海外生活日記:光のある世界
先日、長年勤務していた大学のカフェの傍のテーブルで仕事をしていると、何気なく差し込んでくる光の美しさに見とれてしまいました。
それまで知らなかったのですが、色ガラスが窓に張られていたのです。
光がちょうどよい角度から差し込んでくると、クリーム色の壁が幻想的な色のキャンバスへと姿を変えたのでした。
教会でもないのに、近代的建築の建物の中に、さりげなく組み込まれていたステンドグラス。
何度も通っているのに、ステンドグラスの存在に今まで気が付かなかったので驚きました。
アイフォンから撮った写真程度では、自分が受けた感動を伝えることができないのが残念です。
思いもかけずに見つける、小さな感動のある生活を日々送っていられることを心から感謝していたい。
大聖堂のステンドグラス
わたしはステンドグラスが大好きで、毎年クリスマスになると、小高い丘の上に立っている大聖堂を訪れるのも、実はステンドグラスが目当て。
教会は19世紀の終わりごろに建てられた、街では一番大きくて古い英国聖公会の大聖堂。
あいにくの曇り空で、フォトジェニックでないのが少し残念。
バッハの「ヨハネ受難曲」
この教会には素晴らしい合唱団があり、合唱団を指導しているのは、バロック音楽の専門家である、優秀な女性音楽監督。
彼女はチェンバロ演奏の名手でもあり、わたしが古楽に特に親しんでいるのも、地元でこうして生のバロック音楽に定期的に接することができるからでもあります。
彼女はソロ演奏活動はしないのですが、アンサンブルでの彼女の繊細なチェンバロの音色は、声や弦楽器と見事なコントラストを作り出します。
決して主張しすぎないけれども、いつだって存在感があり、独自性が決して失われない音。
金属的だけれども、優しさにあふれた音がするチェンバロは、アンサンブルにおいては、他の楽器を引き立てる意味において、ピアノよりもずっと優れた楽器です。
つまり最高の名脇役なのです。
主演賞ではなく、助演賞をもらうポジションにあるのがチェンバロ。
人生最高のコンサート体験
数年前、この教会でヨハン・セバスチャン・バッハの大作「ヨハネ受難曲」の上演がありました。
指揮をしていたのは、もちろん名脇役の名チェンバロ奏者の音楽監督。
わたしは年に十回以上クラシック音楽のコンサートを聴くという恵まれた経験を、もう二十年も続けてきているのですが、この教会で実際に耳にした「ヨハネ受難曲」は、わたしがこれまでに聴いてきた、過去三十年ほどで体験した全てのコンサートの中で、いまでも一番素晴らしいものだったといえるほどのものでした。
バッハの「ヨハネ受難曲」の最高の名演を実際に耳にすることができたことは、わたしの人生体験の中でも忘れがたいものです。
ステンドグラスを通して差し込んでくる色の海に、天上の歌のような合唱団のハーモニー。
ソロ歌手たちのアリアには、涙が溢れました。
なかでも、アルト歌手による名アリア「Es ist vollbracht(It is finished)」は全曲の白眉ともいえる、感動的な歌です。
日本語では「成し遂げられた」と訳されます。
イエスが十字架上で惨殺されることで、人類の罪を贖う犠牲が捧げられて、神の意志が実現した(=It is finished)という意味です。
この歌はイエスの死のすぐあとに歌われます。
「ヨハネ受難曲」はイエスの死を主情的に、人間の視点から描いた「マタイ受難曲」とは異なり、神の人類救済計画がイエスの死であるという、全能の神の偉大さを湛える音楽。
「マタイ受難曲」のようにドラマティックでないことは最初から意図されているのです。
だから「成し遂げられた」という歌が、曲の性格上、全曲で最も大事な音楽となります。
後年のドラマティックな「マタイ受難曲」ほどには、「ヨハネ受難曲」は一般的な人気はありませんが、しみじみとした味わいにおいて、「マタイ受難曲」を上回り、何度も繰り返し聴くには「ヨハネ受難曲」の方がわたしには好ましい。
ステンドグラスから光降り注ぐ、丘の上の教会堂で「ヨハネ受難曲」の素晴らしい実演に出会えた体験は、わたしの心の中の宝物です。
ベートーヴェンと「ヨハネ受難曲」
バッハが死後に世間的に忘れさられていた時代、ベルリンでバッハ再興の気運が高まる中で作られた「ヨハネ受難曲」の写譜をベートーヴェンが所有していたことが遺産目録から知ることができます。
ベートーヴェンは「ヨハネ受難曲」の楽譜をよく研究していて、大作「ミサ・ソレムニス」作品123の創作に役立てたのでは、とわたしは推測しています。
そのような「ヨハネ受難曲」を実際に耳にすることはできなかったベートーヴェンでしたが(難聴で聞こえないので問題なしともいえますが)「ヨハネ受難曲」の中でも最も重要なアルトのアリア「成し遂げられた」を引用して、あるピアノソナタを書きました。
それが後期三大ソナタの一つである、ピアノソナタ第31番作品110でした。
ベートーヴェンは、バッハのアルトの歌を「嘆きの歌」として引用することで、ある大切な人の死を悼んだのでした。
それは42歳の若さで亡くなったヨゼフィーネ・ブルンスヴィック(Josephine Brunsvik:1779 - 1821)。
最新のベートーヴェン研究によると、ヨゼフィーネこそが、ベートーヴェンの死後、愛用の机の隠し引き出しから発見されたラヴレターの相手、つまり「不滅の恋人」なのだとされています。
わたしはこの説を支持します。
日本語ウィキペディアでさえも、ヨゼフィーネとソナタ作品110と作品111の関連についても触れています。
この2つのソナタは、ヨゼフィーネへの追悼の歌、レイクエムなのです。
「不滅の恋人」
ヨゼフィーネは二度目の結婚相手が父親ではない女児を1813年に出産しています。
名前はMinona(ミノーナ)。とてもおかしな名前の女の子。
逆さまに読むと、Anonim(英語のAnynomous=匿名)。
つまり、彼女は非嫡出子。
普通、非嫡出子にこんな名前を付ける母親はいませんが、彼女にはこの子は夫の子供ではなく、自分にとって大切な別の男性の子供であると、世間的に伝えたかったのでしょう。
夫から隠すようにして、ヨゼフィーネは「ミノーナ」を遠いスイスに住む姉のテレーゼに預けます。テレーゼは作品78のソナタの被献呈者です。
わざわざ意味ありげな名前が命名された「ミノーナ」の父親は、ベートーヴェンであるといわれています。
少なくとも、ベートーヴェンはそう確信していました。
そして彼女が生まれた喜びを音で表現した音楽が「第八交響曲」でした。
ベートーヴェンは大傑作「第七交響曲」よりも、「小さな交響曲」と呼んだ第八交響曲を個人的に愛したのは、作曲経緯に我が子誕生の喜びが刻み込まれているからだと推測されます。
やがて、彼女を愛さない夫との不幸な結婚と(ベートーヴェンとの)不倫のいざござの果てに、ヨゼフィーネが亡くなったのが1821年3月31日。
ソナタ第31番が書かれたのは、ヨゼフィーネの死の後の数か月の間のこと。出版されるのは翌年1822年です。
曲中には、「最愛のアンダンテ」と呼び、未出版のまま、いつまでも自分の手元に置いていた、ヨゼフィーネのための音楽「アンダンテ・ファヴォリWoO57」が引用されています。
ヨゼフィーネとベートーヴェンの関係は古く、最初の結婚前の1790年代にまで遡るほど。
ベートーヴェンはヨゼフィーネを深く愛していたのでした。
最愛の女性を失った悲しみを昇華させるために書かれた追悼の歌
前年に書かれたソナタ第30番ホ長調作品109は、キラキラした光にあふれていて、ヨゼフィーネの死をまだ知らなかった、本当の深い悲しみを経験していなかったベートーヴェンの音楽でした。
ホ長調ソナタは、光溢れる明るい幻想世界のように、晴れやかな希望にあふれている音楽です。
フィナーレの長大な二重トリルフレーズがあまりに技巧的すぎて、わたしの技巧では満足に弾きこなせないのだけが難点(笑)。超絶技巧の不滅の名作。
一方、ソナタ第31番は、技術的には前作よりも弾きやすいのだけれども、フィナーレは、この世の無情さを呪い、自身の無力さを嘆く、自分自身のための歌。悲嘆と慟哭、そして哀しみを昇華させるための旅の歌。
ソナタ第30番とソナタ第31番の音楽的性質はあまりにも違うのです。
続けて書かれたこの二つのソナタの間には、奈落の底のように、精神的に深い断絶が存在しているのです。
人はだれか大切な人を失った時、その人のいない世界で生きてゆかねばならない苦しみと悲しみに耐えきれずに死んでしまうか、その人を失った悲しみを芸術作品などに昇華させることで乗り越えてゆくものですが、ベートーヴェンの場合、古い時代のフーガという形式に救いを求めました。
音の断片を何度も何度も重ね合わせて、最後には全く別の音楽へと変容してゆくフーガを通じて、ベートーヴェンの哀しみは別の次元へと還元されて、そして音の中に永遠にとどめられたのでした。
ソナタ第30番のフィナーレにもフーガが登場しますが、フーガは変奏曲の一部としての定型に則ったフーガでした。
ソナタ第31番のフーガは「嘆きの歌」が引用されて、フーガだけで構成されたフィナーレを形作ります。
第31番のフーガのフィナーレは、単純さから高みへと上ってゆく音楽。
ベートーヴェンはこうして危機の時代を乗り越えてゆきます。
その手助けとなったのが、引用されたバッハの「ヨハネ受難曲」のキリストの死を嘆き悲しむアリアだったのでした。
次の動画は「ヨハネ受難曲」のアリアの楽譜付きの動画、カウンターテナーによる歌唱。
序奏を経て、下の動画の1:41から「嘆きの歌」が始まります。
フラット六つの「変ホ短調」という、古典音楽では滅多に使われない色彩であることも、音楽の精神的な深みを際立て、「ヨハネ受難曲」が引用されることで、悲しみは重層的なものとして深められているわけです。
バッハの「ヨハネ受難曲」を聴いてから、わたしはベートーヴェンのピアノソナタ第31番がより深く理解できるようになりました。そしてベートーヴェンのヨゼフィーネへの思いの深さについても。
名作「のだめカンタービレ」より
ソナタ第31番は、往年の名作クラシック音楽漫画「のだめカンタービレ」で、作中でクライマックスを導き出す大事な音楽として扱われています。
「のだめカンタービレ」全25巻をまだ読まれたことがないという音楽好きの方は、いますぐにでもお読みになって見てください。
抱腹絶倒のラブコメですが、こんなにも奥深いクラシック音楽漫画はありません。
「のだめカンタービレ」では、不滅の恋人のことは言及されません。
ヨゼフィーネとソナタとの関連が定説になったのは、ほんの最近のこと。
「のだめカンタービレ」は2010年に書き終えられた作品ですが、「不滅の恋人」論争の決着が付けられたのは、作品が終了した2010年代のことでした。
新しい知識が発見されることで、世界をより深く理解できるようになります。世界はいつだって前に進んでいて、新しい発見があるのです。
「嘆きの歌」に「具体的な」最愛の女性の死が投影されていることが分かるようになるまでは、「のだめカンタービレ」で述べられているように、晩年の苦しい生活ゆえに、あのようなソナタが生まれたのだと考えられていました。
ですが、やはりヨゼフィーネという女性の存在あってこそ、あの深い悲しみと浄化のソナタが生まれたと考える方が説得力があります。
第三楽章の「嘆きの歌」は、悲しみをより高度な次元の想いへと昇華させてゆく、感動的なフーガとなって締めくくられます。
密やかに大きくなって、上り詰めてゆく音の階段は、何度聴いても感動的です。
でもマンガの主人公「のだめ」は、どうしても「嘆きの歌」を弾き通すことができないのです。
恋人千秋とのこじれた関係のために、あの高みにまで登ってゆく音楽にどうしても共感できないので、「嘆きの歌」を弾こうとすれば、悲しみの涙を流さずにはいられないのです。
ピアノ演奏とは、技巧が全てではありません。
こんなにも深い精神性を湛えた音楽は、誰にでも弾き通せるものではないのです。
とくに自分の中に光あふれるような思いが欠けていて、心が闇に沈んでしまっている場合には。どんなに超絶技能な曲が得意だとしても。
嘆きのソナタの意味を深く理解されたうえで引用して、物語を最後のクライマックスへと導いてゆく流れの素晴らしさに、わたしは最大級の賛辞を贈りたい。「のだめカンタービレ」は不朽の名作です。
おまけ:FluxによるAI画像
古いキリスト教の教会が大好きなので、ヨーロッパに行きたいのですが、いまのところは就学中の子供たちがいるために移住は難しく、毎日ドイツやスイスなどにお住まいの方の写真入りのNote記事をみては「いいなあ」と溜息をつきます(笑)。
そこでヨーロッパの教会で見れるであろう、古い教会のステンドグラスを想像しながら、長らく業界最高峰だった「Midjourney」を超えた、最新AI画像プログラム、FLUXでAI画像を作ってみました。
こういう画像はいかがでしょうか。
またはステンドグラスのある暮らし。
こんな家に住んでみたい。ミニマリストな家具がない家がいい。
ピアノと本棚はどうしてもなくてはいけません。
ステンドグラスでなくても、色ガラスは素敵です。
正真正銘のヴェネチアングラスは高価すぎますが、安物でも色ガラスのカップとか、大好きです。
ベートーヴェンをステンドグラスにしてみると:
創造主は遍在していて、「神は光である」と聖書は伝えますが、光というものは、なにげにわたしたちの周りに存在していて、普段はわたしたちの目には見えないもの。
光の存在を視覚的に確認できるのは、光のない、暗い空間がある場所か、色ガラスを通じて、人工的に屈折されて彩られた光を見るときばかり。
暗い教会堂などで、光の縞が斜めに降りてくる情景を目にすると、深く心揺り動かされます。
そういう特別な時間はあまりに儚くて、陽が動けば、あっという間に失われてしまうのです。
日々の小さな感動は、どこにだって転がっているものです。
光はどこにだってあるものですから。
見つけ方がわからなければ、ステンドグラスや色ガラスを使うといいかもしれませんね。
ベートーヴェンのフーガとは、嘆きの歌の闇が天上の光へと導かれて、悲しみが浄化されて心が晴れてゆく情景を作り出すための舞台装置でした。
深い悲しみがあったからこそ、天上から差してくる光が闇の中に沈んでいたベートーヴェンには見えたのでしょう。
音楽を愛されるあなたならば、ベートーヴェンの嘆きのソナタが、教会堂の光の代わりにもなるかもしれませんね。
良い光があなたのもとに届きますように。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。