過去と今、どちらの自分が好きになれるのか
お久しぶりです。harunoです。
紆余曲折を経て、やっとこさ「復職」という看板が視え始めました。しかしこれがうまくいく自信があまりないのです。。。
感情コントロールするのがまだ苦手です。
そんなときこそ、いざ出力!という勢いで乱文ですが、きっといろいろな人が通る道だと思いつつ、今を書きとめてみます。
見えると手に入れたくなる
ランドマークって、見えたところからそれなりのサイズであれば、歩けば近いかな?と思いがちだ。
しかし、いざ歩いてみると予想より遠いことが多い。
さらにその道に向かい風や人混みといった環境要因が加わると、なおさらにそれは
思ったより、遠い。
でも何故かそれが見えてしまって、一度目指すと決めると、なかなか立ち止まらない。
そして、遠くから見えるものって、真下からだとあまり感動はせず、こんなものか。
という気持ちになる。
そんなにセカセカ頑張って目指す価値あったか?とさえ思う。
後ちょっと
の
全体が見える
ぐらいが最もよく見える、価値が高いもののように思う。
だから、ありとあらゆる展望タワーに課金して登りはしないし、
橋も渡るよりも眺めるほうが感動するかもしれない。
そして、さらに言うと、登ったり渡ったりする時間は少し長く感じる。
きっと、復職も似たような気持ちで。
目処がたちそう。あと少し頑張れば。
この時点で走りたくなってしまう。
しかし、実際のそのトキは案外思ったよりも遠くて。
ここで焦らず眺めながら
キレイだな
と感じる余裕をもち
でも着実に歩いて向かう。
そうしなければ、最もよい瞬間を見逃したり
辿り着く前に力尽きてしまう。
その道を、幾度か走っては背を向けることを繰り返してしまった。
今回こそ、歩いて確実に向かいたいところだ。
上った先の風景が、実は思ってたよりも美しくなかったとしても。
到着したことに意味はあると願う。
2度にわたり走り出し息切れした過去
復職も私はモチベが高いうちに、走れるうちに全力疾走で辿り着こうとした過去がある。
しかし、途中で指摘が入ったり、環境が変わったり、思ったよりも遠くてガス欠をおこし再度休眠期(ひどいと2週間程)に入ってきた。
今思えば、過集中や無駄に強い仕事へのパッション、体力はないくせに気力(根性)だけはあって無理にシャトルランを続けるみたいな状態だ。
ゴールなんて無くて。
本当は自分のモノサシで達成感があれば良いものを、平均回数や理想の位置、どこまでも行けるところまで走ってやるという謎のモチベーションが邪魔をして。
結局ヘトヘトクタクタでも最後の一人のクラスのヒーローにはなれやしないのに。
勝手に自分で自分に期待して、自分で限界に追い込んで、そして周りと比べて遅くて悔しさと体調不良が残る。
医師には言われる。その度に。
なんでそんなに、こだわって全力で走るのか?と。
思い返せば夏に走った結果転んだらADHDと言われ。
冬に転んだ後には春の心理検査を促され、結果からアスペルガーと言われ。
転ぶ理由は、そんな自分の特性故なのだろう。
それでも、到達地点は少しずつ伸びてきた。
初めは週5日連続で通所するところで挫折し、もう社会人なんて憧れなのか?と思ったほどだ。
働ける と言い張るために、自分の時間を犠牲にし苦しめた一回目。
あとは体力と資料のまとめのみだと言われ、バカ正直にメンタルが落ちても筋トレや運動を泣きながら続けた結果体調不良がやってきた二回目。
そして今回は体力はおいておいて、生活リズムをクリアし、資料の壁と戦いながら小走り気味だ。
水を飲め。落ち着け。息を整えろ。
自分で言い聞かせる。
でもやっぱり自分への やればできるはず!
の期待が自分を何処かで苦しめている。
ゴールではなくその先は多数に分岐した道
先に確認をした。
復帰後何年も長い道を歩く先輩へ。
結果、思っていたよりもその道は舗装されて数本用意されているようだった。
さらに、道によっては再分岐があって、行きたい方向のキャリアの選択肢までまだあると聞く。
すごくホッとした。
もしかするとこんな私を置ける場所など無いのではないかとさえ感じていたからだ。
さらに、
ほかに衝撃の選択肢をしたモデルケースがいた!!!
私自身、THE大人の発達障がい者
なのだが
手帳を手にすることに抵抗があり、取得していない。
持ってしまうと、会社にバレる恐れを持っていたからだ。
そして、会社がその事実を知ると、ひょっとして本の職種や一般雇用枠ではなく障害者雇用に切り替えられてしまうのか?!
と、懸念していた。
ところが実際のところ
全ての病状をオープンにし、
一般雇用のまま、手帳を取得し、
時短勤務をずーーーーっと続けている強者がいるらしい。
そんなパターン、本当にあるんだ?!
と驚きを隠せない。
なぜなら制度上は可能だとしても、違和感を感じてしまう自分もいて。
さらに、
一般雇用ということは健常者レベルのしごとをこなさねばならぬ
とおもっていたからだ。
時短&配慮有り&オープン&手帳保持
で、一般雇用。
促されないのか?!!本人の意思が大切とは知っていたが。
しかし、私はできないだろう。
手帳を持った途端、自信を無くすことが目に見えている。
免許と同じくらいの感覚でいればいいものを、そう捉えられずにいる。
今の自分が過去の自分を越えられるのか
その先輩が知っている私は
過去一番輝いていた時期の活き活きした私。
しかし今の私は、輝ける場所を諦め、
やりたいことではなくやれること
歩きやすい舗装された道を選ぼうとしている。
先輩は輝いて見えた。
そして、過去歩んだ道が懐かしく
私が開拓していきたい。舗装していきたい。
楽しいじゃないか絶対に。
そんな過去を羨む私が顔を出してしまった。
やっぱり、仕事を全力で走りたい気持ちは
捨てきれていないのだ。
私の今の幸せは仕事にはなくて、家庭にある。
なにが大切か、しっかりと確認したはずなのに。
仕事は程々にやって、趣味を楽しむ未来、愛する人との未来が最重要だと思っている今の私。
それでいいしそれがいい。
生涯を振り返ったとき、大切な人と過ごした時間がきっと私を幸せに導いてくれるはず
そう決めて、三度目の滑走路にさしかかったのだ。
なのに。思ってしまった、
過去の全力疾走で今にも倒れそうでも、結果を出して周りに愛された自分は、幸せではなかったのか?
その道の、選択肢はもう一生とれないのか?
頭ではわかっている。そこは過去の自分の体力や周囲の奇跡的人柄の良さに支えられて成り立っていただけで、今の私では到底輝けないことを。
1度目の復職でわかっているはずなのに。
過去の経験から、走れる!!と思った所でも
今の全力をかけたとて足りなくて涙が止まらない道もあると。
それでも。今の自分を可愛がりきれない。
ぬるま湯に浸る芸人なんて、面白くない。
熱湯風呂こそ、芸人が試され輝く伝統芸だと
令和の時代にそぐわない昭和的感覚。
なぜ、失敗を繰り返しても、同じことをしてしまうのだろう。
こんな、人生の大切な判断でさえ。
それもまた、困り事の一つで、特性なのかもしれない。
なんでもかんでもそのせいにするのは良くない。
だからといって、サボる理由にするのも違う。
さらに、頑張りすぎるのも過剰適応。
どこまでが今の私の身の丈にあった努力ラインなのか
めでみれればいいのにな。
今の自分が好きになれるような
そんな日々を積み重ねていきたいものだ。