「小ロシア=ウクライナ」交響曲
十九世紀ロシアの劇作家アントン・チェーホフ (1860-1904) の四大喜劇最初の作品は「かもめ」という作品。
もちろん舞台で演じられるための戯曲。1896年の作品。
最近映画化されて話題の村上春樹原作「ドライヴマイカー」にも登場したことで記憶に新しいかもしれません。
劇中、もっとも印象深い言葉はヒロインのニーナのこのセリフ。
女優志望だった若くて世間知らずのニーナは、頼りにした年上の作家の子を孕み、捨てられて、数年後、自分は、この湖の周りをあてどもなく舞うカモメみたいなものだと語る。
幾重にも意味深い言葉。
この言葉を聞いた、かつての恋人トレープレフは、やがて自ら拳銃を手に取って命を断ち、夢破れたニーナもまた、湖のほとりを去る。
チェーホフより70年近く後の1963年、世界初の女性宇宙飛行士ワレンシナ・テレシコワが宇宙から地球へと発した第一声として知られるようになる言葉もまた
実際のところは、テレシコワ女史の作戦上のニックネームが単に「カモメ」であったというだけだったのですが、宇宙を舞う自由な女性の象徴として、この言葉は愛されたのでした。
さて、チャイカという言葉。
ロシアやウクライナの言葉では海のカモメではなく、実は湖に集う陸カモメのことなのですが、チャイカはカモメ。
海カモメの意味ももちろん含まれます。水鳥の総称のようなものなのかもしれません。
そしてこの言葉、十九世紀ロシアを代表する大作曲家ピョートル・チャイコフスキーにつながります。
今日では誰もがロシアの大作曲家として認識するチャイコフスキーの祖父はウクライナの人で、元々はチャイカという苗字を持っていました。それをロシア風に改めると
となるのです。
西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーは、六作の傑作交響曲によって今日よく知られています。
第二作目に当たる交響曲ハ短調作品17は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられているのです。
チャイコフスキーの生きた十九世紀は民族主義運動の勃興の時代。
音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。のちにロシア五人組として知られることになるバラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども、当時はこれからの音楽のあり方を模索していたのでしたが、チャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、のちに敵対する五人組の新進作曲家たちも、若いチャイコフスキーの新作を絶賛したのでした。
大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、二十世紀には覇権国家ソヴィエトの大ロシアに対して、しばしばウクライナの蔑称として用いられたこの言葉も、十九世紀のチャイコフスキーの時代にはそのようなニュアンスはありませんでした。
「小ロシア」という言葉には、この曲の文脈においては、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲ですからね。全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。
さて交響曲第二番、有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている楽章に代表されるように、全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。
実演でも一度この曲を聴いたことがありますが、管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。特に作曲家による完全オリジナルの血湧き肉躍るスケルツォが大好きです。
フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽なのだと思います。
冒頭の管楽器のファンファーレの後に続くメロディがウクライナ民謡。これが第一主題。
いまではロシアとウクライナの文化的な繋がりの深さを思わずには聴くことのできない名品。
個人的にもわたしはオーケストラでピッコロを吹いていたことがありますので、ピッコロが大活躍するこの曲には思い入れ深いものがあります。
2022年三月初頭の現在、ロシアとウクライナの痛ましい姿を思えば思うほど、この二つの文化の融和から生まれた芸術作品の歴史的背景に深い感慨を抱かざるを得ません。
全曲版はジョージ・ショルティ卿によるパリ音楽院管弦楽団の演奏。ソ連時代の1956年の録音で、副題はずばり「ウクライナ」です。
兄弟のような関係にある争い合う二つの国に平和が訪れんことを祈りながら、チャイコフスキーのウクライナ交響曲を聴いています。