「ピアノのバッハ」出版から一週間
Kindle出版から一週間。
SNSで特に宣伝したりもしないで、唯一知らせたのはNoteだけという、人知られぬ出版でした。
この手の本はクラシック音楽を好まれる人には喜ばれるけれども、そうでない人にはどうでも良いという、いわゆる趣味の更なる知見を深める本。
年代物の高級家具のように、普通の家具で事足りる人には必要のないもの。
愛好者にしか理解されないものですが、ブランド物のように価値の分かる人には意味がある。
世の中の99.99%の人には無価値で世の大部分の人が無視しても、残りの0.01%の人は心から愛してくれるだろう。
そのような本を書きたいと思って出版しました。
本を出版してベストセラーを書きたければ、最初から題材からしてダメです。
バッハなどでは無理。
出版前のジャンル選定から誤っている。
売れる本を期待するのであれば。
けれどもクラシック音楽に興味を持ってくれている少数派の人のために書いたので、自分としては出版には満足しています。
わたしは本屋さんに行っても店頭に平積みされているようなベストセラーには関心を払うことなく、お店の奥の棚に鎮座している専門書にしか興味がないのですから。
「ピアノのバッハ」ですが、売り上げは多くはありませんが、着実にKindle Unlimitedではかなりのページ数が読まれています。
本書を手に取ってくださった方々には厚く御礼を申し上げます。
キンドルの読者様とNoteの読者様は重複していることもありますが、基本的にキンドルを愛好されている人たちはNoteには縁のない人たちです。
だからキンドルでは新しい読者の方々に出会えます。
でもNoteの方もキンドルを使われることもあり、Noteとキンドルとどちらも利用される、わたしがターゲットにした読者層にズバリと一致する方が素晴らしい書評を書いてくださいました。
趣味が近いので一応相互フォローをしていましたが、わたしはこの方の記事をほとんど読んだことはないし、この方もわたしの記事を読まない(笑)。
けれども、こうして読み終えてくださって喜んでくださり、読書評を公開してくださったことに欣喜雀躍しています。
わたしの書いた「ピアノのバッハ」は、日本語で音楽の父と呼ばれるバッハを、特にピアノで演奏されるバッハを通じて理解し直してみようという試みです。
バッハはピアノで演奏されることは歴史的に正しくないと専門家は喝破されます。
1750年に他界したバッハは、ピアノという楽器が発明される前に活動していた作曲家だったからです。
それにもかかわらず、バッハのフーガはピアノのための対位法音楽のお手本として、もう百年以上も演奏されてきています。
19世紀後半には「ピアノ音楽の旧約聖書」という尊称さえも「平均律クラヴィア曲集」に与えられたほど。
バッハは圧倒的に古い
交響曲やピアノソナタではなく、管弦楽組曲やパッサカリアやコラールを書いていた、旧時代の芸術家です。
馴染み深くはない。
けれども、バッハの音楽的多様さは比類なく、日本ではクラシックの枠組みを超えて、お笑い芸人がコントに採用したりするほど。
原曲はバッハの名オルガン曲の「小フーガト短調」。
いろんな楽器に編曲されて愛されているバッハ不滅の名品。
とても短くて、メロディも分かりやすいので古くから愛されてきました。
わたしも時々ピアノ編曲版をノンレガートで弾いてみたりもします。
バッハは交響曲や弦楽四重奏曲さえもが生まれる前の時代の人。
だから原曲のまま演奏されるよりも、いろんな楽器で演奏される試みがもう百年以上も前から行われていました。
生前のバッハの楽器 → バッハの死後に生まれた代用楽器
ガット弦のバロックヴァイオリン → モダンヴァイオリン
ヴィオラ・ダ・ガンバ → モダンチェロ
フラウト・トラヴェルソ → モダンフルート
オーボエ・ダ・モーレ → クラリネット
チェンバロ → モダンピアノ
ビブラートのないバロック的歌唱法 → 大きな声を出すベルカント
バッハの演奏するにあたって、楽器さえも異なる音楽だったので、こうでなくではならないという制約が歴史的に曖昧だったのです(本書ではこの点について詳細に解説しています)。
替わらなかったのはオルガンくらいかな。
楽器と演奏方法の違いが厳然と存在している。
だから、
バッハの時代の古楽一辺倒でピアノで演奏するバッハは邪道であると切り捨てる方から、
超ロマンティックなマタイ受難曲の劇的さをクラシック音楽全作品中の最高傑作と愛される人もいる。
バッハの音楽の本質
わたしはバッハの本質は現世肯定の笑いにあるのだと思うけれども(クリスチャンは普通、こう考えます)聖金曜日が復活の日曜日の前夜祭でしかないというキリスト教理解の基本知識さえも持たないような人たちには、悲劇の中の悲劇のマタイ受難曲がバッハの最高傑作だということになる。
モーツァルトの最高傑作はなんだとレコード芸術で投票を求められると「レクイエム」と答えるお国柄らしい。
バッハ的には、受難曲は復活祭の前の前夜祭、前座、露払い。
でもこういう文化的な背景は無視される。
マタイは大傑作だけれども、たくさんあるバッハの作品群の中の一つの作品でしかなく、全作品の中の一割にも満たない短調作品だけでモーツァルトを理解しようと試みるように、マタイ受難曲だけではバッハは全く分からないのです。
要するに、本書はバッハの音楽への普通の人の一般常識を覆す‼️というあまりに大袈裟な抱負を本書は抱いているのですが、うらりぃまんさんが取り上げてくださったように、本書の最終章「アンチバッハになるには」をできる限りたくさんのバッハを愛する方達に読んでいただきたい。
バッハの生涯に関する常識はもはや正しくはない
ピアノでバッハを演奏する矛盾から、本当にいろんなものが見えてくる。
そもそも「音楽の父」という日本限定の呼称もどこか変です。
コペルニクス的転回という言葉を本書でも使いましたが、誰にでも知られているけれども世間的常識と実際の歴史上のバッハはあまりにも違う。
一般的にバッハは死後完全に忘れ去られていた、といまでも古い世代の音楽演奏家の方は口にされることもありますが、実際にはこの俗説は嘘八百です。
フェルメールが死後忘れ去られていたという一般的な見解よりも信憑性がない。
誰でも知っている有名な「バッハのメヌエット」は、実はヨハン・セバスティアン・バッハの作曲ではありませんでした。
奥さんのアンナ・マグダレーナが子供たちの教育のための音楽を旦那の作品を中心にして当時流行だった同時代人の音楽もまとめて曲集にしたのが「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」(全二巻)でした。
でも作曲家の名前は明記されていなかったので、あまりにメロディの魅力に富むバッハの同時代人クリスティアン・ペツォールト (1677-1733) の作品「ト長調のメヌエット」はヨハン・セバスティアン・バッハの作品だと長らく信じられてきました。
バッハの作品ではないと判明したのは1970年代になってからのこと。
けれどもそのしばらく前の1965年にアメリカの「ザ・トーイズ」がバッハ作曲「ラバーズ・コンチェルト」として世界的に大ヒットさせていたので、いまもなおバッハの代表曲として知られています。
とても良い曲ですよね。バッハの作品ではありませんが。
このような誤解は氷山の一角。
拙書「ピアノのバッハ」は、誤解されているバッハへの誤解を解くための足掛かりとなり、新しい視点からバッハが理解されるようになる一助になってほしいという願いを込めて書かれています。
「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」には他にも、バッハ作と長い間信じられていた、ある歌曲が含まれています。
とてもメロディに富んだ名作で、アンナさんは子どもたちにこの曲を歌わせてソルフェージュを学ばせていたのですね。
あなたがそばにいてくだされば Bist du bei mir(BWV508)
その昔、20世紀最大の名ソプラノの一人、シュヴァルツコップの歌うCDを購入して、バッハ作曲の歌曲を発見。
と驚きました。
ですが、実はゴットフリート・ハインリヒ・シュテルツェル(Gottfried Heinrich Stölzel)のオペラ「ディアメネ (Diomedes)」の中のアリアをアンナさんが音楽帳に選んだためにバッハの作品だと誤解されていたのでした。
シュテルツェルはバッハの同時代人でシュテルツェルの受難曲を聖トーマス教会で上演するほどに評価していました。
バッハがシュテルツェルと知り合いだった可能性も示唆されています。
いずれにせよ、シュテルツェルのアリアは宗教的な歌詞と声楽初心者にも歌いやすいシンプルなメロディなので、バッハ家では皆がこの歌を歌って声楽を学習することが習わしでした。
バッハは子どもたちに何も自分が作曲した音楽だけを子供たちに演奏させていたわけでもないので、シュテルツェルやペツォールトやクープランやペルゴレージの音楽も普通に音楽帳に含まれていたのです。
孤児になって幼い頃に苦労したバッハは、二度の結婚を通じて大家族を築き上げます。
いつも家族と暮らしていたので、バッハの家族の物語を読むことはバッハという人を何よりも深く知ることになります。
マタイ受難曲だけを聴いていても、バッハは絶対に理解できないのです。
マタイには政治的な、つまり非常に世俗的な要素がたくさんこめられているし。
さて、「ラヴァーズ・コンチェルト」を紹介しましたが、きっとペツォールトの「メヌエット・ト長調」を自分が人生で出会った最初のバッハであるといわれる方も多いことでしょう。
でも100%、バッハの作品ではありません。
また次の曲も真作であるか今もなお議論されている作品ですが、バッハ全作品の中でも屈指の人気を誇るのは「トッカータとフーガ・ニ短調」。
よくズッコケる場面で流れたりするメロディー。
ロシアではヴォトカの音楽🤣に!
こんな編曲も
まあバッハは遊び甲斐のある愉しい音楽をたくさん作ってくれています。
日本の中学校で歌ったバッハの作品
編曲でなくても、お笑いコントをそのままカンタータにした作品さえあります。
よく読むと下ネタ満載のなんともお下劣な作品にも思えるのですが、こういう粗野さも18世紀人らしさ(日本でいえば江戸時代の中期です)。
わたしがヨハン・セバスティアン・バッハの上記以外の作品に初めて出会ったのは日本の公立中学校の音楽の授業でした。
その曲はいわゆる「農民カンタータ」の中のアリア。
この曲を次のような歌詞で昭和の終わりの頃に音楽の授業で歌いました。
この歌詞の中の「君」というのは「あなた」ではなく、「君主」「領主さま」であると音楽の先生は教えてくださいました。
中学生になったばかりの自分はその頃はそのような知識は持ち合わせていなくて、「君」とは「君主」のことだと教わったことがとても新鮮でした。
「農民カンタータ」は、バッハの数ある世俗カンタータの最後の作品で音楽的には最高傑作。
有名な「コーヒー・カンタータ」よりも音楽的な充実度においては上なのですが、新しいご領主さまの就任記念のための音楽で、新しいお殿様に年貢(税金)を上げないでいてくださいと、ご領主さまに胡麻をするための音楽。
おべんちゃらをいい、農民の立場からむやみに新しい領主さまを褒め上げるという音楽。
歌詞や俗用の引用がなかなか愉快で、教会音楽家バッハとは思えないくらいに性的仄めかしなどが含まれていて、バッハの住んでいた地域の方言で歌詞が書かれていて、学のない人たちを喜ばせる内容が盛りだくさん。
興味のある方は是非ウィキペディアなどから曲の内容を学ばれてください。
バッハが聖なる音楽家だなんて、バッハを知れば知るほど馬鹿げていると思わずにはいられない。
バッハはとても人間臭くて、嗜好品のコーヒーやワインが大好きで、美食も時には楽しんでいた、数字オタクでやたら信心深い人だった。
子供を20人も作ったほどの人だったし。
でも成人したのは半分だけ。
この悲しい現実に18世紀を生きたバッハの人生感の源泉がある。
わたしが「ピアノのバッハ」で特に取り上げたのはピアノで演奏される鍵盤音楽が主でしたが、聖なる音楽ではなく、生き生きとしたリズムを前面に押し出して速いテンポで奏でるべきダンス音楽をたくさん書いた、人間臭い音楽がバッハの音楽なのだというのが、わたしのバッハ観です。
読めばあなたのバッハ観を考え直したくなるかも。
というわけで、今回は「ピアノのバッハ」、発売後一週間してそれなりに読まれているという報告でした。
今後の販売予定:
わたしの書く物に興味を持たれない方にはどうでもいいことでしょうが、キンドル出版のノウハウを理解したので、今後は次のような作品を作りたいと思っています。
シェイクスピア英語の読み方
わたしはシェイクスピアの大ファンです
名言もたくさん丸暗記しています
夏になれば、野外劇場のシェイクスピア劇を鑑賞しにゆきます
ハウツー本として、誰でも大学受験レベルの英語理解があればシェイクスピアの名言を楽しめる本を作ります
英語学習本はバッハを学ぶ本よりは需要があります
Note過去記事で「シェイクスピアと音楽」と題して、作品からインスパイアされた音楽を取り上げましたが、シェイクスピア主要作品を全て英語で読んだ体験は素晴らしいものでした
次のような英語がなぜ世界で最も美しい英語なのかが分かるようになる本です
わたしの好きな海外文学10選
自分が個人的に偏愛する海外文学
Noteでもスキが100以上集まった文学関係の記事三つをまとめて本にします
こういう内容は読書好きは読まずにはいられない。需要があります
ファニー・メンデルスゾーンの生涯(仮題)
今一番関心を持っている、20世紀の終わりになって復活した、19世紀初期ロマン派の大作曲家ファニーの本
日本語でファニーについて書かれた本はいまだ存在せず
フェリックスの本も日本語ではあまり人気がなくて、あまり存在しませんが、ファニーは性差別のために音楽史から抹殺されたという歴史問題はLGBTQ問題が社会問題である21世紀には意味深い
昭和の女性も女はこうあるべきという生き方を強いられてきた。わたしは自分の母親のそんな生き方に特別な思い入れがある。
ファニーの問題は他人事ではない
ファニーの自筆譜は全てオンラインで閲覧可能。誰でも一次資料に無償でアクセスできることはすごいことです
ファニーについて書くことは全くのブルーオーシャン。ファニーのことはまだ誰も書いていないので、書けば絶対に注目されて、そして知られざるファニーを紹介することは意義深いことです
同時代のクララ・シューマンが脚光を浴びるようになっていますが、音楽的才能はファニーの方が絶対に上でした
女性は家事をするべし!とされていた時代(日本の江戸時代後半です)、そのような時代におけるファニーの立ち位置を再び考えてみることは意義深いことだと思います
漫画にしてみるものいいかも
AIで作成する漫画(未定)
わたしの過去投稿をよく読んでくれた方はご存じかも知れませんが、わたしは日本の漫画の大ファンで、大抵の話題作には目を通しています。
手塚漫画、藤子漫画、浦沢漫画に精通
AIで漫画を作成するのは実は簡単です
アマゾンではFliptoon(フリップトゥーン)というスマホに特化した縦読みマンガが人気
来年はAI漫画家としてもデビュー目指します
マンガのことはこれまでも相当書いてきました。最近書いたものでは以下の記事が人気でした
英語関連(未定)
英語イディオム編
美しい英単語ランキング編
英語喉、発音矯正編
英語学習はよく読まれるジャンルですが、このジャンルはもう競合作がたくさんあり、ブルーオーシャンとはいいがたいのですが、新しいものには需要があるので、AIで真新しさを出した薄利多売戦略がいいですね。
写真集(未定)
ニュージーランドは数々の映画ロケ地に選ばれるほどに風光明媚な土地
ありふれた日常を写真集にして出すだけでもKindleアンリミッテッドならば読まれる可能性は極めて高い
わたしのアイフォンにはこれまで撮りためた大量のユニークな画像が詰まっている
AI画像写真集も面白いものならば暇つぶしなどに見てもらえる可能性もあります
ベストセラーを書きたいならば…
この記事を読まれる方はきっとキンドルで作品を出版されることを考えておられる方もおられると思いますが、ベストセラーを売りたいならば
成功者などを取材をして成功体験を本として出版をする。ネタを取材して仕入れてくると売れます
売れるジャンルの本を書く
料理
恋愛
美容
健康
投資
副業
自己啓発など
ハウツー本(実用的に役立つ本)
自分は英語関連の本ならば、この手の本も書けそう。
AI画像を組み合わせるとユニークなものはいくらでも作れます。
でもこれらの本は流行ものなので、これから数週間は売れても、きっと翌年には内容の古びてしまう本です。
わたしが書きたいのは、もっと普遍的な価値のある内容。
そして分かる人にしか分からないけれども、そんな人たちが喜んでくれる本です。
こういう種類の本は息長く愛される本なのだと思います。
たくさんの人に読まれて消費されてしまうだけで忘れられてゆく本よりも、共感して理解してくれる方に長く記憶されるような本を書きたいというのは高望みが過ぎるでしょうか。
情報が溢れすぎていて、AIでも使って処理でもしないと消化不良になってしまう時代。
こんな時代に毎日があまりに情報を追うことに忙しすぎる中で誰かが自分の本をじっくりと読んでもらえるなんて奇跡のようなことです。
英語でいうところの
余りに偶然だけれども幸福な出会い。
わたしの本はそういう本であってほしいなと思っています。
副業なのでお金儲けのためばかりではなく、自分自身の自己実現のために。