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三島由紀夫『美しい星』空飛ぶ円盤の出現する所

三島由紀夫の『美しい星』で空飛ぶ円盤が現れる場所は、東生田と内灘です。

東生田は、今は明治大学の生田キャンパスになっていますが、かつては登戸研究所と言って陸軍の施設があった場所です。

登戸研究所は、戦時中に中国の偽札を作って経済の混乱を謀ったり、風船爆弾を作ったり、731部隊のように薬物の開発や実験を行っていた場所のようです。

内灘は、日本ではじめて反基地闘争が起きた場所のようです。

登戸研究所も内灘事件も、調べてみないとな…と思いました。
❄️❄️❄️

それで昨日おととい少し調べてみたのですが、『帝銀事件』が出てきました。

帝銀事件は最初、警察の捜査班は登戸研究所の関係者を疑ってかなり捜査を進めていたようなのです。薬物に知識と経験がある者しか実行出来ない犯行だったんです。そしてその薬品を手に入れられる者しかなし得ない犯行でした。

帝銀事件の内容を追って行く中で、帝銀事件から裁判の流れが変わってしまった有罪認定ってあったんじゃないかと思いました。
似顔絵や自白に重きをおき、事実や証拠が軽くなってしまったのではないかと。

平沢さんは何の薬品を使ったのか、
どうやって薬品を入手したのか?
ここが曖昧にされた裁判でした。

何と薬品は遅効性の特殊な青酸化合物であったのに、使用されたのは青酸カリだったとされてしまったのには驚きました。

映画『帝銀事件 死刑囚』熊井啓監督は
平沢さんの自白と、物的証拠の食い違いを
分かりやすく浮き上がらせていました。

ピペットとか、青酸化合物を入れてあった瓶とかです。

それにしても、画家の平沢さんとその家族は
過酷な運命に翻弄されてしまいました。

平沢さんは、訊問期間に三度も自殺未遂をしたようです。けれど、獄中でその後30年以上も無実を主張したことはすごいことで
その執念がこの事件を風化させなかったんだろうなと思いました。(芸術家で簡単に精神を病むだろう→自白  と思われていたのかもしれませんが、力強かったのですね✨)

帝銀事件の捜査過程で、登戸研究所で何が行われていたかが、少しずつ証言が集められていき捜査記録に残っています。

遅効性の毒を作っていたようです。
数分後に死ぬか、1日後に死ぬのか自由自在と言っていたようです。また、何の毒物で死んだか、死後特定できない毒物を研究していたようです。

例えばインドシナで抗日運動が起きたとき、その活動家たちに対し、開発された薬品は
破傷風の予防接種だと偽り投与されたという証言も出てきました。

登戸研究所とその関係者は、研究の成果をGHQに差し出すことで、戦争責任を免れました。(ソ連が、戦犯として引き渡すように圧力をかけて来ていたようなんです。)

三島由紀夫は松本清張の日本の黒い霧は読んでいたそうです。

三島由紀夫は、陸軍登戸研究所とGHQをどのように考えて、この『美しい星』を書いたのでしょうね?
内灘事件も考えてみないとなりません。

さて、この作品に出てきた地名に意味があるのではないか?という考え方にとてもはっとさせられました。日本製をこの視点から眺めてみたいと思いました。少し前から、小鹿野歌舞伎は、養蚕や『秩父事件』(自由民権運動)かなと思い少し調べてみています。
この方向性はあるのかもしれません。

そしてひとつ、考察をしていく時に考えたことは、
最終的には閃きや思い付きで解けるものでははないんだろうなと。

しっかり歴史や芸術や、
過去や未来のことを勉強をして、
知識を蓄えて、一歩一歩山登りをしていけば自然に視界が開ける仕掛けを春馬くんは作ってくれたのではないかなと感じたんです。

ストイックな彼が感じた、努力したものしか分からない喜びを元にして
導いてくれているのかなと🌠


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