女王マリー・アントワネットが作曲した歌!「かわいそうなジャック」
我が国の上皇后美智子さまの音楽的教養の深さには誰もが舌を巻くほどですよね。上皇后陛下が作詞された「ねむの木の子守唄」を我が子が生まれたばかりの頃にモーツァルト(フリース)やシューベルト、ブラームスの子守唄と一緒によく歌いました。わたしにとって最愛の歌のひとつです。
時は18世紀、神聖ローマ帝国の帝都ヴィーンにて、マリア・テレジア女帝を母に持つマリア・アントーニアは大オペラ作曲家クリストフ・グルックに音楽を教わりますが、なかなか上達しませんでした。母女帝も呆れたほどですが、敵国フランスへの輿入れまでには人並みの音楽的教養(ハープシコードとハープ演奏)は身に着けることはできたのでした。
やがてフランス女王マリー・アントワネットとなった勉強嫌いのお姫様は宮廷生活に疲れて、寵臣ポリニャック侯爵夫人を連れてヴェルサイユの離宮プチトリアノン宮殿で多くの時を過ごすようになります。贅沢三昧に飽きた女王は庶民の暮らしを真似て田舎の静かな暮らしをしてみたくなったのだとか。
そこで侯爵夫人と故郷を懐かしみ、ある小唄をマリーは作曲したのでした。作詞はポリニャック侯爵夫人。グルック仕込みの作曲技法はそれなりのもので、現在では彼女の作曲した楽譜がIMSLPから無償でダウンロードできます。マリー・アントワネットは作曲家認定されているのです。
国家を揺るがせた首飾り事件(詐欺で160万リーブルをだまし取られた事件)が起こった1785年の作曲。フランス大革命の四年前のこと。
かわいそうなジャック、あなたがそばにいたとき、
私は自分の悲しみを感じませんでした。
でも今、あなたが遠くに住んでいる今、
私は涙の中で日々を過ごしています。
もしあなたが私がどれだけ愛しているか知っていたら、
そしてあなたがいない遠くでどれほど苦しんでいるか知っていたら、
あなたはこの素朴な生活に戻ってくるでしょう、
あなたのそばで幸せだったその生活🎵。
マリー・アントワネットは国外逃亡失敗後にタンプル塔に幽閉されますが、比較的自由な暮らしが許されていて、マリーは子どもたちとハープシコードやハープを弾いて歌を歌って家族最後の団欒の日々を過ごしたそうです。タンプル塔で彼女が演奏していたのはハイドン自身が自作交響曲を鍵盤楽器用に編曲した曲集。1786年の出版。
わたしも持っている楽譜ですが「女王」というニックネームを持つ交響曲第85番の第二楽章と第三楽章が含まれています。実はマリー・アントワネットがパリのコンサートや王宮でこの交響曲を聴いたという記録がなく、この「女王」という名前はタンプル塔由来ではないかなと推測されています。
大傑作パリ交響曲の中の第85番をピアノで弾くたびにマリー・アントワネットが偲ばれてなりません。彼女がタンプル塔で好んで弾いていたから、この曲は「女王」なのです。
シュテファン・ツヴァイクの伝記「マリー・アントワネット」を愛読したわたしは、プチトリアノンの「かわいそうなジャック」とは「かわいそうなマリー」なのだと思わずにはいられないのです。
彼女が処刑されたのは1793年10月16日。その後、プチトリアノンでは彼女の幽霊を見たという証言が数多く伝えられています。成仏できなくてお化けになったマリーは「かわいそうなジャック」を歌っていたのでしょうか?
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