見出し画像

お金という価値変換装置

「お金で買えないものはない」「人生はお金じゃない」など、お金に関する故事や格言、物語は古今東西尽きないものです。

" へうげもの " で有名な山田芳裕先生の望郷太郎という漫画を読み、つくづくをお金というものはいろいろな側面から考察できる特殊な存在だと思うとともに、ここでは交換というキーワードからお金についてまとめておきたいと思います。


” 交換 ” という原始的行為


この世界は基本的に一人ではいきてはいけません。
古来より人類は共同体を形成して、他人との協力のもと生きてきたわけですが、他者との共存におけるメリットのひとつに、自分と他者とで価値の交換を行えることが挙げられます。この ” 交換 ” という手段によって、到底一人では獲得しえない多種多様なモノ・エネルギーを手に入れることができるようになりました。

単純な例でいえば、森の住人は魚が取れませんが、海辺の住民も木の実やキノコなどは手に入りにくいものです。ここにおいて ” 交換 ” という手段を通して、それぞれが住居に依存する自分の優位性をもって、ほかの価値を手にいれることが可能になります。交換は今回のように同じ土俵のモノである必要はなく、魚と交換するものは材木であっても、森という高台から得たほかの地域の情報など全く異なる形のモノでもよいわけです。

一般的に他人との取引においては、必ずしもフェアであるとは限りません。誰しもが自分にとっての利益を最優先に考えるわけで、例えばこれは1回限りの取引などでは顕著です。この取引をフェアに行うために、人類は一般的には交渉術や詐欺とされるいろいろな方法を発明してきたわけです。身内経営などがありますが、この利点の一つは、この交換のコストとリスクが低くなることでしょう。

” 交換 ” における貨幣の役割


では交換はどのようにして行われるでしょうか。

例えば、[ 〇を持ち△を欲するA ] と [ △を持ち〇を欲するB ] がいた場合、これは最も単純で、〇と△を交換すればよい、という話になります。


しかしこれは人数とモノが増えると厄介になります。
下図のように [ 〇を持ち□を欲するA ] [ △を持ち〇を欲するB ] [ □を持ち△を欲するC ] がいた場合、それぞれが希望通りのモノを手に入れるには3人が一度に集まり、モノを一旦集め再分配する必要性が生まれます。3人であればいいですが、もっと人数とモノの種類が増え、希望もバラバラになれば、それぞれが目的を達成するのは困難となります。

この場面で☆という互換性があるモノがあると一気に単純になります。まず各々が手持ちのモノを☆と交換し、そのうえで☆を希望の商品と各々が交感すればよいわけです。

モノの意味を翻訳してくれる☆という存在、すなわち普遍的互換性を持つ☆という存在が、” 交換 ” という場において極めて重要な枠割を果たしてくれるモノであるといえます。

世の中でこの☆の役割を担うものこそが ” お金=貨幣 ” といわれるものです。つまり貨幣は高い互換性を有するということに意味があり、互換性を担保できさえするならば貨幣自体の価値はあまり意味がありません。お金自体が価値を持たなければ信頼を勝ち得ないのであれば、お金は純金でなくてはなりませんが、逆に互換性があるという信頼があるのであれば、より利便性の高いモノに置き換わることになり、そのためお金は持ち運びが容易な紙となり、そして現代では電子的数値となったわけです。

金銭自体の価値はこの互換性の高さに依存し、その利便性ゆえに価値を自己担保されているという点からは、その価値は変動的であり、つまり上がったり下がったりするわけで、いわゆるインフレーションやデフレーションといわれるものになります。互換性を担保できない貨幣に価値はありません。ジンバブエドルやボリバルは互換性としての信頼性が失墜したがために、文字通りただの紙となりました。

ただこれはどの貨幣も同様で、どんな貨幣でも究極的には果物と同様に必ず腐る運命にあります。しかし我々は基本的にそのような感覚は持っていませんし、そのような感覚を持たせる貨幣はすでに腐っています。お金は今だけではなく、将来的にも価値が担保されている、” 保存がきく互換性を担保したモノ ” という共有の信頼があるからこそ価値が保たれます。

貨幣というのは、” 空間的時間的互換性というものを商品として具現化させたモノ ” であるといえます。人間の人生において ” 交換 ” というもの重要性は極めて大きく、そしてこの交換の場においてお金が重要な役割を果たすからこそ、お金は歴史上古来より古今東西あまたの喜劇悲劇を生んできたわけです。そこで語られるのは往々にして、お金のもつ単純性と普遍性がゆえに、お金の意味を見誤り、価値を過大もしくは過小評価したために生じた物語です。

お金の意味


ではお金の意味とはなんでしょうか。

お金は数値化できるがゆえに極めて分かりやすいものです。ただお金は物事の本質ではありません。お金の価値は先ほど説明したとおり互換性の担保にこそあり、それ以上でもそれ以下でもありません。一人称視点に立てば ” 自分の何かしらのモノを普遍的なモノへと翻訳した数値=手元にあるお金 ” であるといえます。

自分の何かしらのモノというのは広範で抽象的な言いようですが、例えばそれは時間であったり、信用や信頼であったり、知識であったり、技術であったり、と様々なものです。

現代においてお金と最も交換性が高いモノは時間です。時間は生まれや地位に関係なく、誰もが持つ共通のモノで、特に産業革命と時計の発明により数値化可能となった時間はお金との交換性が高くなりました。例えば、時間をお金に変える代表は賃労働でしょう。

金銭を介した交換摩擦熱


交換を行うにはお金を介す必要があるかというと、必ずしもそうではありません。というより本当は金銭を介した交換は非効率的な交換方法となります。

例えば ” 信頼 ” というものはお金に換算して売れます。数値的にもわかりやすいため、特に若いうちは自覚なく信頼をお金に換える行為を行いがちです。しかし売ってしまった信頼を後から金で買い戻すのは困難か、極めて高くつきます。

これは信頼に限りません。モノというある種のエネルギーは、ときに簡単にお金に換えることができます。そしてそこで手に入れた幾何のお金ではもとのエネルギー総量以上のエネルギーと交換することは絶対にできません。これはお金が互換性という価値を持ち、エネルギーを交換するための中継役=手段を担っているがゆえに、そこに必要なコストが必ず発生するため、エネルギー収支の点からも仕方のないことです。

つまり、お金というのはエネルギーの汎用性の高い変換装置(しかも即時変換せずにためておくことも可能)であり、ただその汎用性ゆえに使用コストは思っている以上にかかってしまいます。エネルギーの交換という目的を達成するために、もし直接の交換が可能なのであれば、わざわざお金という変換装置を使用するのは非効率的となります。

効率的な交換とはなにか


なので、本来であれば必要なエネルギーがあれば、そのエネルギー同士で交換しあうのが、ミクロでは効率的です。エネルギーはお金に換えた時点で意味を失いますが、エネルギーでいる限りは拡大したり、同等またはそれ以上のエネルギーと交換したりすることが可能なです。

迂遠な言い方ですが、効率性の観点からはエネルギーをお金に換えるのであれば、それは出口戦略であるのが理想ではあります。例えば、そのエネルギーに拡大や価値を見いだせなくなった場合、エネルギーが枯渇するなど将来性が見込めないと踏んでいる場合、ほかのエネルギーとの交換が困難な場合、エネルギーを手放したい場合など、金銭交換はexitとしての場合に限ったほうが本当は効率が良いでしょう、なかなか容易ではないですが。

まとめ

まとめると

  • お金とは ” 互換性を具現化したモノ ” で、価値変換の手段であり、それ以上でも以下でもない

  • お金を介した価値変換は汎用性と利便性に優れるが、お金を介さない交換よりもコストがかかる

  • 効率性の観点からはエネルギーはそのまま所有して大きくするか、直接ほかのエネルギーと交換すべきであり、お金に換える行為は出口戦略が理想ではある


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?