「怖い絵」だけではない、中野京子の読み応えのある本、2冊。
「ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット運命の24時間」(中野京子 文芸春秋)は、フランス革命のさなか、逃亡を図った国王一家の24時間をたどったものであるが、サスペンス小説を読んでいるような緊迫感がある。
アントワネットの恋人であったスウェーデン貴族フェルゼンは、逃亡を成功させんがために用意周到に計画し、準備し、言語を絶する苦労をする。しかし、諸問題をくぐり抜け、ついに6月20日、決行の日を迎える。
宮殿を抜け出した国王一家を乗せた馬車が出発する箇所では、読んでいるこちらまで馬車に同乗しているような気分にさせられる。
「フェルゼンはアポロンのように飛ばした。車内の皆にもたちまち笑顔が戻ってくる。窓の外は真っ暗で何も見えなくとも、目くるめく速さの感覚は人々を酔わせた。空気も次第に変化していた。パリの重苦しく耐え難い臭気が、薄皮をはぐように清澄になってゆく。ついに脱出したのだ、チュイルリー宮から、パリから。」
しかし、第一の宿駅ボンディでフェルゼンは、ルイ16世に、「貴殿はここからはひとりでベルギーへ向かうがよい」と命じられる。パリを脱出できた安心感、また、「王妃の取り巻きである一外国人」などによって計画が推し進められることへの抵抗などから、国王は、彼をそうそうに切り捨てることにしたらしい。国王の命に逆らうこともできずフェルゼンは去る。そして当然、この逃亡は、彼が計画していたものとはまったく違うものになってゆく。
すっかり油断した国王一家は、途中、馬車を降りピクニックをしたり、また、ある小さな宿駅では居酒屋に入り、食事までしているのだ。
「プロローグ」で著者は、「時間。それが敗因だった」と書いている。アメリカ独立戦争に参戦した経験を持つフェルゼンを欠いたうえでの、途中の寄り道。時間を浪費したいちばんの原因は、やはり国王一家、それもルイ16世のあまりの危機意識のなさであった。
国王一家が逃亡した、という知らせが、じょじょに各宿駅に伝わるなか、アントワネットたちはどんどん、追いつめられてゆく。そしてついに、ヴァレンヌで彼らは、身動きができない状態となり、憎しみの声をあげる人々に囲まれて、パリへと戻ることになるのだ。
池田理代子の「ベルサイユのばら」は、フェルゼンが、彼を憎む民衆によって殺されるところで終わっている。奇しくも、ヴァレンヌ逃亡の日と同じ、6月20日であった。
しかし、中野京子の「ヴァレンヌ逃亡」は、逃亡事件の19年後のフェルゼンの死から、書き起こされている。彼は民衆にレンガや杖や棍棒で殴られ、衣服は引き裂かれ、側溝に捨てられるのだ。
「遠のく意識の中でフェルゼンは、今をヴァレンヌと取り違えていたかもしれない。恋人を救うために死ぬのだと、恍惚に包まれていたのかもしれない。」
中野京子は「怖い絵シリーズ」で有名だが、このシリーズしか読んでいない、という人には、私は、「ヴァレンヌ逃亡」をおすすめしている。
しかし、この著者の本でおすすめしたいものがもう一冊、ある。1647年、フランクフルトで生まれ、植物画家、昆虫学者として活躍した女性、マリア・シビラ・メーリアンの生涯を記した、「情熱の女流『昆虫画家』 メーリアン波乱万丈の生涯」である。
50代になっても昆虫の研究のため南米へ出かけたという、すさまじいエネルギーを持った女性の人生の物語には、「ヴァレンヌ逃亡」とはまた違った、読み応えがある。
西洋の「虫めづる姫君」について書かれた本の魅力が、多くの人に理解されたら、うれしいのだけど。
それはあくまでも、池田理代子によってアレンジされうまくまとめられたものを読んだ、というだけで、