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うさぎ島の歴史 戦時中地図から消された瀬戸内海の小さな島


今はうさぎの島として知られる大久野島は戦時中、毒ガス工場があった場所です。ここで作られた毒ガスは実際、中国で使われてしまいました。

毒ガス工場で作業に従事した人たちは、その後、肺がんに苦しんだり健康被害がありました。


記事と10分程度の動画なんですけど、
島のガイドの方の言葉と
学生さんたちの反応が良くて😊
希望が持てるので
何回か見ています。

やっぱり現地に行くこと
そしてその地に住み、
戦争の経験をした方からお話を直接聞くということは価値がありますね。

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うさぎの島が、これからもうさぎと触れあえる優しい気持ちになれる島

そして、過去を知り、
平和を願える島であってほしいと思いました。

🌿

わたしは大久野島のことは、
この明治大学の平和教育登戸研究所の山田朗教授の講演で知りました。

『帝銀事件』と日本の秘密戦についてのお話です。

『帝銀事件』は今から77年前の昭和48年1月26日に起きた事件、8才の子どもまで、12人もの人が犠牲になった毒物大量殺人事件です。



その毒物は青酸化合物 遅効性の毒だったのではないかと言われています。

この毒物はいったいどこで作られたものだったのか。当時の警察は登戸研究所を疑いました。

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帝銀事件は、日本の警察が、満州の731部隊や登戸研究所の旧日本軍の関係者と接触し、その隠された姿と行いに迫っていったところに歴史的な意義があります。

甲斐メモといって膨大な調査の記録が残っています。

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山田教授のお話によると、
当時の捜査メモは、
鷺ノ宮に特設憲兵隊があり
その部門は暗殺などの謀略に関わっていて
『変装』を一番得意としていたことなど
証言として残っているようです…
ごま塩頭にすることなどお手のものだとか。

(帝銀事件は、はじめてモンタージュ写真が捜査や裁判の判断材料に使われたことでも知られます。

…犯人が変装していたとしたら…この裁判の経緯と結果には言葉もありません…)



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戦時中、自決用に青酸カリが軍人のみならず民間人にも配られました。

溝口健二監督の映画『武蔵野夫人』にも
青酸カリを手にするシーンが出てきます。

戦時中、青酸カリ、自決

で検索すると
沖縄戦とか、ミルクに混ぜたとか
泣きたくなるような話がいっぱいでてきます。
こんな毒物いったいどこで作っていたのか…
考えてしまいました。


戦時中の毒ガスや生物兵器、毒物について
それがどんなものだったか、
どう使われたのか

未来のためにも、

少しずつでも
知っていくことが大事なんじゃないかと思っています。


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