プレイヤーとしてのサッカー経験 〜あの努力と挫折があって、今がある!〜【上司×新入社員対談】
スカパー!サッカーチームの社員のうち、今年の4月からサッカーチームのチーム長になったKさんと、今年の4月に入社した新入社員のSくんの上司×新入社員対談の第2弾をお届けします。
実に四半世紀の年齢差がある二人。今回は、自身のサッカープレイ経験について語り合ってもらいました。
▼第1弾はこちら。
サッカー、始めたのも続けたのも漫画がきっかけに
Sくん「Kさんはサッカーはやられていたんですか?」
Kさん「やっていたけど、体育会系的にはやっていなくて、サッカー少年団としてやっていたり、大学生の時にサークルでやっていたりしたね。最初のきっかけは『キャプテン翼』が小学生の頃に大流行して、翼くんに憧れたっていうのが大きくて(笑) でもやっぱり、高校3年から浪人生の時に、当時WOWOWで生中継をしていたイタリアのセリエAの試合を見てからは、プレイも好きだけどどうしても見る方にはまりすぎちゃって。結果、そこからサッカーの世界観すべてを好きになって追いかける日々が始まったっていう。だから、プレイヤーとしては途中で止まってるね(笑)」
Sくん「自分は、小学校の時は本当にジュニアユースに行きたくて。マリノスとかフロンターレとか東京近郊のチームを小学校6年生の時に受けて、3つくらい受けたのかな。あれって途中で身体検査みたいなものがあるんですよ。親の身長体重書いたりとか」
Kさん「親の身長も書くんだ!」
Sくん「そうですね。どれぐらい伸びしろがあるかをみるんだと思います。しかも4次試験ぐらいまであって、結局FC東京はギリギリまで行ったんですけど、落ちてしまってからこれはもう無理だってなって。マジでサッカー選手になるにはジュニアユースからクラブの育成年代に所属して、トップチームに上がるか、各年代で上がれなかった人たちが全国大会に出場するような高校に入学してそこでプロにスカウトされるか、大学サッカーで結果を残しスカウトされるのが王道なので。
その後も市のトレセンや神奈川県のトレセンに入ったりもしたのですが、そこから強豪校に行くか、進学校に行くか迫られる時期が来て」
Kさん「うんうん」
Sくん「でも現実、サッカー選手はさすがにきついんじゃないかと。周りにもジュニアユースからユースに上がる友達もいて、やっぱりそういう人がサッカー選手になっていくんだろうなと思ったり…強豪校に入った時の練習会場との行き来とかも考えて、勉強がそこそこできて進学できるような高校選びをして、そこでも東京都の区別の選抜チームに選ばれたのでそこではしっかりとサッカーやっていましたね。
小学校の時に(ジュニアユースを)落ちた時は、家族ですごい落ち込んで。本当に、もうサッカーなんて辞めるってぐらい本当に落ち込んで。ボールも見たくない!みたいな」
Kさん「そうだったんだ。でも結果続けたわけだよね」
Sくん「はい。母親が誕生日の時に『Be BLUES!~青になれ~』っていうサッカー漫画を買ってきてくれて。そのストーリーが、小学校で大怪我をしてジュニアユースに上がれなかった子が中学サッカー部行って高校サッカー部行ってサッカー選手になるっていう漫画で、その主人公みたいに『まだいける!』って言われて(笑) まあ、(ジュニアユースに)行けないことは分かってたんですけど、そう言ってもらえて立ち直ったみたいな経験があります」
Kさん「選手にはなれなかったかもしれないけれど、『ボールも見たくない!』というところから今サッカーのお仕事しているのは、きっとその時のお母さんの計らいのおかげだね。Sくんは『Be BLUES!〜』、僕は『キャプテン翼』、どちらも漫画が転機になっているのも面白いね。そもそもメディアとかエンタメってそういう力があるし、そういうのに僕らもかかわっていけるのは嬉しいことだよね」
サッカーを始めたきっかけと、当時のサッカー事情
Kさん「そもそも、サッカーを始めたきっかけは何があったの?」
Sくん「自分がサッカーを始めたのは父親の影響で、一番最初にボール蹴り始めたのは年少さんのころ幼稚園のチームに入ったのが一番最初のきっかけですね。そこでサッカーにどハマりして。やりながら見るようになったっていう感じで、Jリーグとかも見るようになりました。バルセロナと出会ったのはどんなきっかけだったかちょっと忘れちゃったんですけど…メッシとかロナウジーニョとかがいた時代ですね」
Kさん「メッシか。あと誰がいた?」
Sくん「あとはイブラヒモヴィッチとか、エトーとか」
Kさん「あの辺りか」
Sくん「あの辺りです。真ん中にシャビ、イニエスタ、ブスケツが構えてて」
Kさん「ちょうどスペイン代表が2010年のW杯で優勝して、ユーロでも勝つんだよね。あの頃本当にスペインとバルセロナが…」
Sくん「急成長して行った時代ですね。メッシはヒーローでしたね…すごい選手だな、本当に世界一のプレーヤーになる人なんだな、って思って。自分と同じポジションだったのがシャビだったので、よくプレーを見てたのはシャビとかイニエスタとか中盤の選手でした。だからなりたい選手でいうとイニエスタとかシャビでしたけど、ヒーローはメッシでしたね」
Kさん「なるほど」
Sくん「メッシのデビュー戦の試合とかロナウジーニョが出場していて本当に衝撃が走ったっていうのは覚えてますね。そこからはずっとサッカー選手になる!って夢見て小学校も毎日学校の前に親の迎えの車が停まっていて、授業終わったらそのまま乗り込んで、練習に向かうみたいな(笑)」
Kさん「まじで?すごいね」
Sくん「土日は遠いところで遠征とか大会とかがあるんで、家族で行って。それを6年間繰り返して…という、サッカー漬けの小学生でした。今でも覚えているのは、みんな家族総出で応援しているので大会とかは親御さんとかが結構見てらっしゃるんですね。で、自分の息子にけっこう厳しいこと言うお父さんとかいるんですよ。でも自分の父親は結構寡黙な人で、全く(厳しく)言わない人だったんですけど、小学4年生のときのある試合だけ自分のプレーがダメで怒鳴られたことが1回だけあって。あれがすごい衝撃的で!それがすごい今でも記憶に残ってますね」
Kさん「ちなみにそれは何の指摘だったの?」
Sくん「ボランチだったんですけど、位置取りが悪かったっぽくて、全然マークが付けてなかったいたいで。位置が違う!みたいな(笑)」
Kさん「なるほどね!(笑)」
Sくん「人生で父親に怒鳴られたのはその1回だけで。それはすごい印象に残りましたね。あと小学校のときは夜練とかもしてました。お母さんにストップウォッチ計ってもらって、3キロを何分で走れるかとか、階段ダッシュとか、めっちゃやってました」
Kさん「へぇ!もう漫画とかの世界だよね」
Sくん「そうですね。本当にサッカー少年でしたね。サッカーに捧げたって言っても過言じゃないくらい」
Kさん「お父さんもサッカーをやっていたの?」
Sくん「はい。父親も小学校の時に全国大会に出ていて」
Kさん「そうなんだ。根っからのサッカー人だね」
Sくん「(笑) 今でも父はフットサルやってますね。今55歳ですけど走ってもいますし、ずっとサッカー見てますね。今もユーロずっと見てますし(笑)」
Kさん「俺も俺も(笑) ビッグマッチとかスペインクロアチアとか。あとイタリア好きだから昨日やっていたのとかもとりあえず流してた」
Sくん「あれよくないですよね。22時くらいから始まったと思ったら、次また24時から始まるんですよね。ずっと見れちゃいますよね」
Kさん「ホントね。眠れぬ夜なんだよね」
Sくん「自分も25時くらいまで見て朝行きますよ、会社(笑)」
Kさん「わかる。ちなみに、所属していたサッカークラブで一緒だった子や先輩で、本当にプロになった人とかいる?」
Sくん「はい。めっちゃいます」
Kさん「めっちゃいるの?!」
Sくん「カターレ富山J3には、今先輩がいます。地元も一緒で幼稚園から一緒にボール蹴って。あの子は幼稚園から俺はサッカー選手になる!ってずっと言ってたんですけど高校で挫折したんですよ。ユースから上がれなくて。なんですけど、東洋大学で大学サッカーを続けて、そこで結果残してちゃんとJリーガーになったっていう」
Kさん「そのパターン最近多いよね。別に大学行ったからダメじゃなくて、むしろそこで伸びる人もいっぱいいるからね」
Sくん「今大学サッカーからサッカー選手になる人って結構いますよね。その中でも世界に出る人もいて。上田綺世選手は法政大学ですし、三笘(薫)も筑波大ですよね。守田英正も流通経済大学、伊東純也も神奈川大学で。いっぱいいるんですよね」
Kさん「相馬勇紀も早稲田だよね」
Sくん「相馬も早稲田ですね。あとは長友(佑都)が明治…ってなってくると、大学サッカーも結構夢があって。視察とかもスカウトがたくさん来てるみたいです」
Kさん「大学サッカー、熱いなあ!」
取材・文 タンタン
本記事に登場している二人が、アイドルグループ・Jams Collectionのメンバー・“るーるる”こと小此木流花さんと、サッカーが談義をしている記事がHOMINISで掲載中!
ぜひご覧ください。
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