3期生ライブで示された〈君とここにいる奇跡〉と愛~9th YEAR BIRTHDAY LIVE期別ライブを経て~
書いている現在から見てついさっきである、5月9日に行われた『9th YEAR BIRTHDAY LIVE~3期生ライブ~』。まんまと、しっかりめに泣いてしまったのを白状しておきます。
3期生メンバーだけのライブは実に4年振りということで、かつ、奇しくも同じ5月9日に当時初日を迎えたということで。そういう意味でも今回は非常にメモリアルである(梅の「365日ある中のすごい奇跡だなって思ったの」という発言がもうエモい。Brand new dayすぎるじゃないか)。
他でもないメンバー達自身がこの日を待ち遠しく思い、その熱い想いをモバメにもブログにもしこたま書き綴ってくれていた。
そんな5年目を迎えた3期生たちの単独ライブ。9thバスラの一環でもある今回だが、大きく分けて三つのキーワードに大別出来るように思う。それは以下である。このnoteではこれらを軸に語っていきたい。
「衣装」
「夏」
「Sing Out!起源論」
以下、メンバーの名前は基本的に敬称略。また「●●コーナー」「●●ブロック」という言い方はメンバーが発したものに加え、便宜上名付けたものも含みます。また、セットリストを順にさらう訳ではないのでご容赦ください。
衣装
オープニングから幕間のVTR含め繰り返し語られた、乃木坂46の「衣装」について。これが今回の9thバスラ3期生ライブにおける縦軸であったことは理解の通りだ。時にメインステージ~センターステージまでの花道をランウェイのように使ったり、時に楽曲披露中にピンでカメラに抜かれてポージングしたりと、ファッションショーさながらの披露が度々為された。
が、しかし、単に歴代衣装を見せようということが目的であった訳ではないことは言うまでもない。真の目的は「衣装を通して乃木坂46の歴史を振り返る」ことであったはずだ。
それはまるで、前日の4期生ライブにおいて実施された、楽曲から背景にあるドラマや人物を切り離して「更新」「アーカイブ化」する試みとは真逆の行為のようであるが、いや、むしろ3期生である彼女達だからこそ、その歴史を振り返ることが出来る(無論、4期生の試みもまた彼女達だからこそ挑めたことである)。
『帰り道は遠回りしたくなる』『三角の空き地』『サヨナラの意味』といった選曲からは、ついグループを去ったメンバーへの想いを見出してしまうが、彼女達が今回やりたかったのは、おそらくそういうことではない。
(でんちゃんの細い肩は魅力的すぎた)
その真意は、楽曲衣装だけではなく、『紅白歌合戦』や『FNS歌謡祭』などの出演した番組、そして『真夏の全国ツアー』『Birthday Live』といったライブの場で用いられた衣装を取り上げたことから理解できる。
それは、上に書いた「衣装を通して乃木坂46の歴史を振り返る」という表現が答えで良いように思う。先輩がグループを去ったかどうかではなく、まず皆で紡いできた歴史があり、打ち立ててきた功績がある。その歴史そのものを語り継ぐことを3期生達は表明したのではないか。
その現れのように、今なおも傍で支えてくれる先輩への憧れを胸に『My rule』を披露したり、年齢の壁を越えて初めて参加した『紅白歌合戦』衣装への思い入れを語ったりした。更には、歴史を語り継ぐブロックに、自身らの曲である『逃げ水』や、3期生の道程の一部として『ハルジオンが咲く頃』を組み込むこともできる。
(レイあやの『逃げ水』もとても良かったけどやっぱり与田桃が至高)
彼女達が加入してから現在までの4年半で、乃木坂46というグループが「国民的」と付けられるまでに大きくなった。逆に言えば加入の時期は、その飛躍・拡大が本格化し出したタイミングであったように思う。個人的な見立てを引用するなら、乃木坂46が第1部を終え、第2部に突入した時期であった。
3期生である彼女達はその歴史を間近で目撃してきた。そして同時に、その当事者である。先輩たちの背中を追い、肩を並べ、共に歴史を紡いできたわけである。沢山のたいせつなことを受け取ってきたし、大きな舞台を踏んだ経験も喜びも分かち合った。
4期生が楽曲そのものをアーカイブ化したのなら、3期生はグループの歩み・歴史をライブラリ化したと言っていいかもしれない。つまり今回のライブで行われたのは、未来へ進むための振り返りだ。乃木坂に加入して、色々なことが起きて、その道程を一緒に歩んできて、で、今!という喜び。そのことを示すためのファクターが「衣装」であったのだ。
もちろん、後のブロックで演った『Out of the blue』『アナスターシャ』『Against』、9th全体ライブのリフレインである『インフルエンサー』『シンクロニシティ』もまたその一部である。Birthday Liveのプログラムとして、3期生という立場の彼女達が行うに、実にふさわしい内容であったのではないかと思う。
夏
で、今!という喜び。彼女達にとってのそれは、加入して5年目にしてなおも12人全員でいられている、ということだ。「誰一人欠けることなく、」と繰り返し発されてきたが、しかしそれは、単に「(アイドルとしてあり得ることである)卒業を誰もしていない」ということでは無いだろう。
そこで挙げられるキーワードが「夏」である。3期生にとっての夏には「不在」が切って離せない。
2018年の『真夏の全国ツアー』の期間、久保史緒里が休業しており最終日を除く殆どのライブに参加せず、当時リリースされた『自分じゃない感じ』の制作にも参加していない。
翌2019年には山下美月が『シンクロニシティ』制作をはじめとしたグループ活動の休業をしており、彼女が『真夏の全国ツアー』から復帰するのと入れ替わるように、そのタイミングで大園桃子が休業、神宮公演にて復帰するまでライブに参加しなかった。
そして直接的に連動はしていないが、2020年は『真夏の全国ツアー』の開催はおろか、物理的に距離を取らざるを得ない状況になってしまったわけである。
心の距離は離れていないのに、12人で集まることが出来ない状況が度々訪れてしまっていたのだ。時期が前後するが、ようやく集まれた喜びと高まりは2019年神宮ライブで『三番目の風』をパフォーマンスする様子が何より物語っていた。
(今回のように12人で披露される『自分じゃない感じ』もまたしかりです)
今回本編ラストとして象徴的に披露された『思い出ファースト』は、そんな「不在」が始まるもう1年以前、2017年に発表された楽曲である。『真夏の全国ツアー』を控えた時期に、3rd album『生まれてから初めて見た夢』に収録された”夏曲”の一つとして用意された。
いや、まあ、実際に夏曲扱いなのかどうかは定かではないが、しかし歌詞を見てみると、描かれた情景も含め夏を象徴する楽曲であることは間違いない。実際当時の『真夏の全国ツアー』3期生ブロックでも大々的に映像とともに披露された。
彼女達が『思い出ファースト』を想う時、〈いつか振り向き/最高の夏だったと〉の通りに、リリース当時の2017年を思い出すのではないか。後に待ち受ける困難をまだ知らぬ頃の、12人で手を取り合って邁進していたあの時期である。今回のMCでも話題に上がった『3期生単独ライブ』が実施されたのも2017年だ。
そしてまた、『思い出ファースト』は3期生における「不在」からの「再会」をも象徴している。先述のような夏を過ごした2019年、11月には『3・4期生ライブ』が開催されたが、ライブを終えてからの久保のブログに以下のようなことが書かれていた。
上記の通り、ツアー期間中は桃子が不在であった。そんな彼女が愛するこの曲、神宮では披露できなかったこともあって『3・4期生ライブ』でまず挙げられたのかもしれない。12人でまた揃ったことを『思い出ファースト』を通して噛み締めたのだ。
そしてその想いは現在まで続いている。今回のライブでの披露後、梅澤がMCで「この曲で終わりにしたいという皆の想いもあってラストにさせていただきました」と明かしていた。
〈君とここにいる奇跡〉という印象的なラインがあるが、まさに彼女達にとっての『思い出ファースト』はそれなのだ。だからこそ、5年目にして12人全員が揃っていることの奇跡を、「不在」が一切無い喜びを、再びこの曲を通して噛み締めた。
「誰一人欠けることなく、」という言葉の意味はそういうことであるはずだ。冒頭でも取り上げた開催日のシンクロにしても、『ハルジオンが咲く頃』の当時の映像とオーバーラップする演出にしても、奇しくも過去と現在を巡る機会となった今回のライブだが、その巡りによって彼女達自身がそれを強く感じたのではないだろうか。
間もなく夏がやってくる。今年の『真夏の全国ツアー』は果たしてどうなるのかは今のところまだ不明だが、もし迎えられるなら、遂に12人が揃った乃木坂46の「夏」はきっと物凄いことになるはずだ。
Sing Out起源論
「こんなにも愛おしくて守りたいと思える人達に出会えたことが何よりも幸せだなと思います」とも語った梅。それを他の11人もまた全員に対して想っていたであろうことは今回のライブを見れば一目瞭然。
それを象徴するのは、やはり『僕だけの光』である。
乃木坂的にはお馴染みのライター・大貫真之介さんのTwitterでは、2019年神宮ライブのレポートを引用する形で以下のように言及していた。
そしてSing Out!起源論者である私めとしましては、あの時3期生12人によって披露された『僕だけの光』は、あまりにも、紛れもなく、『Sing Out!』であったと断言せざるをえない。
やはり最重要素は「岩本・向井の弾くギターのみで10人が歌ったこと」である。あぁ、もうたまらなく『Sing Out!』だ。どういうことかの説明として、まずは『Sing Out!』の歌詞を以下に引用したい。
『Sing Out!』が謳っているのは「鳴らす」ことである。それが自らの存在証明であり、また仲間へのサインであると言う。そのクラップやストンプに〈愛の歌〉〈仲間の声〉を乗せて、想いが届くように飛ばしてしまうのだ。
つまり、逆説的に、乃木坂46にとっては「鳴らす」行為そのものが尊い意味を持っている。故に『Sing Out!』の時期であった2019年神宮ライブでは生バンドが用意され、人間が自ら鳴らした音とともに楽曲を披露したのだ。『Sing Out!』の持つ意味、果たすべき使命をより象徴的に演じるためにあれは必須であった。
そして今回。2人のギターは本人曰く「皆泣いてるから間違えちゃった」部分もあったようだが、そういった完成度云々を超えたところに深い意味があることはもうわかっていただけているのではないか。
(当の2人はずっと朗らかなのがなおのことピースフルで最高……)
あの時間、あの空間には、岩本・向井が弾くギターの音と、10人の歌声だけが鳴っていた。その時12人の間で交わされたものは〈愛〉にほかならないじゃないか。もはや無観客で良かったとさえ思えてくる。大切な空間に邪魔者はいらないじゃないか。
だからこその涙である。彼女達が『Sing Out!』だ!と思っていたかは定かではないが、『僕だけの光』を歌うことで起きる奇跡を心で理解したからこそ、リハーサルの時から泣いてしまう程になったのではないか。
(「言わないでよ~」が可愛かったですね)
もちろん楽曲(歌詞)が語る意味も強く作用したはずである。
4期生達は先輩への憧れや放たれている輝きそのものを〈光〉と歌っていた。では、3期生のメンバーそれぞれにとっての光とは何のことか。
そんな野暮なこと、敢えて言うものではない。自分自身の事を歌っているはずの前後の歌詞を飛び越えてしまえるくらいに、彼女達は『僕だけの光』で〈愛〉を交わしあった。そこに差した〈光〉がこそ、彼女達を涙させたし、後のMC時においても与田は涙が止まらなくなってしまったのだ。
しかし、また美しいのが彼女達の覚悟である。覚悟とはどういういことかと言うと、これからの乃木坂46を引っ張っていくその意志だ。
しかもそれはピリピリとした切実なものではない。〈君とここにいる奇跡〉を噛み締めた今の彼女達は、突き抜けたようなハッピーでグループを未来に連れて行くことができる。
それを物語るかのようなラストの選曲である。楽しい時間そのままの延長線で、夢見たあの日を歌った『人はなぜ走るのか?』。大声選手権に優勝しセンターとなった麗乃ちゃんを「おめでとー!」と祝福し合う様は、愛と平和そのものだったじゃないか。
(優勝を呼び込んだ叫びが、でんちゃんの名作「やらかしたー!」である事実がまた最高。それを本人自ら書いていたことでいよいよ楽しさ満点でしたね。)
そして今回の3期生ライブ、9thバスラの最後を飾った『人間という楽器』。『人間という楽器』は『Sing Out!』である。
こちらもまた「鳴らす」尊さと愛を謳っているが、真摯で切実な『Sing Out!』と比べてみると、まさに曲を披露している彼女達のようにひたすらハッピーなのが『人間という楽器』である。
サビの歌詞を振り返ってみたら、『Sing Out!』たる愛の宣言であると同時に、乃木坂46の9回目の誕生日を祝っているようにも思えてくる。
梅から「皆で話し合って決めた2曲だったので」と最後に語られていたが、つまり、観ているこちらが『人はなぜ走るのか?』『人間という楽器』から感じ取ったことは、3期生の皆が示したことであった。
かつて憧れ、現在はその一員となった乃木坂46というグループの10年目を、満面の笑みで迎えることが出来た3期生12人。新曲『大人達には指示されない』からは、彼女達自身が一歩未来に進んだことを個人的には感じたが、それは乃木坂46たる〈愛〉を持ち合わせてこそだ。
新しいタームに入ったグループを語り継ぎ、引っ張っていくことを宣言するかのようだった9thバスラ3期生ライブ。セットリストだけ並べてみると意外な程にシンプルな構成であったことに気付くと同時に、今回のライブの完成度の高さ、3期生の実力の高さに圧倒される。もちろん、12人の絆がそれを更に底上げしていた。
彼女達が自らの手でこじ開けた、かつて真っ暗だった未来の答えを、そこに見たような気がした。
締めがポエムになっちゃった。
補足的に書きますが、今回の個人的なMVPプレイヤーは珠ちゃんです。彼女のダンスにも視線にも立ち姿にも目を引かれまくってしまった。
以上。