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私の「空中楼閣」。オルコットの「若草物語」に寄せて。
新年に、自分の抱負だとか夢だとか書くとしたら・・・とぼんやり考えていて、思い出しました。
そういえば、「若草物語」に、「空中楼閣」という章があったっけ。
メグ、ジョー、エイミー、ベスの四人姉妹とローリーが、ある暑い日の午後に、みんなそれぞれの胸に抱いている「空中楼閣」を・・・つまり、自分たちの夢を、語る章があります。(この「空中楼閣」を、「空想の城」とわかりやすく訳しているものもありますが、私は、「空中楼閣」という言葉のほうが好きです)
さて、大きな青い川、その向こうには牧場が見えるという最高の眺めのもと、森の中、木漏れ日の下で、四人姉妹とローリーはそれぞれ、どのような夢を語ったのでしょうか?
まず、ローリー。
彼は、音楽で世界的に成功して、お金や仕事のことで悩むことなく、好きなことだけして暮らしたい、と語ります。
では、メグは?
ありとあらゆるぜいたくなものがそろっている「美しいおうち」に住みたい・・・その家には召使がいて、自分は何も働かなくてよい・・・好きなように生活するだけでなく「いいこと」もして、みんなから愛されるようになる・・・という、優雅な生活が、彼女の夢。
お次は、ジョー。
彼女が欲しいものは、たくさんのアラビア馬と本!
魔法のインク壺を使って小説を書き、有名になる。
ただ、その夢を叶える前に、何か英雄的なことをやって世間をあっといわせたい、とも。
ベスの夢は?
両親と一緒にいておうちの手伝いができればいい、みんな元気でいてくれればいい、というもの。
最後、エイミーは、世界一の絵描きになりたい、と言う。
みんな、なかなか正直です。
メグは、「メグ、虚栄の市へ」の章でさんざんな目にあっているのに、それにもめげず、華やかなもの、華やかな生活への憧れを捨てていないのがいい、と思います。(この夢を語るとき、彼女は、ちょっと恥ずかしそうにしてはいるのですが)
ベスの夢は、ほかの四人にくらべて小さいように見えますが、これが彼女の正直な気持ちなのでしょう。人それぞれ理想は違うのですから、自分の本当の気持ちがわかっていれば、どの人の夢が小さいか大きいかなんて、決めつけられません。
このあと全員、この空中楼閣のとおりの人生を・・・とはいかないことがわかっているので、それを頭において読むと少しせつなくなりますが、でも、そんなことを忘れさせるくらい、この、夏のように暑い日の午後に夢を語り合うシーンは素敵です。
さて、では、私の「空中楼閣」は?
まず、子供の頃の話をします。
私は子供の頃、いつも、心の中でいろんな世界を思い描いていました。
その空想世界は、夢中になって読んだたくさんの本、友達との遊びやでたらめな内容の会話、お話を書いたりお絵かきしたり、といった生活のなかで、自然にはぐくまれていきました。
友達との遊びは、すべて空想ごっこのようなものでした。
友達とプールで泳いでいるときでさえ、自分は今どこかの湖で泳いでいるんだ、と空想していました。
現実を経験しているときでさえ、ファンタジーという名のうすい膜がかかって見えていたのです。
子供なら、よくあることだと思いますが。
しかし、その複数の空想世界の中でも、とくに、大きな存在感を持っている世界がありました。
その世界は、私が九歳から十歳の頃にはもう、かなりしっかりとできあがっていました。
では、それがどんな世界だったかを書いていきます。
そこは、ひとつの町でした。
その町は、お話の中に登場してくるようなきれいな建物、お店などがたくさん、並んでいました。
緑が多く、公園や、並木道がありました。
その町に住んでいる人々はみんな、自分が読んだお話の中に登城してきた人たちと似ていました。
メアリーポピンズに登場してくるような、おもしろい人たち。
ときどきこの町から出ることもありましたが、平和なのはここだけでなく、どこへ行っても、こんな感じでした。
私は、その町に住んで、小説を書いていました。
その私は、「未来の私」でした。
私はそこで、たくさん本を書いていました。
町の人々はみんな(そしてこの町以外の世界の人々も)、私の本を読んでいました。
この世界は完全に平和で、私だけでなく私以外のみんなも幸福でした。
とにかく、何もかもが、うまくいっていました。
この、私が子供の頃つくりあげた(自然に出来上がった、とも言えますが)「空中楼閣」というのは、ただの、空想上の平和な町のイメージなどではありません。
この空中楼閣こそ、自分の夢や方向性や世界観を含んだものであり、今でも、私の内にあります。
最近また、子供時代を強く思い出すことがあったので、その存在感はさらに、強くなってきました。
空中楼閣、という言葉は、空中に建つ大きな建物という意味から、蜃気楼、現実からかけ離れた空想のことを意味していますが、だからこそ、あえて、「空中楼閣」という言葉を使いました。
「非現実的」な空想、おおいに結構だと思います。
自分の理想を、お行儀よく、「現実的」な範囲にとどめていてはつまらないし、何よりも私は、「夢も平和な世界も、何もかも実現不可能」という考えを、信じていないからです。
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