アルテについて
ずっと気になっていた漫画を三日かけて一気読みしました。2013年12月より、いまもなお息長く連載中の人気漫画、今月12月に最新刊の第17巻が出たばかりの「アルテ」です。
ルネサンス時代の16世紀前半のフィレンツェの工房で修行する女性絵画職人の物語。
つまり女流画家が主人公。
ラファエロやレオナルドが死んだ頃から物語が始まり、神聖ローマ皇帝のカール五世がイタリアに勢力を伸ばしてゆく頃が舞台。
皇帝の妹でポルトガル王妃となるカトリーナが主要人物として登場するなど、歴史考証も立派な読み応えのある作品です。
わたしの好きなシェイクスピアで言えば、リチャード三世を倒してチューダー王朝を打ち立てたヘンリー七世から、悪名高いヘンリー八世の頃の物語。
どこかで女性が工房に入り、親方に恋する物語など、非現実で少女漫画的過ぎるという辛口批評を読みましたが、そういう残念な批判は当たらないと思います。
ルネサンス期には女性アーティストも確かに存在していました。
英語サイトですが、こちらに今日まで名を伝えられる16世紀の女性アーティストたちが紹介されています。
確かに政情不安のイタリア半島には有名な女流画家はいなかったらしいですが、オランダ・フランダースでは肖像画や静物画を得意とした女流画家は少なからず活躍していました。
肖像画は写真の代わりのようなもので、女性は女性画家の方が肖像画の依頼はしやすい。需要はたくさんあったのです。
「アルテ」の主人公アルテも肖像画を得意としていたという設定は時代考証的に正しく、当時の女流画家の多くは、父親が商業的画家であるか、貴族の嗜みとして絵画を習っていた女子が長じて画家となったというものだったそうなので、アルテそのもの。
きっとアルテのように工房に弟子入りする女性もいたことでしょう。
でも「師弟」や「徒弟」という言葉から分かるように、男ばかりの工房に女性は目障りなもの。漫画のアルテのように胸元を見せてスカートを履いて若い男に混じって修行など無理です。
女性徒弟は男装していたはず。
ジャンヌダルクは戦場で男装していて、だからこそ受け入れられたのです。ジャンヌはアルテの時代より数百年前ですが、こういう価値観は変わらなかったはずです。現代でも女性が男性ばかりが当たり前とされる職場では女性の性を強調する服装は憚られるべきです。
いずれにせよ、漫画とはファンタジー。
こういう物語がありえたであろうという偉大な空想の産物ですが、時代考証的に整合性をそれなりに満たしている本作は素晴らしい歴史漫画、先日読んだヴィクトリア英国を舞台にした「エマ」にも通じます。
「エマ」の森薫も「アルテ」の大久保圭も女流作家。
わたしには女性の作品は世界を違った視点から眺めて異なった感性から人間模様を描くことが非常に興味深い。
平安時代の女流作家やオースティン、ブロンテ姉妹が面白く思えるのに通じます。
本作の魅力はまずは男性作家では絶対に書けないような女性視点、そして男性社会の中で主人公が自身のマイノリティな個性を自覚して成長してゆくこと。
ルネサンス漫画絵巻
ルネサンス時代のフィレンツェやヴェネツィアの描写は素敵です。読んでいるとアルテ視点からあの時代を追体験できるようです。
でもこの作品の本当の魅力は、アルテの生き方、男社会の徒弟制度の世界で、女であることに悩み、自分自身を受け入れ、そしてそれを強みにして生きてゆく生き方、それが素晴らしい。勇気づけられます。
貴族であることの窮屈さ
貴族社会とは女性に財産相続権もなく、職業選択の自由もない世界。これは16世紀のヨーロッパに限らず、18世紀イングランドのジェーン・オースティンの小説にも出てくること。
女性であることは、特権階級に属する貴族の中でも不利なことでした。
結婚するには持参金がいるという話が散々出てきます。現代では男はマイホーム持ちでないと嫁を迎えられない国も多々ありますが、昔の欧州で大変だったのは女性でした。昭和日本でも嫁入り道具をどれだけ揃えるかが金持ち間では大事だったのですが、欧州では女性はお金を稼げないことが前提なので、未亡人となったりした場合でも生きて行けるように、土地などの持参金があるならば収入を作れる手段として持参金が絶対不可欠でした。
でも全ての貴族が娘にたくさんの持参金を持たせられるほどに裕福だったわけでもなかったのです。資産金の多寡によって嫁げる相手先のレヴェルが決まり、だから恋愛結婚なんて貴族間ではありえないのです。
いろいろ制約だらけの世界で、自分のやりたいことをしたい女性は貴族としての結婚を諦めるしかない。
だからアルテは家を出て(貴族としての結婚を諦めて)、徒弟になるのです。
当時の女性アーティストは画材のある貴族女性の趣味が高じて専門家並みになったものがほとんどなので、アルテのように女性一人で男の工房に弟子入りするなんて、まずあり得ない。でもここはファンタジーとして受け入れると、作者の伝えたかったメッセージが伝わって来たい。
社交儀礼だらけの貴族生活を離れて、庶民のように自由に笑い、外を遊び回ることに憧れる貴族の女の子たち。制約を離れて、好きなことをして目を輝かせる!
死んだ魚の目をして刺激のない生活を繰り返して暮らすのではなく、好きなことをして輝く!この素晴らしさをわたしはこの漫画を読んで思い出しました。
アイデンティティ・クライシスの乗り切り方
誰もが若いうちは自分探しをするものです。
女性として徒弟になったアルテは、女性であることをひたすら差別されます。ようやくレオ親方に弟子にしてもらっても、同業者からは事あるごとに、どこに行っても「貴族出身の女性」だと差別されるのです。
ですが、アルテはそういうふうに見られるあるがままの自分を受け入れて生きてゆくのです。この生き方はわたしも真似してみたい。わたしは人生の半分ほどを過ごした人間ですが、今でも自分自身に貼られるレッテルについて悩みます。
アルテの生き方は清々しい。
幼いカタリーナは自分の出自を受け入れることを学ぶ。
「貴族で女だから」と差別されていたアルテは、「貴族で女」であることを武器として生きてゆくのです。
女性アーティストにしか表現できない繊細な描写や感性を活かして、彼女は肖像画家になります。
自分に自信を持って、自分を決して安売りしない。これは人生において非常に大切。職探しや配偶者探しにおいても。
最初は天真爛漫で明るいだけだったアルテは、だんだん強くなってゆきます。
本当の個性とは?
自分自身であることは特別な才能なのです。
人生は自分が決める
そして極め付けは人生を精一杯生きることを称賛するこの姿勢。
あるがままの自分を受け入れて、他人の評価なんて気にしないで、精一杯自分の人生を生きる!
本当に読んで良かったと思える作品でした。
人生は一度きり、自分のやりたいこと、好きなことを精一杯して生きてゆきましょう。
わたしはそうありたいです。
アルテは全12話のアニメにもなっています。こちらもオススメです。
ルネサンスのフィレンツェの物語。またラファエロやボッティチェリを見たくなりましたね。
辻邦夫「春の戴冠」
ボッティチェリには辻邦夫による名作「春の戴冠」があります。また再読してみたいですね。
アルテの時代より少し前の、ロレンツォ豪奢侯から扇動者サヴォナローラの時代までのフィレンツェ芸術全盛期の歴史小説です。
アルテ同様に生きることの素晴らしさを思い出して、生きることを勇気づけられますよ。
Have a great weekend!