映像研トリオが好きだ
齋藤飛鳥、梅澤美波、山下美月の乃木坂46メンバー3名・通称「映像研トリオ」の話をしようじゃないか。
先日、ついに公開された映画『映像研には手を出すな!』を観てきました。上記の出演メンバー達や作者・大童澄瞳先生曰く公開直後の土日が重要とのことだったので、直後の日曜日である9月28日に。
やむを得ない事情とは言え、3月から半クール放送されたドラマ版のすぐあとに公開の予定が、延期となって実に4ヶ月空きまして。長かった。
元々アニメ版の放送や映画版の公開が決定する前から原作ファンで、そして乃木坂46に関しては言わずもがななので、今回の映画には期待と不安と諸々とが入り混じりつつも、この度の公開を心待ちにしておりました。
で、それはさて置き。
「映像研トリオ」の話をしようじゃないか。
(好きだシリーズ第一弾)
※映画の内容に触れるかもしれないので念のためネタバレ注意。
※以下、齋藤飛鳥=飛鳥ちゃん、梅澤美波=梅、山下美月=山下。愛を以てこう呼びたい。
cool、cute、passionの⊿(トライアングル)
乃木坂46グループ内のユニットや仲良しは数多あるが、映像研トリオはとても良い。すごく良い。きっと異論のある方はごく少ないことだろう。
ではなぜ映像研トリオが"良い"のか。
そう感じる要因はいくつかあるが、まずは少し前に話題になった以下の考え方を参考にしてみよう。
3人組(友達、タレント、アニメキャラなど)で良好な関係が築けている場合、必ずcool、cute、passionのいずれかの役割をそれぞれが満たしている。
簡単に言えば、"良い"3人組はその役割がcool、cute、passionの三つに綺麗に分けられており、故に揃った時のバランスが良いといったような感じのやつ的なニュアンスである。
映像研トリオが良いのは、このcool、cute、passionが3人にも当てはまっているからだ。
ここで、もしかしたら見てすぐに「ハイハイ、この子がコレであの子がコレで最後にコレでしょ」となったかもしれない。
しかしちょっと待ってほしい。
いや、一人ひとりのパブリックな性格やキャラクターで考えたら確かにそれになるかもしれない。
その気持ちはすごくわかる。
でも待ってほしい。
「映像研トリオ」というチームにおいて考えた時、その分担は飛鳥ちゃん=cute、梅=passion、山下=coolなのだ。
齋藤飛鳥の場合
上に貼ったリンクでは「cool、cute、passionのいずれかの役割」と表現されていたが、まさしく「性格」「キャラクター」等ではなく「役割」と考えるべきである。
つまり「その3人組である時、どういった姿を見せるのか」を現わした結果がcool、cute、passionなのだ。
そして映像研トリオにおいて特に重要なのは飛鳥ちゃんの担う「cute」。
例えばこちらのインタビューを参考にしてみよう。
映画公開に当たっての各種インタビューで、『映像研』出演を機に起きた自身やメンバーとの関係性の変化を度々語っているが、このインタビューから以下の発言を引用したい。
ここでは後輩との関わり方(自分のスタンスの置き方)の変化を語っている。
奇しくも彼女の言葉で「クールからの脱却」を示しており、それを経ての後輩メンバーとの関わり合い方の変化が自分(や周囲)にとって良いものであったと飛鳥ちゃんは振り返る。
※ちなみに「諦めて」という言葉はネガティブな意味ではなく「一つの考えに囚われず、変化を受け入れる」というニュアンスで彼女は用いている。
続いてこちらの3人でのインタビューも見てみよう。
こちらは自分自身の内面の変化を語ってる。「浅草みどり」というアクの強いキャラクターを通して、飛鳥ちゃん自身が変わっていったとのこと。
とりわけドラマ・映画の両実写版における浅草氏は、原作マンガ版と比べてかなり子どもっぽいキャラクターとして表現されていた。
各場面での言動は最早「原作に沿っている」とは言い難いほどだ(しかしそれが良い)。特徴的な喋り方も近いようで似て非なるもの。
(余談)
原作版・実写版のどちらも好奇心と想像力に身を任せて駆け回るキャラクターであることに間違いはないのだが、原作の浅草氏は割とリアリスト。好奇心も想像力もあくまで「アニメ制作」という目的にベクトルが向いた創作のための材料・燃料である。
没頭しがちなだけで、あくまでこだわりが強すぎて締め切りを守れないダメな大人なのだ。こちらの口調はアニメ『うる星やつら』のメガネ的な一昔前のオタクのそれを下地に(心を守るための)変な語尾を足したものだろう。
対して実写版の飛鳥ちゃん演じる浅草氏は、元来の好奇心と想像力が先行して溢れており、「アニメ制作」はそれを昇華するための手段。しかし下手に指針が定まっているがために、余計に好奇心と想像力に歯止めが効いていない状態である。
そして衝動に身を任せるあまり、時に必要以上に外にも影響が及ぶ行動をする。公園に着いた瞬間遊具に向かって走り出す子ども、と言ったところか。こっちの喋り方は完全におじゃる丸。
(余談終わり)
そうした「子どもっぽい浅草氏」に飛鳥ちゃん自身が影響を受けたと言う。
それはゼロから生まれたわけではなく、彼女自身「恥じらいが取っ払われた」「子供っぽい部分を出せるようになったりして」と表現している通り、彼女の内に元々あったcuteの部分を『映像研』の撮影を経て梅・山下の2人の前では出せるようになったのだ。
こういうやり取りをするようになったのだ……今の彼女達は目を見りゃお互いの考えてることなんてすぐわかるんだから……
梅澤美波の場合
そして、それこそ上記のやり取りのように、梅は子どもっぽさを発揮する飛鳥ちゃんをそのまま受け入れてしまうわけである。
しかしそれは彼女にとって負担ではない。
梅は当初から三期生内でもまとめ役を担うことが多かった。これは本人曰く「自然とそうなった」らしいが、梅は決して仕切り屋なわけではない。
個人的な印象だが、彼女は母性の人だ。
三期生の中でも初期から先頭に立っていたのは大園桃子。2020年現在でも純粋すぎるくらい純粋な桃子だが、そんな彼女のことを梅はずっと支えていた。その関係性は根拠を提示するまでもないだろう。
もちろんその関係性を形成するものは語り切れないほどあるだろうが、そこには梅自身が持つ強い保護欲を見出してしまってならない。「欲」という字は語弊を生みまくりそうだが、その正体はそれこそ母性ではないか。
このインタビューで梅は飛鳥ちゃんについて以下のように語っている。
上で引用したやり取りでも目で訴えている様子があったが、そんな飛鳥ちゃんを梅は「甘えてくる」と言い、それが嬉しいと話している。
更に、梅が自身の1st写真集『夢の近く』を講談社より9月29日に発売するに当たり開設されたInstagramにて、8月10日の飛鳥ちゃんの誕生日にストーリーにて以下のように書いていた。
こちらでもまた「甘えてくる」様子を挙げており、そのことが強く梅に作用している模様だ。
そして、他の機会にもたびたび飛鳥ちゃんの姿をストーリーに載せているが、それは以下のようなものだった。
どちらでも「可愛い(かわいい)」と零している。梅としても飛鳥ちゃんがかわいくてしかたがないのだろう。年齢こそ同じだし、立場は先輩ではあるが、小さな体でがんばる飛鳥ちゃんがかわいくてしかたがないのだろう。
上で引用したモデルプレスのインタビューでも飛鳥ちゃんは以下のように語っている。
どう見ても可愛がられています。
子どもっぽいところを隠さなくなった飛鳥ちゃんが梅の母性をコチョコチョすることで、互いの関係性がより良いものになっている(山下もふざけたがりなので、実際は子ども2人をお世話をしている状態である)。
冒頭では梅がpassionとしたが、それはつまり、彼女が与えられた役割に徹するでなく、元来の自らの性質に身を任せている、ということが言いたかった。
ある意味彼女が一番衝動のままに動いている。
その衝動=性質というのが彼女の母性であり、それを引き出したのが飛鳥ちゃんのcuteというワケだ。
山下美月の場合
そして山下はcoolである。そして非常にクレバーだ。
例えば、引き続きモデルプレスの飛鳥ちゃんのインタビューからの引用になるが、彼女は山下を以下のように評している。
そんな山下は、敢えて言うなら「立ち回りが上手い」。しかしそれは利己的なものではなく、全体を考えてのものだ(飛鳥ちゃんの「それによって現場が盛り上がって和やかな雰囲気になっていたので」という発言からも汲み取れる)。
つまり山下は周囲の事を考慮した上での最善の行動が出来る。
例えば、3人の関係性が深まるにつれ、山下は飛鳥ちゃんをイジることが増えたと言う。またしてもモデルプレスのインタビューを見よう。
山下が飛鳥ちゃんにこんな感じの態度で接する様子は他でも多く見られるが(その度に飛鳥ちゃんは「先輩なんだけど」と嬉しそうに反論している)、これも山下による一つの処世術と言えるものかもしれない。
要は、上の週プレニュースから引用した飛鳥ちゃんの発言と同じ考えを実行しているのではないか、ということだ。もう一度載せよう。
他の先輩メンバー、例えば秋元真夏さんのことも度々太鼓持ちのふりをしてイジる(そして「先輩なんだけど!」とツッコまれる)様子も度々見る。
それらは山下が先輩メンバーとの関係を深めるために意識して実践していることではないかと思うのだ。
先輩メンバー達は「後輩から積極的に来てくれるのは嬉しい」と語ることがよくある。自身が人見知りなので仲良くなるきっかけを後輩から作ってくれることは先輩からしたらありがたいことだ、という旨の発言だ。
山下のやっていることはまさにそれである。接触を少しずつ重ねることで距離を縮めるのではなく、先にグッと詰め寄ってからそれを関係性に反映させる。
こちらのインタビューには以下のような発言がある。
「私はメンバーのことを“友達”と思ったことはなくて。仕事として一緒に作品を作り上げていく同志というか」という発言は作中の台詞を受けたものだが、ここから彼女の考えが見えてくる。
つまり、グループ全体を一つの集合体として捉えているのではないか、ということだ。「仕事として一緒に作品を作り上げていく同志」という表現なんかは、逆に言えば「一緒に作品を作り上げていく意識を互いに持つべき」という山下の考え方が現れているのではないか。
だからこそ彼女は、個人間でのギクシャクをさっさと取り払う行動を積極的に取っている、と思えるのである。
飛鳥ちゃんや真夏さんをイジるのは乃木坂46というグループを一つにまとめるべくしての行動であり、映画撮影の現場でスタッフさんとコミュニケーションを取るのは『映像研』という作品を一丸となって作り上げるためのこと。
上では「クレバー」と書いたが、実際の能力としては「俯瞰視」に長けているのではないか。全体を俯瞰で見て、自分の感情で動くよりもその場において必要な行動を取ることが出来る。
そんな冷静さ・客観性が彼女のcoolだ。しかしそれは冷めているのではなく、ひいては乃木坂46の更なる躍進や『映像研』という映画がより良くなることを求めてのこと。つまり彼女はcoolである一方、情熱に満ちている。
その情熱は、飛鳥ちゃんとの関係にも現れている。単にイジって気を良くさせようということではなく、その実、先輩として尊敬の念を向けている。
山下は飛鳥ちゃんのプロ意識を見逃さない。そしてその奥にある彼女のcuteによって心を解きほぐされもするのだ。飛鳥ちゃんのことを「ちゃんと人間で良かったな」と言っているが、そうした関係性がまた山下自身の人間の部分も引き出している。
そして、自ら演じた水崎ツバメについて以下のように語っている。
彼女の言う水崎氏の"観察力"、それは先に書いた「俯瞰視」に通ずるものではないか。「周りの人をめちゃめちゃ観察しているツバメちゃんの存在が大事なバランサーになっているなと。」というラインは、まさに山下自身のことを表しているようだ。
クレバーに立ち回って組織のバランスを取ることが出来る山下美月と水崎ツバメ(その上で自分の"仕事"を遂行する)。図ったようにその性質が役柄と演者で通じており、それは実際『映像研』の現場や映像研トリオの関係性の構築に一役も二役も買っている。
これまで先頭に立つことを任されることが多かった山下だが、実のところは2番手、3番手のポジションで周りを支える役割の方が得意としているかもしれない。
梅・山下の両名は、映像研トリオの関係性を語るうえで「飛鳥さんが距離を縮めてくれました」と発言していたが、そんな飛鳥ちゃんの歩み寄りを積極的に受け止めたのが山下であろう(同時に、山下のイジリを飛鳥ちゃんは受け止めている)。
映像研トリオ
そうして、人見知りばっかのこのメンバーの仲が深まっていったわけである。
それは飛鳥ちゃんを軸に据えた三角形の関係性だ。
そして逆説的になるが、そんな飛鳥ちゃんの赤ちゃんっぷりを存分に引き出してくれるのがまた"映像研トリオという環境"である。
ある意味それが今回の『映像研』というチャレンジにおける、特に大きな功績の一つではなかろうか。これまで飛鳥ちゃんが隠したがっていた可愛さの部分を、ここにきて更に引き出してしまったんだから。
そして同時に、そんな飛鳥ちゃんの可愛さにメロメロの梅もまた良い。これまでは3期生内で必要に応じて自然と発揮されるにとどまっていた彼女の母性が、このトリオでは「役割」として発揮されているんだもの。
で、山下もだ。「立ち回り」として色々取り上げてしまったが、実は映像研トリオにおける彼女はとても自由だ。
これまではセンターだったり主役だったり個人での活動を任されることが多かったが、このトリオでいる時はそんなしがらみから解放され、なんだかやりやすそうである。
度々見られる先輩イジリを上では関係性を深める行動として書いてしまったが、それはあくまで関係性の構築段階での話。
今なお出るそれは、むしろお調子者としての元来の彼女の素の面でもあると思う。それを躊躇いなく出せる環境が「映像研トリオ」であるわけだ。
そんな形で、それぞれがそれぞれに自分の本来的な顔を包み隠さず出せる(ようになった)のが『映像研』という作品を経て得たこの関係性である。
単に一つの作品で共演しただけではない、終わってしまえば解消されてしまうものではない、今回をきっかけに新たに構築された乃木坂46内の一つの関係性、それが映像研トリオである。
まとめ
本当はもっとこう、「飛鳥ちゃんが可愛い」「梅や山下がそれを愛でている」「その様子がたまらない」という興奮を感情に任せて書く予定が、なんかこうなってしまいました。
ほかにも、
「3人並んだ時に小・中・大になっててバランスが良いよね」とか
「『ファンタスティック3色パン』は一生大事な曲になったよね」とか
「公開延期したことで3人の関係が更に深まる期間になったよね」とか
「3人でやった『乃木坂46のオールナイトニッポン』は最高だった」とか
「LINE LIVE・Youtubeで配信された『公開初日をみんなで祝う配信イベント』でお揃いの髪型を嬉しそうにしてて超可愛かった」とか
「映画『映像研に手を出すな!』は最早この3人の物語の作中作」とかを入れるはずが、まあ入んないこと入んないこと。
ただ、書きながらだいぶ膨らみ続けてしまったのですが、本人らの発言を引用しまくった甲斐あってイイトコ突いているような気がしないでもないです。
内容はともかく、こんなものを書いた原動力は「映像研トリオが好きだ」という感情、ただそれだけです。
映像研、最高~~~!
大ヒット上映中。
以上。