『匿名性』は、良いことをするときに使うもの
これはたしかダウンタウンの松ちゃんの言葉だった気がする。
SNSの特徴には『匿名性』、さらに『誰とでも繋がれる』というとても素敵なメリットがある。
テレビの向こう側にいるひと、普段なら出会いないような憧れのひとに、一方的に言葉を届けることができるなんて、『夢のような話』だよね。
でもそんな素敵な技術も、ひとを殺す。
しかも殺した側は罪の意識もなく、少しだけ驚いたのちに、また『新たなターゲット』を探すだろう。
以前記事に書いたけど、人間はあいてと心理的、物理的に『距離』がある場合、罪の意識が薄くなって『残酷なこと』をすることができる。
これはもちろん個人差はあるけれど、もはや脳の仕組み的に仕方ないことだと思う。
だからたとえ大人になったとしても、悲しいかな『いじめ』は無くなっていない。
でも『技術』や『脳の仕組み』に罪はないとも言える。
技術は使い方さえ間違えなければ、暮らしを豊かにするし、脳の仕組みも『生き残るため』という本能として受け継がれてきたものだからだ。
ここでよく考えたいのは『良い・悪いを自分で判断する』ということ。
どうしても『これは正義だ』という風潮に流されて、何となく、深く考えないで本能のままに『他者を攻撃するひと』が増えている気がするからだ。
それで本当に良いのだろうか?
包丁だって自動車だって、そしてSNSだって誰かを傷つけてしまう。
でもそれらはあくまで『道具』だ。
美味しい料理を作ってあげることもできるし、素敵なドライブに行くこともできる。
良いこと悪いことは、コインの裏表のように1つになっている。だからこそ『扱い方』を知ることが大事だと思う。
自分はもっと前向きにワクワクするために『SNSの技術』を使いたい。
自分は生き物として生き残るために備わった、『DNA・本能・人間の心理』とも上手につき合っていきたい。
だから心配性わくわくは、『匿名性』というこのnoteの場所で、あいての書いたものに素直な気持ちを伝え、コメントを残し、スキを送ることを続けようと思う。
それが『SNS』という技術と共に暮らす時代の、『ワクワクする生き方』なんじゃないかな?(*゚ー^)