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人生の分岐点。自分と普通と想像と

こんばんは。harunoです。
眠れない夜がやってきてしまいました。

発達障害と診断を受けてから
受け止めきれない日々。

それでも何か進みたくて。
モヤモヤと考えてしまうことを一つ
出力します。

ADHDとアスペを友人、夫に話した時の反応。

口を揃えて言ってくれることは
何も変わらない。私は私で。
この私と関係を築きあげてきたのだから
友情も愛情も変わらない。
そうなんだー。ぐらいだよ。

という言葉。
正直、偏見から離れられたり
対等が崩れて何か起きるのではないかと
話すことは怖い。
だが、はなれることはないと
言ってくれて涙した。

そこで、疑問が生まれる。
薬も飲まない私を受け入れてくれる人は
薬によって変わった私をどう感じるのだろうか?
asdが色濃く見えると想定すると
気がまわらなくなり、
共感力が減り、
すこし静かになる。

これらは、ADHDの性質改善および、そこから起きているエネルギー消耗や病状改善という意味だと
ストレスが減り、生きやすくなるのだろう。

正常に近い機能をした脳に変わったところで、はじめて、普通を知るかもしれない。

けれども、この変化ははたして
本当にプラスだけなのだろうか?

周りから見ると、
変わった
ことになる。
それは今までの自分とはすこし違うわけで。
今までの私を愛してくれた人達から
継続した評価
(居心地がいい、話してて楽しい、ノリが合う等)
は、失うことはないのだろうか?

築き、一生懸命につなぎとめてきた関係達。
それらをどこかで否定しているキモチがなぜかある。

過去の自分にすがるのは違うし
ひとは変わっていくものだ。
年ともに関係も。

こだわる必要はないのかもしれない。
けれど、その先が私らしさ
を失うものとなるのかどうか。
思考が迷子だ。

医学的普通
に、ならなければならないのか?

困り事に翻弄されながらも
私らしく元気に生きる道は無いのか?

もちろん、復職に向けては
不要なストレス要因は排除し
円滑に業務遂行ができることが望ましい。


なんのために、コンサータを飲むのか?
なんのために、副作用とたたかうのか?

主治医から与えられた
のみ続けるか否かの選択。

これって、きっと、
この先の人生におおきな差が出る気がしている。


自分が決めたこと
それが、正解だ。

そして、幸せになる道を選びたい。

その道はどちらなのだろうか?


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