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『人間という楽器』/乃木坂46の歌詞について考える

恥ずかしながら、つい先日まで『人間という楽器』をちゃんと聴いたことがなかったんですが、改めて聴き、そして歌詞を読むと、ちょっとした発見がありまして。

言うてその発見は、そこまで目新しいことでもないっぽいんですが、個人的には「おっ」と思ったことで、かつどうやらまだハッキリと指摘している人はいないようなので、今のうちにここに書く!ということでどうかお付き合いください。

人間という楽器は良い曲!彼氏はいるの?本名は?

そもそもとしては、この曲は乃木坂楽曲の中でも結構マイナーな方の曲の一つという印象で(公式自ら「貴重な一曲」と書いてるし)。

(マイク両手で持ってるのかわいい)

MVも作られておらず、フックのあるユニットメンバーが歌っているでもなく(逆に、地味に貴重な全員曲なのですが)、それこそバースデーライブで披露されるくらいで、正直まともに聴いたことは数える程度、いや、それもあるかないか……上に書いたように、歌詞もロクに把握していませんでした。

その一方で、ラジオリスナー的には『沈黙の金曜日』でお馴染みの我らがコントゴーレム、アルコ&ピース・平子さんが何やらこの曲を気に入って(?)、番組内などでたびたび名前を出して(イジって)いたりしている。

かつ、我らが微笑みの美少女、2期生メンバー・佐々木琴子ちゃんのお気に入りの曲でもあり、彼女が『乃木坂46の「の」』に出演する時はこの曲がかけられるのが定番と化しているなど、ある一定の層には支持されている。

(それが功を奏したか、2018年に行われた『ファンが選ぶ乃木坂46ベストソング』ランキングでは堂々の75位)

曲調は上のツイートにもある通り、乃木坂46の楽曲……というよりポップスとしても決してメジャーではない「サンバ」そのもので、随所に挟まるホイッスルのサウンドと言い、パーカッションの感じと言い、リズムパターンと言い、わかりやすくパヤパヤした感じだ。

でありつつ、こういった曲調は「そういうもの」として、J-POPでは定期的に意図的に取り上げて採用されていたりもする。

王道で言えば我らがマツケンの『マツケンサンバ』だったり、個人的な趣味としては小沢健二「LIFE」収録の『東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー』、「獣電戦隊キョウリュウジャー」ED曲の『みんな集まれ! キョウリュウジャー!』が浮かんだり、個人的な世代的には「ジャングルはいつもハレのちグゥ」OP曲の『LOVE☆トロピカ〜ナ』も思い出される。

こうして見ると、サンバ風ポップスは定期的に出てくると言うか、それによってちょいちょい触れてきてるんだな、と思う。自分として『人間という楽器』が割とすんなり受け入れられたのは、そういう印象の付き具合に起因するのかなと。

閑話休題。

そんな『人間という楽器』、歌詞をよく読んでみると「おっ」と。思うわけです。

その「おっ」の正体として、「この曲、『Sing Out!』じゃん!」と思うのです。

『人間という楽器』は『Sing Out!』である

6thシングルに収録された『人間という楽器』と、23rd表題曲である『Sing Out!』との共通性は、実はこれまで全く指摘されていない事でもなく。Twitterなんかで検索すると、我らが『乃木坂46のオールナイトニッポン』にて『Sing Out!』が初解禁された直後辺りから既にその意見は見受けられる。

(想定していた通りにリンクが生成されなかった)

実際歌詞を読んでみると、その大筋としてのメッセージも、細かい表現も、まるであちらの前身のような内容のようになっている。全体的なメッセージが通じてるというだけじゃなく、具体的な表現まで結構重なっている。

つまり、「乃木坂46は(6thをリリースした)当時から変わらず同じことを言い続けてる」ということがこの『人間という楽器』から読み取れるのだ。〈Bring Peace!〉を、明確に「この頃から発信している」のである。

これにより、23rdの時点でステージングが上がったというよりかは、ずっと目指してきたところに向かって緩やかに登って行って、地続きのまま、ここで辿り着いたのだということがわかる。

グループが持つその一貫性を、『Sing Out!』を『人間という楽器』というフィルターを通して見ることで、見出すことができるのだ。

では、ここからは実際の歌詞を見ていこう。必要に応じて『Sing Out!』とも対比していく。

『人間という楽器』の歌詞は、一組のカップルを題材にストーリーが描かれる。

どこかで誰かが恋をしたらしい

名前も知らないカップルのために

それから2人は結婚したらしい
希望の鐘が鳴り子どもが生まれた

が、これは何を当てはめても良いマクガフィンのようなものなので、一旦無視してよい。それよりも、もっと大枠のメッセージにまずは注目したい。

人間って素晴らしい
誰かのためにお祝いできる
人間って素晴らしい
誰かの愛は誰かに伝わるよ

〈愛〉というキーワード。サビの歌詞において、重要なものとしてここで登場する。〈人間って素晴らしい〉という言葉の意図として、「愛を誰かに伝えられる(愛が誰かに伝わる)」ことを理由に挙げている。

加えて、サビの一番最後に現われるこのライン。

言葉なんか違っても心は通じるんだ
ラブ&ピース

上と同じく、〈愛〉というキーワードを〈ラブ&ピース〉と置き換えながらも再度用いている。もちろん、併せて並ぶ〈ピース〉=「平和」という言葉もまたこの曲において重要だ。

〈愛〉、平和、こうした究極的な言葉は、ともすれば軽薄に受け取られる危険性もあり、歌詞などで用いるのは避けられがちなところもあるけれど、それをこうも無邪気に取り入れて楽しく歌っている。それが『人間という楽器』という曲だ。

そして、それらの言葉をもっと切実に、訴えるように高らかに歌い上げるのが、『Sing Out!』である。

この想い届け Clap your hands
風に乗って飛んで行け愛の歌

ここにいない誰かのために今何が出来るのだろう
みんなが思えたらいい

吹きさらしのその心
温もりが欲しくなる
孤独はつらいよ

仲間の声が聞こえるか?
Bring peace! Bring peace! Bring peace!

〈僕〉が〈君〉に救われる、あるいは〈君〉が〈僕〉を救うストーリーの『君の名は希望』、見ず知らずの誰かのしあわせを遠くから願う『シンクロニシティ』、それらを経て、ここにいない誰かに〈一人じゃないんだよ〉〈Bring peace!〉と言葉を届ける愛の歌、それが『Sing Out!』という曲だ。

(参考)

そんな『Sing Out!』、語っているその言葉は、『人間という楽器』と面白いくらいに共通する。

名前も知らないカップルのために
僕たちができるのは歌って踊ること

誰かのためにお祝いできる

誰かの愛は誰かに伝わるよ

上に挙げた『Sing Out!』の歌詞、そして『人間という楽器』のサビに現われる、〈愛〉〈誰かのために〈という言葉。

それこそ『君の名は希望』のような〈僕〉と〈君〉の2人の世界を超えた、壮大な視点をこの2曲は持っている。

上に書いたように、長い時をかけて5thから20thを経て、23rdで遂に辿り着いた境地だと思っていたところ、実は6thの時点ですでにその視点を持ち合わせていたのである。

かつ、この2曲の共通項はメッセージの話では無い。手拍子や足踏みをはじめとして、「自らが音を発する・鳴らす」ということをどちらも楽曲でも強く打ち出している。

何かを叩いてリズムを刻んでみよう

手拍子しながらリズムで語り合おうよ

この想い届け Clap your hands

僕たちはここだ Stomp your feet

かつ、その「音を鳴らす行為」を通じて想いを伝えようというその手段までも共通しているわけで、なおかつその伝えたいものは「歌」に乗せて共有される。

肩を組んで平和の歌歌おう

風に乗って飛んで行け愛の歌

それらは〈平和の歌〉〈愛の歌〉。この二つは本質的に同じ意味の言葉ですから、同じ看板を掲げたこれらの曲もまた、本質的には同じことを言おうとしていることがわかる。

繰り返しになるが、23rdで辿り着いた(と思われていた)境地に、実は6thの時点で到達していたのだ!『君の名は希望』の直後に!

そもそも『Sing Out!』の歌詞自体、初めて聞いた時に凄く驚きまして。それは「乃木坂はこういうことを言わない」と思っていたからだ。

上でも挙げた『君の名は希望』『シンクロニシティ』など、根底こそ繋がっているが、どちらも言葉を伝えようとしている、救おうとしている相手はごく個人(敢えて言うならば”聴き手”)だった。

かつ、それらの曲で救われる〈君〉は、同時に〈僕〉でもあった。

そんな、小さな世界でひっそりと分かち合う愛を強みとして誰かを救う、それが乃木坂46の歌うものだと思っていた。いたら『Sing Out!』が来たわけで!「そうくるか!」と思ったのです。少しずつ開いていったその視点を、そのまま止めることなく開いてしまった!と!

と、思っていたら、ここにきて『人間という楽器』に出会い。そこで、『Sing Out!』で受けた驚きは、ある意味的外れだったんだなと思ったわけです。

はじめから、乃木坂46は”それ”を掲げようとしていた。そういうことだったのだ。

『Sing Out!』は『人間という楽器』か?

しかしながら、その表現方法こそ近しいものだが、そのスタンスは少しばかり違うようにも思う。

あちらは真摯で切実な祈り(でありながら、ウィー・ウィル・ロック・ユーよろしく非常に力強い)という感じだったのに対し、こちらはとことん楽しく”陽”、”ポップ”な感じ。

「Peaceを自分たちが実現する覚悟」みたいなものが滲んでいた『Sing Out!』、ひたすら無邪気に愛と平和を信じ切っている『人間という楽器』、そんな区別の仕方ができるように思う。

当時は〈肩を組んで平和の歌歌おう〉と歌っていたのが、今は〈風に乗って飛んで行け愛の歌〉と自分の発信だけを頼りにしている。切実だが、どこか気弱なようにも思える。「伝えられる」という覚悟はあるが、確証はないような、そんな風にも見えるのだ。

ある意味、その”難しさ”を感じているのかもしれない、と思った。愛と平和をつつがなく共有するより先に、まず救わなければいけない存在がいる。それを知っているからこそ、時間をかけて『Sing Out!』まで積み重ねていったのではないか。

(繰り返し挙げている『君の名は希望』『シンクロニシティ』のほか、例えば『何度目の青空か?』『今、話したい誰かがいる』等も重要な1ピースである)

時に、乃木坂46楽曲において救われる〈僕〉でもあった彼女たちメンバーが、次は〈僕〉として救う。それを、ここまでの楽曲やその表現を経て、ようやく果たせる時が来た。結果的にだが、そう読み取れるようにも思うのだ。

そう考えてみると、それもまた実にエモい。とりわけ、センター・齋藤飛鳥が〈孤独はつらいよ〉と訴えかけ、〈一人ぼっちじゃないんだよ〉と手を差し伸べる、そこには歌詞上だけに留まらない”意味”が含まれている。

それが『Sing Out!』という曲である。

で、ありながら、そのメッセージは実際のところ結成間もない頃からずっと抱き続けていた。そのことの証明であるのが、『人間という楽器』なのだ。

『Sing Out!』の切実なメッセージを、「サンバ」という突き抜けた陽でくるみ、通常版カップリングとしてひっそりと置かれながらも、童心さながらにピースフルにずっと発信してきた楽曲が『人間という楽器』なのだ。

『ガールズルール』通常盤カップリング

それにしても、この『人間という楽器』をはじめ、乃木坂の楽曲を見てみると意外とワールドミュージック(とまではいかないかな?)的な要素を発見できるというか、意外と幅広くジャンルを取り込んでるなぁと改めて思う。

例えば『扇風機』はレゲエ、『13日の金曜日』はモータウン+カントリー、『太陽に口説かれて』はラテン調。

『遥かなるブータン』はサウンドも歌メロもブータニーで(こんな言葉は存在するのだろうか)いかにもアジアンテイストな一曲、『革命の馬』はイントロでバグパイプが活躍するほか、ジャカジャカ掻き鳴らされるギターからも異国情緒を感じる。

『Sing Out!』だって下地はゴスペルだし、そして1st~3rdや『春のメロディー』はフレンチだ(フレンチポップは異国云々というより時代性が現れたものだと思うけど)。さらに言うと『不等号』は演歌だ。

そんな幅広さが生まれる要因に挙げられそうな一つとして、乃木坂の楽曲の作り方がある。乃木坂楽曲の作曲者には、現役プレイヤーから、専業作家から、別の本業を持っている方から、数多くの作家を迎えているわけで。

そんな作家陣がいかにコンペを通すかの工夫、それが垣間見えた結果なのではと思うわけです(#ちょこっと全曲動画 に際してそう感じた)。そのジャンル感自体が楽曲のフックとして機能するというか。

そうした流れの中で、『人間という楽器』は割と「ポロっと生まれた」楽曲なんじゃないかと勝手ながら思っておりまして。そんな一つであるこの曲に、現在の乃木坂46でも特に重要な一曲『Sing Out!』と同等のメッセージが込められてることがまた興味深いと言うか。

「康、やったな?」と。絶妙な”しれっと”感がある気がすると言うか。(いかにもサンバっぽい、ジャングルの風景を思い起こす歌詞が一部見られるが、これは曲があっての後から加えたモノなんじゃないかと睨んでいる)

だから逆に、上に書いた「カップリングとしてひっそり」収録されたのは、「いずれ到達するその地点を見据え、少し先に向けた伏線」だったのかもしれない。と、思うわけです。

そんな伏線としての『人間という楽器』、まさかの8th YEAR BIRTHDAY LIVE・2日目のアンコールラストに全員参加で披露されたとのこと(観れてない)!『Sing Out!』に求められるようなライブでの役割を、この曲が持たされたわけだ!まさに伏線回収じゃないか!

……と思ったら、Twitterで、この曲についてのメンバーのやり取りを挙げてられるのを見かけまして。

なんでもメンバーには「(この曲は)第二の乃木坂の詩になる」的な事を言われて渡されたそう。そして「そうはならなかったね(笑)」とのこと。これは17年の生ドルでのやり取りだそうで。

それを踏まえると、この曲は『Sing Out!』の伏線でもなんでもなくて、『人間という楽器』を以てして正面から勝負をかけていたのかもしれない。で、その時はそうならなかったと。

であれば『Sing Out!』は伏線回収というよりむしろリベンジだったのかもしれない。ああした言葉をメンバーが発することにも説得力が生まれた今でこそ!という改めての勝負なのかもしれない。

それが結果、今現在既に知れ渡っている形で結実したのだから、それはそれで素晴らしいことじゃないですか。

風に乗って飛んで行け、『人間という楽器』!ということで。

以上。

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