海外生活日記: Memory Lane
四千字弱の写真エッセイ。
「一枚の写真は千の言葉の価値がある」という思いで、今回は言葉少なめに、これまでに撮りためてきたアイフォンの中の写真をアップロードしたいと思います。
この英語のことわざ、漢語の一目瞭然の訳語としては正しくない。写真は千の言葉と同じほどの価値があるという意味なのですから。見ればわかるとはわけが違う。
見ることで想像力が喚起されて、そこには描かれていないものにまでも、思いは及ぶようになるのだから。
日本から南へ南へ赤道を超えて、さらに南に下り、ようやくたどりつける、南太平洋のニュージーランド北島のほぼ真ん中には、世界で最も大きなカルデラ湖と呼ばれているタウポ湖があります。
火山噴火から生まれた大きな水たまりのような、美しい湖からあふれ出てゆく大きな川は、遠い遠い西寄りのタスマン海にまでも通じてゆくのです。
タウポ湖から北に向かって、長く長く流れてゆくワイカト川沿いには、豊かで美しい水の流れに沿うようにして、古くから数多くの街が作られてきました。
私の住んでいる街はそのような川沿いの街のひとつ。
街はたくさんの水に恵まれていて、市内にはとても美しい湖もあり、滔々とたくさんの水を運んでゆくワイカト川を見下ろすことができる場所は憩いの場として、市民たちに愛されているのです。
陽光が水面に煌めくと、この世にこれほど美しいものは数少ないのではないかとさえ、錯覚せずにはいられない。
シューベルトの「水の上にて歌える」がこだまするよう。
流れる水を見ていると心が安らぐのは、いつの時代にも、どこの土地の人にも同じ。
川や湖のそばには、流れてゆく水を眺めるに恰好のベンチが数多く置かれているのも、むべなるかな。
上代の日本の随筆家は「ゆく川の流れは…」と深い感慨を書き出したものでしたが、いつの時代においても、流れる水を眺めてわたしたちは、だれもがとりとめのない空想に耽りたくなる誘惑に捉われずにはいられないのです。
そしていつの日か、そんなふうなもの思いを愛した人たちが、そこに自分がいたという痕跡をわずかながらも残そうとするのは、忘れられてしまうことへの寂しさゆえなのでしょうか。
市はそんな彼らの願いを叶えてやるために、死後に市に対して寄付を送ることで、彼らに川や湖沿いに置かれた市民憩いのベンチに言葉と彼らの名前をプレートに彫りつけて残すことを許したのでした。
とてもよい施策であると思います。
わたしは川や湖のほとりを散歩するたびに、わたしと同じように川や湖を愛した人たちの言葉に特別な注意を払うことにしてきました。
格言にでもなりそうな知恵ある素敵な言葉であることも、自分がここにいたのだと家族にただ伝えたいがために残された、どこかその人のエゴを感じさせてしまう言葉であることもある。
今回は、そんな美しい水辺の傍に残された、プレートに彫られた英語の言葉と私が見てきた美しい水辺の風景を紹介したいと思います。
ロトロア湖のほとりにて
たくさんの水鳥たちの住まいであるレイク・ドメイン。
鏡のような水面が眩しいほどの空の青さを吸い込んでいる。
鏡面世界の不思議。
この湖の水面を眺めていると、なぜかオランダ・デルフトの何でもない風景を描いたフェルメールの名画を思い出します。
この風景にはデルフォイの名画に描かれた、レンガの建物や港や船の姿もないのだけれども、比べてみると、デルフトの雲と私の街の雲はあまりにもよく似ているのです。
雲は世界中どこだって同じかもしれないけれども、フェルメールの雲はフェルメールにしか書けなかった雲。
ターナーにもラファエルにも描けなかった雲。
ニュージーランドのマオリ名は「アオテアロア=長い雲のたなびくところ」。
フェルメールのデルフトの雲がアオテアロアの雲に通じるなんて、我ながら不思議な発見でした。
湖を一周するに必要な時間は、ゆっくりと歩いて小一時間ほど。
散歩やジョギングに程よい円周の湖。
湖のほとりには、たくさんのベンチが置かれていて、そこにはこの風景を愛した人たちの言葉が銅製のプレートに刻まれています。
もういなくなってしまった、湖を愛した人たちの思い出のための言葉たち。
まだまだあるのですが、特にすてきだなと思った言葉がこんな言葉たちでした。
湖畔を散策しながら、こうして過ぎ去っていった人たちの言葉に出会える場所。
わたしの全然知らない人たちなのだけれども、誰の言葉にも共感せずにはいられなくなる。
同じように湖を愛してきたことで彼らと通じ合うことができるのです。
湖畔の散歩道は、こんなふうなもの思いの場所なのです。
Memory Lane を歩むことができる場所。
ワイカト川のほとりにて
街の中央を横断するワイカト川のほとりには、有名な観光名所が存在するのですが、外国人観光客でにぎわうような場所は避けて、わたしはひとり、川べりを歩いてゆきます。
人込みから遠く離れた場所には、やはりここにもたくさんの言葉が刻まれているのです。
この二枚の写真は少し種類が違います。
ハミルトン市は日本の埼玉市と姉妹都市になっていて、ニ十周年を記念して、桜の木が植えられたのでした。
あまり誰も気に留めないのだけれども、遠い日本の人たちとの交流はこんな風にずっと続いているのです。
日本は遠いようで、意外と近い。
古楽器演奏家の鈴木雅明さんや寺神戸亨さんとか、何度か演奏旅行に来られたこともあるし、この間のサッカー・ワールドカップでは、なでしこJAPANが試合をしにやってきたし。
秋にはこのように、円形に葉を落とすのが見事。
ダイアナ妃のことも、こうして川のほとりの時の記憶に刻まれている。
この川沿いの美しい土地に住み着いた人たちのほとんどは元々は外国人。
そんな人たちがこの町の歴史を作ってきたのです。
そして川や湖を守ってきたのです。
わたしも日本からの移民、そして、わたしのような人たちがこれまでそうしてきたように、わたしもまた、美しい川や湖を愛して生きて来ました。
この街に住んで二十数年になります。
美しい流れは一日のいろんな時間ごとに違う様相を見せてくれる。
日暮れ前の二時間ほどがわたしのお気に入り。晴れている夏の日などは、晩御飯を食べた後、日暮れまで散歩したりします。
今日はここまで。
最後はマオリ語で「またね、良い日曜日を」。
太平洋諸国の言葉は日本語と同じで、平べったくてアクセントがないので、わたしが日本語を喋るように、マオリ語を読み上げると、ネイティブそのものです。
Rだって日本語のラリルレロと同じ。
英語的に舌を引いたりしない方で、喉も振るわせない方が、マオリ語のRに近くなる。
日本人が英語なんて母語とかけ離れた言葉を喋っているのが間違いですね。
日本人には英語は難しすぎる。
人生の半分以上をかけて、発音矯正して、英語ネイティブと対等に話せるようになるために、セミ・ネイティブな英語能力を身に着けたのだけれども、絶対にマオリ語のほうが英語なんかよりも美しい。
だって私の母語である日本語の響きそっくりなのですから。
Kia pai te Ratapu!
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