ベートーヴェン最後の年<2>:「最も深い感情で感じて」
作曲家の最期
ドイツの大作曲家ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770-1827) が晩年の貴重な最後の10年の、作曲以外の全精力を注いで「立派な人」に育て上げようとした甥カールが自殺を試みたのは、疑いなく自我ある自分をいつまでも子供扱いする偉大な叔父への反抗ゆえ。
当てつけのための自殺未遂でした。
負傷した甥カールの傷の療養のためにグナイクセンドルフの弟ヨハンの家で2か月余りを過ごしたのは1826年9月28日から12月1日まで。
しかしながら当初2週間余りだった滞在は長引いたがためか、最後にはヨハンと大口論。子を持たぬ裕福な弟ヨハンの財産の遺産相続人にカールを指名せよと揉めたとか。
喧嘩別れした兄弟の兄は乗合馬車を手配できずに厳寒の12月、幌もない牛乳運搬馬車にカールと共に乗り込んで一泊二日でウィーンに帰り着くも肺炎を引き起こすのです。医者にもすぐに会えず、やがてはその病がかねてより作曲家を苦しめていた疾患を悪化させ、四か月後の1828年3月26日に肝硬変を主因として死去。
人生最大の愛を注いだ甥カールは軍人として遠方にいて叔父の死に目には間に合わなかったのでした。
カール・ベートーヴェンは叔父の死後の1832年に除隊。やがて商社員となり、結婚して五人の子をもうけて、まるでビジネスマンとして成功した伯父ヨハンのように経済的に恵まれた晩年を過ごして1858年に52歳で死去。
幸福な後半生を送ったと言われています。
作曲家ベートーヴェン最後の作品は、弦楽四重奏曲第13番のオリジナルなフィナーレがあまりに長大難解ゆえに書き換えを要求されて、その代わりとなるフィナーレの作曲でした。
オリジナルはあらゆる面で規格外の音楽史上最強の音楽の一つである大フーガ作品133としてのちに独立した作品として出版されることになります。空前絶後の名品ですが、これほどに難解な音楽も珍しい。21世紀の今日に置いても。まさに未来の音楽。
しかし作曲家は代替えフィナーレが最後の作品となるとはつゆ知らず、遺品には交響曲第10番の草稿、大作オラトリオ「サウル」や新しいオペラの構想などが遺されていました。
わたしは老いたベートーヴェンはこの世の誰にも理解されずに、だからこそ天におわす神のみが理解できる音楽の製作に没頭したのだと思います。
もはや色恋などと無縁となった病んだ体の作曲家のインスピレーションの源は彼岸の世界への憧憬だったのだと、わたしにはそう思えます。
晩年の幸福
壮年時代の演説的と言われる聴き手を圧倒し、聴き手に精聴を要求する音楽を書いていた男は、やがて現世での幸福を棄ててモノローグのような閉じた音楽を書くようになるのです。それがベートーヴェンの後期音楽で、いわゆる個人的感情を表出することを主眼とするロマン派音楽の先駆け。
ベートーヴェン中期の音楽の代表は「ダダダダーン」や「ダンッダンッダンッ」の響きで知られる運命交響曲や熱情ソナタや英雄交響曲。
それが晩年に及ぶと内面にのみ語りかけるような音楽へと変容するのです。
当時50代のベートーヴェンは今でいうところの70代か80代の年齢の人生経験に等しいものを体験したことでしょう。
自分以外の誰も理解しえない前衛音楽をひたすら書く作曲家はそれで人生の意義を悟り満足したか?
誰も理解しえない新しい個人的感情を盛り込んだ音楽を書いていた彼にはもはや共感は必要なかったのか?
いやもちろん求めていた。その証拠は彼の書き残した晩年の楽譜に幾つも見つけることが出来ます。
この言葉、mit inngster Empfindung (最も深い感情で感じて)
ピアノソナタイ長調作品101から
ピアノソナタホ長調作品109から
楽譜とは音を表す記号です。
でも楽譜に書かれた記号は即物的な音でしかなく、演奏家はその記号に感情を込めて歌い踊るものです。ですが、音楽用語は18世紀から19世紀初頭において、ほとんどはベートーヴェンにとっての外国語であるイタリア語で表記されるものでした。そしてその表現もCon spirito(元気に)だとかCantabile(歌うように)と杓子定規な物ばかり。
もしあなたが誰かに大切な思いを伝えたいとき、何語で語りますか?
母語である日本語ではないですか、貴方がどんなに英語や中国語やドイツ語に堪能だとしても?
ベートーヴェンも同じでした。
だからカンタービレCantabileよりもドイツ語でGesangvollと表記して、イタリア語にはない自由な表現を楽譜に書き込むことにしたのです。
こうしたことを始めたのは晩年の作品から。作品番号でいえば100番台から。そしてカールの物語に引用した作品132の感謝の歌にも。これはベートーヴェンの自筆譜の感謝の歌の冒頭。
辛うじてmit inngster Empfindungが読める
この言葉はベートーヴェンの祈りのようなもの。
しばしば腕の立つピアニストは音符を記号としかみなさずに弾き飛ばすけれども、そうではなくベートーヴェンは感情のある音を奏でて欲しいと書いている。
作曲家は心から彼の音楽を弾く人に共感して欲しがっている。こんな言葉は満たされている芸術家の口からは決して出てこないもの。ロッシーニとかパガニーニとかメンデルスゾーンとか。
でも満たされぬ魂であるベートーヴェンはただの音符に心を込めて欲しいと書いている。精神論者ベートーヴェンの面目躍如たるところ。
心から心へ
作曲家畢生の大作であるミサ・ソレムニス作品123の冒頭に掲げられた言葉は
つまり「わたしの心からあなたの心へ届きますように」。
こんな腹の底から絞り出したような言葉は現世において幸福であった男の口から出る者ではないのでは。私はそう思います。
期待過剰からの幻滅、
夢破れて絶望、
病による死への恐怖、
その裏返しの死後の幸福、
羨望、
舌禍、
後悔、
諧謔、
謝罪、
憤怒、
古き友情、
友愛、
許し etc.
そうしたもので満たされていた晩年のベートーヴェンの生活。
会話するにも会話帳に言葉を書き込んでもらわないと理解できない不便。
あまりにも深くて理解されない言葉、言葉、言葉!
言葉では言い表せない感情と想い。
だから音にする。でも楽譜にするとただの記号。
だからせめてもとドイツ語で少しばかり言葉を添える。
音楽世界の共通語のイタリア語ではない、母語であるドイツ語で。
最後の作品群が伝える思想は(音楽に思想などないという方はベートーヴェンには無縁な方ですね)諦念と遠い世界や失われた夢の憧憬。
空気の振動でしかない音は正しい周波数を組み合わせることで意味深い音となり、言葉となります。言葉となった音は正しい文法で語られるとき、詩となり、物語る散文となり、哲学する思想となるのです。それが古典と呼ばれる音楽です。
晩年の肉体的にも精神的にも満身創痍のベートーヴェンは幸福だったでしょうか?
作品にあふれる幸福の感情はどこから来たのでしょうか?
きっと生涯得られることのできなかった幸福への憧れが音化されているのです。こんな音楽は他にありません。ありえません。だから神格化されているのです。間違いなく音楽世界世界遺産のなかの世界遺産。
若き日に多くの女性に出会いながらも遂には結ばれず、生涯最後の恋であった Immortal Beloved(不滅の恋人)の愛を得られなかったベートーヴェンは、得られることのなかった失われた叶うことのなかった想いを永遠に失われることのない音にしたのです。
その後の甥カールへの父性愛をも本当には完結されることはなく。こうした音を音化しようとした作曲家は空前絶後です。
だからこそベートーヴェンの最晩年の音楽は200年後の我々の心をも打つのです。永遠に古びることなく、非宗教者の心にも宗教的感情を呼び起こさせる崇高な愛の音楽、それが最晩年のベートーヴェンの音楽なのだと思います。
まとめ:
大作曲家の最愛の甥であるカール・ベートーヴェンは、ヨハンとは違って仲が良かった、もう一人の早世した弟カールの忘れ形見(父親と息子は同名なのです)。甥カールにはルードヴィヒ叔父を本当に理解することなど全くできなかった。だからこそ、全く別の幸福を求めたのです。
カールは偉大な芸術家である叔父の手から逃れて、もう一人の父親の兄弟であるヨハン伯父のような現世的な幸福をやがて手に入れる。
カールには悩める魂であるルードヴィヒ叔父とは全く別の世界を歩み、そして天に召されました。幸せな一生だったのではないでしょうか?芸術家の叔父を通じて自分の幸せとはなんであるかを知ることができたのですから。
世の多くの人は幸福の意味を知らずに死んでゆきます。
現世的な幸福を勝ち得たカールとは全く違った魂である、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの想いは、その長き苦悩の軌跡である作品番号で130を優に超える作品群に中に深く刻み込まれています。
満たされぬ愛、夢破れた男の想いに共感する全ての人にとっての同伴者となる音楽、それがベートーヴェンの後期の音楽なのだと思います。
若々しい生命力あふれる初期の音楽や、壮年期の圧倒的な中期作品とは全く違う音楽。ひとはこんな風に変わり続けてゆくのだとしることは本当に感慨深いものです。
最後に全曲が完成された作品である作品135番。作曲家特有のユーモアと深い祈りとが混然と一つの作品に詰め込まれている不思議な作品です。