見出し画像

2028年のレトロ・フューチャー「未来少年コナン」

「世界名作劇場」などの昭和アニメで一世を風靡した日本アニメーションが創業50周年を記念して、今では古典として語られる往年の名作をYouTubeで無償で公開しています。

1975年の「フランダースの犬」から始まって2025年で50年。

広告付きのYouTubeですので、視聴者が無償で見ても日本アニメーションさんには広告料が支払われるために、たくさん見れば見るほど日本アニメーションさんに収益がもたらされます。

このように高水準のアニメを無償で提供してくれて悪いなあなどと言う気遣いは一切無用で思い切り何度でも鑑賞できます。

素晴らしいことですよね。

動画は日本国内のみで視聴可能。

海外在住の方はVPNを日本に設定しないとアクセスはできません。悪しからず。

そこで全てのエピソードを無料で鑑賞できる作品として見つけたのが

NHKアニメ「未来少年コナン」全26話

でした。

わたしは昭和生まれで宮崎アニメを見て育ったような世代です。

でも「未来少年コナン」は最初から最後まで見る機会はなくて、小学生の頃に「風の谷のナウシカ」をテレビ放送で初めて見て感動して、その後「ルパン三世・カリオストロの城」や「天空の城ラピュタ」に夢中になりました。

大人になってからは「天空の城ラピュタ」や「となりのトトロ」などのDVDを英語ネイティヴの子供たちに日本語学習のために何度も見せていたので、一緒になって見て「ラピュタ」や「トトロ」は作品の全てのセリフを諳んじているほどです。

英語吹き替えで見てみると、文化的に翻訳不可能などもあり、とても興味深いものです。

けれども「未来少年コナン」は劇場映画ではなくテレビ放送だったために、これほどにジブリ作品がスキなのに、一度も「未来少年コナン」を見たことがなかったのです。

満を持して日本アニメーションがYouTubeで全エピソードを高画質で公開してくれたことは素晴らしい体験でした、

休みを利用して一週間ほどかけて全26話を堪能しました。

とても面白かったです。今まで見なかったことを残念におもったほどに。

スチームパンクな世界が大好きなので、こういうレトロフューチャーものは元々大好きなのですが、「未来少年コナン」は演出を担当した宮崎駿の実質的な初監督作品なだけあって、宮崎駿の魅力の全てが見事に込められています。

ちょうどエヴァンゲリオンシリーズを製作した庵野秀明の原点が「ふしぎの海のナディア」(1990年)であるのと同じですね。

「ナディア」にはエヴァの元ネタの全てが既に登場しています。

同じように「未来少年コナン」には、1984年の「風の谷のナウシカ」と1985年の「天空の城ラピュタ」で繰り返される宮崎駿が大好きなテーマが全て含まれていて、処女作には創作者の全てが含まれているという言葉は真実なのだと感じ入りました。

特に「ラピュタ」を知り尽くしたうえで「コナン」を見ると、「ラピュタ」は劇場版「未来少年コナン」!ではないのかと思えるほどです。

登場人物のキャラ造形も作品展開のテンプレもそっくりです。

  • 女の子が悪の組織に誘拐される

  • 男の子が健闘して逃走する女の子を救出

  • 誘拐犯は実は使い走りで背景には悪の組織が存在

  • 女の子は悪の組織に奪い返される。

  • 誘拐犯は実は良い奴で仲間になる

  • 仲間を得た主人公は女の子を救出して、束の間の幸福を味わうが、悪の組織に女の子は奪い返される

  • 守られていた女の子は実は強い意識を持った子で悪の組織に立ち向かい、男の子と一緒に決死の覚悟で相手の野望を打ち砕く

  • 世界に平和が訪れてハッピーエンディング

主要キャラクターも次のように後年の作品と全く重なり合います。

  • 主人公コナン→「天空の城ラピュタ」のパズー(性格も行動力もキャラデザインもほぼ同じ。パズーはコナンの分身ですね。

  • ヒロイン・ラナ→「天空の城ラピュタ」のシータ(出会いの場面から喋るセリフも劇中の役割も全く同じ。ヒーローを助ける強いお姫様的存在「カリオストロの城」のクラリスやシータもまたラナの分身。カモメのティキと話ができる。動物に愛されるのは中世以来の無垢で純潔の少女の特性。

  • 敵側の女性で主人公に心を開くモンスリー→「風の谷のナウシカ」のクシャナ(映画ナウシカではクシャナの物語は完全には描かれなかったけれども、立ち位置は全く一緒。)

  • コナンの親友ジムシィ→これはナウシカやラピュタにないけれども「トムソーヤの冒険」のハックルベリー・フィンを彷彿とさせる。1980年の世界名作劇場「トムソーヤの冒険」を知っていると、「未来少年コナン」が世界名作劇場に影響を与えたのではとも思えてしまう。ジムシィは笑いを誘うキャラなので、「天空の城ラピュタ」のドーラの息子たちに特性は受け継がれています。

  • トリックスターな船長ダイス→「ルパン三世・カリオストロの城」の銭形警部、または「天空の城ラピュタ」のドーラの息子たち(特に長男シャルルは体系もそっくり)。日和見で自分勝手だけど根はとてもいいキャラであるダイスのキャラ造形は秀逸。

  • ラスボス・レプカ→「天空の城ラピュタ」のムスカ。誰が見てもこの二人は双生児。あまりに似ているので驚きましたが、ウィキペディアによると、製作者側も同じ血統の人として認識したうえで、ムスカはレプカの後継者として意図的に作られたそうです。

アニメってやはり魅力的なキャラがいて初めて面白くなるのだなと心から思いました。

映画として面白くても、キャラの個性が薄いと感情移入できないですからね。

個人的な思い入れのためかもしれませんが、わたしは初期の宮崎アニメの方が後年の作品よりも好き。

作品としては立派でも感情移入できないキャラばかりの「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」や「崖の上のポニョ」や「風立ちぬ」は何度も見たいとは思えないのです。

作品をキャラの魅力で引っ張るのではなく、キャラを超えた大きな物語が作品を動かす要素になったとも解釈できますが。

それで「未来少年コナン」ですが、またもう一度是非見てみたい!。

もう一度、コナンやラナやジムシィやダイスやモンスリーに会うためにもう一度見てみたい。

こういうアニメは自分には珍しいかも。

最近見たもう一つのアニメ「Dr. Stone」も魅力的なキャラが一杯でした。

「未来少年コナン」には冒険活劇の面白さの全てが詰まっています。

AI化してみたラナ

2028年のディストピア

「未来少年コナン」は1978年の製作でしたが、物語はその30年後の2008年に世界大変動が起きて、文明は失われて、その20年後の2028年がコナンたちの物語が幕開ける世界です。

つまり2025年のわたしたちの世界よりも未来の物語なのですが、いろいろと1978年のサイエンスフィクションなので、われわれの生きている現実の2020年代とは異なります。

つまりレトロ・フューチャー。

地球の地殻を揺り動かすほどの電磁力は2025年のわたしたちは持ち合わせていないけれども、わたしたちはインターネットなどの通信技術において20世紀のSF作家の想像力を超えています。

ワイヤレスではない電話など、現代の当たり前のインフラとなった電波による通信機器は20世紀のSF作家たちがほとんど思い描かなかったものです。

コナンたちの生きる世界は、21世紀の科学力に驕り高ぶった人類が地球を破滅させてしまった世界で、この図式は「風の谷のナウシカ」に似ていますが、環境汚染という要素はあまり強調されずに、破壊されてしまった文明世界は荒廃してもやがては緑の芽が大地から伸びてきて地球は再び再生するという世界。

映画ナウシカの最後は腐海の深窓の砂の上に緑の芽が生えているという印象的な場面で終わりましたね。

ナウシカの最後の場面
緑の芽に注目!

でも「未来少年コナン」はまだナウシカの世界ほどには荒廃していなくて、まだ再生能力のある台地がこれから蘇ろうとしている世界を再び破壊してしまってはならないというのが作品のテーマです。

だからもう一度、かつて存在していた美しい麦畑が育つ世界を再び作り上げようという理想は美しいし、作品中盤の世界地殻変動でも海に沈まなかった唯一の島であるハイハーバーでの生活は本当に美しい。

「天空の城ラピュタ」ではラピュタに辿り着いたパズーとシータがほんの一瞬だけ平和で緑に満たされたラピュタの廃墟を歩くシーンと共通します。

映画「天空の城ラピュタ」ではほんの一二分だけれども、「未来少年コナン」ではこの場面が数話に渡って描かれていて、心洗われます。

これから見る人のためにネタバレはしませんが、親のいない少年と少女の成長という宮崎アニメの根幹となるテーマも含めて、宮崎駿が描きたかった全てが「未来少年コナン」の世界には存在しているのです。

昭和のアニメの魅力

アメリカのディズニーアニメは徹頭徹尾、子どものためのアニメとして作られていて、大人が見ても面白い要素は少ないのですが、ディズニーとは違ったアニメを作ろうと志したらしい日本の昭和アニメには、子どもが主人公だけれども、大人が見ても楽しめるアニメとして出来上がっています。

「フランダースの犬」を見れば、わたしは80歳を超えて息子夫婦の遺したネロを育てようと必死になっているおじいさんにわたしは感情移入します。そしてネロを酷く扱うアロアのお父さんの立ち位置も理解することが出来て、なんとも複雑な思いを覚えずにはいられません。

日本アニメーションではありませんが、「アルプスの少女ハイジ」では若い頃にスイスの傭兵として外国の戦場を渡り歩いて戦場の悲惨さを見て心を閉ざしてしまったアルム爺に同情せずにはいられない。

「世界名作劇場」のどの作品を見ても、大人たちがしっかりとした人格として描かれている。インド人系のペリーヌの母親彼女を受け入れないペリーヌの祖父

「南の虹のルーシー」の英国政府に騙されて移民して土地を持つことが出来ずにお酒におぼれてしまう父親や、アル中のディトン先生お金持ちで貧乏人を相手にしないペティエル

「小公女セーラ」のセーラの境遇が変わると手のひらを返したように豹変して彼女を酷く扱う大人たちや「小公子セディ」の英国貴族に偏見を持つアメリカ人たち。

本当にいろんな大人たちが現実世界の等身大に描かれていて、子どもたちの視点に近い世界から描かれていたとしても、こうした現実世界は今のアニメを見てもどこからも学ぶことが出来ないことばかり。

現代の平成令和のアニメにはリアリズムがなくなってしまったのか。

文学的な世界を描こうとしなくなったということなのでしょうね。

ヒューマニズムを映像化できなくなってしまったのか。

冷戦時代のSFが原作

「未来少年コナン」は冷戦時代の米ソ対立を下敷きにして大量に書かれたディストピア小説の一つの

アレグザンダー・ケイ(Alexander Key)作
「残された人びと(The Incredible Tide、大津波)」

Keyはキーなはずなのにケイ

が原作だそうですが、ウィキペディアによると他の世界名作劇場同様に原作を相当に改変していて、それが「未来少年コナン」の魅力なのです。

テクノロジーを復活させて文明社会をよみがえらせようという原作と、自然を再び荒廃させない共存してゆこうというアニメ。

オンラインでPDFを見つけて92ページでした。

英語の児童文学なので、原作は数時間で読めそうなので、読んでみてもいいかなとも思うのですが、きっとアニメほどには魅力的ではないのでしょうね。

原作の冒頭を少し訳してみるとこんな風:

コナンの唯一の友人である海鳥たちは、夜明けになると叫び声をあげ、小屋に小石を落としてコナンを呼び起こした。小屋に小石を落とした。コナンは急いで外に出て、狭い浜辺に駆け下りていった。魚の群れが潮干狩りの仕掛けのひとつに入り込んだのだ。鳥たちは鳥たちは魚がかかるといつもこう呼んでいた。しかし仕掛けはすぐに空だった。それでもカモメやアジサシは彼の周りを旋回していた、大騒ぎだ。

彼らは彼に何を伝えようとしているのだろう?

彼は振り返り、岩だらけの小島の一番高いところまで階段を駆け上がった。
昔作った石の台に登った。周囲を見渡すと、周囲を見渡すと、ただ何もない。両側の遠くにぼんやりと見える。この2つの小島が、彼の世界の境界だった。その向こう、霧に覆われた海には、水平線さえも見えなかった。

「何が見える、ティキ?」と彼が尋ねると、アジサシが近くを旋回した、ティキは尋ねた。「どこにあるんだ?見せて!」。アジサシはその羽ばたきで彼の頬をなでると、高く旋回し、東の小島の方向へ飛び去った。
東の小島の方向に飛び去った。他の数羽もそれに続いた。コナンはその鳥たちが霧の中に消えていくのを見送った。何かがそこにいた。しかしそれは小島のはるか向こうにあり、ここからは見えなかった。クジラ?いや、クジラの群れだろう。クジラの群れだろう。クジラの群れだろう。
他にない。現存するもので、これほど大きく、これほど珍しいものはない。
なかった。そうだろうか?

ティキはアニメではラナが心を通わせる鳥
コナンとも通じ合えているようで興味深い
原作では鳥の名前は”Tikki”なので
ティッキという表記が正しいですが
アニメに合わせました

次のような方々に「未来少年コナン」はお勧めです。

  • 子どもの頃に見たけれども、もう何十年も「未来少年コナン」を見ていないという人:大人になって見るとあのころとは違って見えます!あの頃のテレビの画像よりも原題のインターネットで見る画像はより鮮明です。

  • 「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」のような20世紀の初期宮崎アニメが大好きだという人:宮崎アニメの原点を知ることが出来ます

  • 毎回ドラマティックに物語が展開する冒険活劇が好きな人:見るのを止められなくなるので時間のある時にどうぞ!

  • サイエンスフィクションが好きな人

  • お姫様が王子さまに救出されるようなロマンティックラヴストーリーが好きな人:一目惚れした同士の12歳のコナンとラナの最高のラヴストーリー!

  • 世界にはいろんな人たちがいて誰もがそれぞれにその人にしかない役割を持っているという群像劇が好きな人:細部までよく書き込まれているので何度見ても新しい発見があります。

  • リアリズムを突き詰めた作品ではなくて、アニメらしいデフォルメ表現が楽しいので、アニメらしいアニメを楽しみたい人には素晴らしい作品。育ての親のお爺を失くしたコナンの哀しみなど、アニメならではの演出が素晴らしい。

21世紀の水準で見るとやはり1978年のアニメですが、作品を製作した日本アニメーションによるオリジナル映像は、レトロアニメだけれども、デジタルアニメが全盛の2025年のいま見ても、驚くほどに美しい。

日本アニメーションのYouTube動画、もしかしたら公開されているのは今だけですよ。見てみないならばお早めに!

少しだけ現代風に可愛くAI加工してみたコナン
ギガントの翼の上を駆けてゆく直前のコナン
物語最高の見せ場です!

現代の寓話

アニメの名場面を
リアリスティックにしてみると(笑)

「未来少年コナン」は現代の寓話です。

米ソ冷戦時代の真っただ中に書かれた原作は、第三次世界大戦が起きて、文明社会は津波によってのみ込まれてしまったという設定。

生き残った人たちも圧倒的な「政府」の力によって搾取されて苦しめられているという、共産主義国家を典型的な仮想敵とみなしたディストピアな設定です。

超絶的な権力を持った国家がすべて悪くて、個人は国家によって搾取される存在という図式は20世紀の典型的なディストピアなサイエンスフィクションですが、21世紀のディストピアはこのような一筋縄で行くようなものにはなりえません。

環境破壊は国家さえも超えた全ての人たちの問題で、我々はそういう認識を誰もが抱いているのです。

けれども、「未来少年コナン」が描く行き過ぎた文明の発展を辞めて持続可能な緩やかな文明と文化の力で世界を大事にしてゆこうという理想的な未来像はいまもなおわたしたちには大切なものです。

絶対権力を行使する国家やそれを支配するレプカのような政治家という絶対悪を排除すれば世界は美しく蘇るような幻想はもはや描くことが出来ないのが21世紀。

世界は緩やかな文明力の退化を目指してゆくのではなどという幻想さえも思わずにはいられません。

GPSを使いすぎて、もはや現代人のほとんどは地図を読めないし、かつて誰もが持っていた方向感覚もすでに失ってしまっただろうし、このNote記事もコンピュータに向かって書いているように、もはや紙の上にペンを持ってアナログに日記や手紙や仕事での書類を描いたりすることもありません。

スマホなどによってあまりにもたくさんの情報が一度に入ってくるために、わたしたちの物事への認識能力も変化してしまった。

読書するにも、本は隙間だらけで読みやすさばかりが考慮された本ばかりが読まれる始末。

手紙を書いて届くことを待った利する文化も失われました。

「未来少年コナン」のような作品を一週間先の放送を待って、一話ごとにじっくりと見るようなことも少なくなりました。

一つ一つの作品の価値さえもかつてほどには意味深くなってしまっているかもしれません。

「未来少年コナン」が描かなかった情報伝達網の文明社会の発展のために、知らずにわたしたちの様々な能力は衰えています。

これがきっとこれから来る本当のディストピア。

物事への理解力と認識能力があまりにも変わってしまった世界が訪れようとしています。

「未来少年コナン」では誰も本を読まなかったし(本も失われてしまった、文字を書くこともなかった)誰も音楽を奏でなかったし、歌も歌わなかった。

これもまたディストピア世界あるあるな現実なのかもしれません。

わたしは芸術音楽のない世界に生きていたいとは思えないし、文字のない世界も想像さえもしたくない。

原初の世界に帰って、食料を作り出すために働くばかりの毎日なんてわたしにはディストピアです。

ある人たちにはそんな中世世界のような毎日が理想郷だとしても(もしかしたらコナンたちの夢見る世界)。

世界を導く経営者たちは皆SFを読むのだそうです。

仮想社会を考えることで未来について考えて想像して、世界をどう導いてゆけばいいのかを考えるからだそうです。

SFなんてくだらないという人は「未来とは」を考えるために「未来少年コナン」を見てみるといいかもしれませんね。

そうでない人はこんな未来があるかもしれないと考えることで今ある現実を別の角度から眺めることが出来るようになるかもしれませんよ。

わたしはそうだったように…


コナンたちのことを語れると楽しいので、日本アニメーション50周年記念の「未来少年コナン」を見られたという方はコメント欄に感想を書いてくださると嬉しいです。

最後に日本に数ある名作アニメの中でも、歴代ナンバーワンな「ツンデレ」モンスリーさんの、もしかしたらヒロイン・ラナよりもかわいいかもしれないこの画像で終わります。

第一話からインダストリアノ司令官の怖い敵役として登場して、最後の第26話にこんなになってしまうモンスリー。

最初から見てこの場面に最後に辿り着くと、きっとあなたはモンスリーが大好きになってしまいますよ!

もしかしたら宮崎アニメ最高のヒロインは、ラナでもナウシカでもシータでもなくて、モンスリーなのかもしれません!

バカね💛
劇中合計9回モンスリーはこのセリフをしゃべりますが
英語に訳すとすれば
場面ごとにニュアンスが変わるので
同じ「バカね」も別の訳語になってしまいます
この場合は
You Silly!
くらいがいいですね!
この後に続く言葉は「俺は世界一の果報者だ!」
まだ見ていない人は誰のセリフか当ててみてください

おまけAI画像

モンスリーの画像をいじってみました。全然別の絵になるのですが、なかなか面白い。

ほぼ一週間ぶりのNote投稿でした。

今年は記事を量産しないで週に一度くらいのペースで書いてゆきます。

今年は本を書いてゆきます。Note有料記事はほとんど売れませんが、Kindleでは確実に着実に収入になります。クラシック音楽のためのメンバーシップは検討中です。

もしかしたらレトロアニメ専門のメンバーシップの方がいいのかも(笑)。

読了ありがとうございました。


こちらでもアニメのことは書きました。もしよろしければお読みになってください。

追記:

いいなと思ったら応援しよう!

Logophile
サポートは新たなリサーチの研究費用として使わせていただきます。またあなたに喜んでいただけるような愉しい記事を書くために😉

この記事が参加している募集