番組です。
その当時の私は、番組内容よりも「細かなツマミ調節によって完璧なチューニングをし、クリアな音を出す」ことに喜びを感じており、ほぼ毎日聴いていたのにも関わらず自分が電話することはついにありませんでした。
↑本筋には関係ありませんが、面白かったので。子供のまっすぐな質問が愛おしく、時にどんなネタよりも秀逸です。
エンタメ枯渇時代~小中学生~
我が家は視力低下を阻止するという理由でエンタメ戒厳令が定められておりました。(今思うと両親による経費削減目的の策略です)
【テレビ1日30分、ゲーム禁止、漫画は月1冊】*話し合い、交渉可
上は当時のエンタメ戒厳令。交渉の余地ありとはいえ、今見てもかなり厳しめですね。
テレビに関しては、「今日の30分で何を観るのか」が原因で幾度となく兄弟間の争いが起こりました。父のプロ野球観戦によって金田一少年の事件簿が観れず泣いた日もありました。
ゲームボーイ、スーファミ、ロクヨン、プレステ。ミル姉さん、天才てれびくん、セーラームーン、たまごっち。などなど。
時代を席巻したエンタメたちと触れ合う機会は極端に少なく、完全に私は「エンタメ枯渇状態」に陥っていました。
そんな中、耳で聴くラジオは「視力低下を招かない」という理屈で、なんと制限なし。自分の部屋とCDラジカセを手に入れた中学生の私は、夜な夜な布団をかぶって深夜ラジオを聴くようになりました。
エンタメ枯渇状態は、ラジオにときめく私をつくっていったのです。
枯渇はときめきの元、なのです。
その当時、良く聴いていたのはニッポン放送の「オールナイトニッポン」(オールナイトニッポンは今も続く長寿番組。旬の俳優、歌手、芸人が深夜枠で毎週番組を持っています)
ファンだった「ゆず」「TMレボリューション」の放送日はワクワクドキドキソワソワ。深夜帯になると放送できる範囲内で下ネタが増えるため、私はここで下ネタの読解力(聴解力?)が鍛えられました。
就寝時間もとっくに過ぎてるし、なんだかいけないことしてる気分のため、電気を消してボリュームを絞ったラジカセを抱え、布団をかぶりコソコソ。あぁ……楽しかったなぁ。
J-WAVEとの出会い~中高生~
ラジオ好きな人は、「お気に入りの放送局と番組」というものがあります。ふとある日、偶然耳に入った番組がきっかけで、長い長いお付き合いになるというのがラジオなのだと思います。人との出会いとおんなじです。
ニッポン放送やTBSラジオ派だった母が、いつの頃からか車の中でJ-WAVEの「GROOVE LINE」という夕方の帯番組を聴き始めました。(今年で番組は21年目!)
*J-WAVEさん 番組紹介から写真を拝借致しました
メインナビゲーターのピストン西沢さんは破天荒な方で、高田純次さんや寅さんに通ずる「てきとう・無責任さ」が最大の魅力です。聴いている人に「真面目に生きるのはやめよう」と思わせる力があります。(あくまで個人的見解)
また、絶妙な間合いでピストンさんに転ばされるアシスタント秀島史香さんも素晴らしく魅力的。2人の会話で遊ぶ感じがとても好きで、この出会いをきっかけに私はJ-WAVEにハマっていきました。
その当時の私は、中学~高校の思春期真っただ中。心身ともに変化していく時期に自分を持て余し気味でしたが、なかなかそれを表現できずモヤモヤと過ごしていた時期でした。
家族もそれぞれが忙しくなり、食事を済ましたらすぐに個々の部屋にこもり、一緒に他愛のないことで笑い合う時間も少なくなっていました。身の内につのるモヤモヤを感じるままに話すことが出来ず、心のカオスは深まるばかりでした。
(表現すると大げさになりますが、大なり小なり思春期には内なるカオスがあるものです)
そんな時に出会った「GROOVE LINE」
ピストンさんの適当さでお気楽な気分になり、ただただ番組を聴いて笑いたいときに好きに笑えました。番組聴きながら心が軽くなった日が沢山あったなぁと思います。
ただただ、楽しく自由な気持ちで過ごしたかったんだろうなぁ。
ラジオとの再会~社会人~
さてその後、大学~20代前半の「ラジオ空白期間」をへて、20代後半で鍼灸学校に通い始めたころから、再びラジオとの付き合いが戻ってきました。
晴れて国家試験に合格し、鍼灸師として社会人再スタートした29歳。
就職した都内の鍼灸院は、1日14時間勤務と超ハード。休日も研修、事務作業、課題レポートで余白が無い毎日が続き、再び私は「エンタメ枯渇状態」になっていました。
自分が担当する患者さんが、どんな世界で生きていて何を感じているのかを知りたいので、さまざまなジャンルに興味関心のアンテナが反応する自分でいたいと思っていました。
その点でラジオは最適だったのです。(テレビやネットはあっという間に時間が過ぎてしまいますから)
聴きながら家事ができ、ランダムな情報が入ってくるラジオは私の生活リズムと求めていることにぴったりで、週末や夜のラジオ生活が習慣になっていきました。
それまでのラジオの存在は、トークや音楽を愉しむエンタメ要素の強かったのですが、この頃からそれが徐々に変化していきました。
これはJ-WAVEのラジオ局としての姿勢によるものが大きいです。
J-WAVEは、音楽を核にTUNE INTO THE FUTUREというテーマで「新しい働き方、新しい生き方、新しい暮らし方」に焦点をあてた番組展開をし、担当するパーソナリティもさまざまなジャンルで活躍する人が登場します。
4~5年前の私は、J-WAVEの深夜帯で取り上げられるテーマ(AI、IOT、100年時代など)について繰り返し聴くうちに、なんだか無性に心に引っ掛かかり、興味を持つようにありました。
そして、いつのころからか自然と自分の生活や人生と、世界の出来事がつながっていると感じる様になりました。
恥ずかしながら、このことに30歳過ぎて初めて体感をもって気づいたのです。
そうなってくるとオールナイトニッポンを聴いていた時とはまた別のワクワクドキドキソワソワを感じる様になりました。それは、不安感や危機感、好奇心、期待感が混じった感覚でした。
「この生活、生き方、この働き方でいいのだろうか」
と徐々に自分の働き方、生き方について考えを巡らせるようになりました
学生時代を体育会系で過ごし、「石の上にも三年居なければいけない」「技術は見て盗むべきものだ」とこり固まっていた私の昭和的価値観が、新しい価値観との出会いによって徐々に変化していったのです。
ラジオとこれからの私
詳細は端折りますが、1年半ほどかけて模索調整したのちに鍼灸院を辞めました。
フルタイムで一つの職場に勤めるのでなく、学びの場と複数の職場をかけ持つスタイルを実験的に始めるに至りました。
1年たった今も、働き方、生き方、暮らし方の模索は続いております。
幼少期、思春期、そして今。
当たり前のようにそばにあったラジオはちゃんと振り返ってみると、大きな存在になっていました。
いつも手の届くところにあり、触れると何か発見や楽しみや癒しや気づきがあり、日常とその先をちょっと豊かにしてくれるラジオ。
なにより、ラジオは世界を広げてくれました。
前より広がった世界でどう歩むかは、これからの私の行動次第ですが
知らないより、知ってよかった。私は、知った上で、選びたい。
これは私の大切な価値観になりました。
この想いは鍼灸や東洋医学につうじています。
(今回書いていて発見しました)
健康に生きるためには、医学的な専門知識を別に知らなくてもいいんです。ただ、自分を感じることが出来ればいい。そして、必要な調整を日常の中でしていければいいのです。「いま、私は休むことが必要なんだ」とちゃんとその時々で必要なことを感じて、自分で行動できることが、本当に大切なことだと思います。
ただ、簡単なようで、これが結構難しいことなのです。
自分の体調変化を感じ取るには、普段から体に意識を向ける習慣を持つ必要があります。
また、組織の中で働いている場合、必要な時に休むためにある程度の能力と勇気と決断力と周囲との良好な関係性が必要になります。
ちょっと話がそれましたが…
私がいいたいことは何かというと、私がラジオによって世の中の変化と自分の人生のつながりを感じたように、
東洋医学や鍼灸の考え方によって、心身と生活のつながりを沢山の人に感じてほしい
のです。
それは、きっと良い選択につながります。
(東洋医学を選んでほしい、という意味ではなく、自分のことを理解したうえでの最適な選択ができる、という意味です)
これからの時代、鍼灸や東洋医学からの心身の捉え方は、生きる知恵になると私は確信しています。時代がほうっておかないはず!
いつか、鍼灸師がJ-WAVEのナビゲータになる日が来るでしょう。(J-WAVEさん、ぜひ前向きにご検討ください。)
ということで、終わり方が分からなくなったため偉そうに宣言して「ラジオと私」を終わりにします。笑
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
みなさんの中身、何でできていますか?
書いた人
鈴木 綾子(すーさん)
SQ-SALON 1-1 臨床部屋所属。
つくば生まれ、つくば育ち。大学時代は別府と京都で暮らし、東京を経て、今は横浜に居ます。前職コーヒー屋さん。チャームポイントはメガネとおでこの33歳です。鍼灸師になって3年半は鍼灸院につとめ、1年半前から企業での施術、介護施設での施術、個人サロンでの施術と働く現場を開拓しています。2年前から東洋医学のベース「中医学」をコツコツ勉強中。