ローベルト・シューマンのピアノ小品拾遺集(作品99)の行進曲

大作曲家フェリックスの姉ファニー・メンデルスゾーンの伝記を読んでいて、もっともファニーらしさのよくわかるエピソードの一つだと思ったのが晩年のシューマン夫妻とのエピソード。

演奏旅行を繰り返していたクララ・シューマンは1840年代にベルリンのファニーと親交を結びます。ファニーの死の1年前の1846年にはファニーは自宅(大邸宅)で開催していた日曜日定期演奏会でシューマンの二台ピアノためのアンダンテと変奏曲(作品46)などを取り上げたりしますが、面白いのは日記にシューマンの歌曲などに対して「自分にはこのシューマンは分からない」と書くなど、ローベルトの作品に対して明白な嫌悪感を表明していることです。

「クララさんはいいとしても、あの無口な旦那のローベルトの作品って最低、何この変な和声進行、構成めちゃめちゃ、これのどこがいいの?🤔」という心の声が聞こえてきそうです。

弟フェリックス同様に、子どものころからバッハとベートーヴェンで英才教育を受けていた超保守的ロマン派主義者ファニーには、メロディが明確ではない断片のような音型がつなぎ合わされるローベルトの音楽は全く理解できなかったことでしょう。

わたしもファニーのようにバッハ大好き人間なので、ファニーの嘆きを共感してみようと、このところシューマンばかりを聴いたりピアノで弾いてみたりもしてみました。

メンデルスゾーン姉弟好みの古典的構成美をシューマンがほとんど意識していないのは確かだけれども、最もシューマン的な音楽って何だろうと考えてみると、巷で言われているような夢想的な音楽よりも(トロイメライとか)拍子感のあるリズムを駆使して作り上げる独特な行進曲ではないかなと思い至りました。

夢想的な音楽はショパンやリストにもあり、シューマンの専売特許ではありません(シューマンの夢想は独特ですが)。でもやたら1212の強拍と弱拍で繰り返されるリズムが大好きなのはシューマンだけの持ち味。

ダヴィッド同盟舞曲(作品6)も謝肉祭(作品9)もフィナーレは元気な行進曲。子供の情景(作品15)にも行進曲的音楽が含まれています。シンコペしていたりして行進できない、どこか歪な行進曲なのがロマン派らしい。こんなにいろんな行進曲を書いた作曲家はシューマンだけでしょう(そして後継者が20世紀のショスタコーヴィチ)。

わたしはシューマンの音楽の独特なリズムに惹かれます。規則的なようでいて、やがてリズムがずれておかしくなってゆくのがなんとも面白いのです。

今回いろいろ聞いた中で素晴らしいと思ったは過去の未出版小品を一セットにして出版した作品99の曲集の最後の「速い行進曲 Geschwindmarsch」(作品99-14)。

マーチなのだけれども、途中でいろんな楽想が混じりこんできて、規則的に足踏み(行進)できなくなる。でもやっぱり行進曲。ダンダダーンって感じの力強いリズムの音楽が自分には最もシューマンらしい音楽。でも断片的で決してベートーヴェンのように展開しない。

「想定外に」変化してゆくローベルト・シューマンの音楽を古典主義者ファニーが理解できなかったのは当然のことでしたね。

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