補筆されたフレデリック・ショパンの新発見ワルツ
思いがけないフレデリック・ショパン(Frédéric Chopin 1810-1849)の新作発見のニュースは世界中の音楽ファンを魅了しました。
わたしも note でこの話題をいち早くニュースとして取り上げました。
作曲者の死後175年目の大発見ですので、楽譜には著作権はなく、モーツァルトの「ガンツ・クライネ・ナハトムジーク」同様に、IMSLPから無償で誰でもダウンロードが可能です。
どんなにゆっくり弾いても二分ほどしかかからない48小節の小さなワルツです。
ただ誰もが不満だったことは、繰り返しを入れても48小節という短さ。
悲劇的な世界の幕開けのような音楽なので、
と残念がったのは私一人ではなかったはずです。
そこで、実際に続きを書いてみよう、と考えられた方がやはり世界中にいて、先日、次の録音を聞いてなかなかようなと感心しました。
Armandocomposerさんの補作
「ワルツ」イ短調(4分38秒)
ショパンらしい書法で書かれていて、拡張された部分もショパン真作の部分の素材をうまく取り入れていて好感の持てる、ショパンらしい半音階が印象的なロマンティックな音楽に仕上がっています。
なかなか良いですね、と思っていると、この note でも、日本の作曲家のRyo Sasakiさんが同じように補作をYouTubeで本日発表されました。
Ryo Sasakiさんの補作
Note公式企画にインスパイアされた投稿第五弾としたいと思います。
「ワルツ」イ短調(5分30秒)
先のArmandocomposerさんが初期ショパン的な明るさを感じさせるのに対して、Sasakiさんの作品は、より古典派的という印象です。
長調に転じる中間部はとても素敵な音楽ですが、同じ色調のモーツァルトの「ロンドイ短調K.511」の長調に転じる中間部をすぐに思い浮かべました。
多分三度の和音が続いてゆく手法が同じだからです。
でもモーツァルトが大好きだったショパンがこんな書き方をしても全然不自然ではありません。
ぜひ聞いてみてください。
ショパンのワルツ蘊蓄
自分は本来、ショパンをあまり好まないのですが、バッハを最後に弾いて僅か33歳で夭折したディヌ・リパッティを敬愛しているために、リパッティが遺したショパンのワルツ集を何度も何度も聞きました(死の直前のスタジオ録音と最後のブザンソン演奏会でのライヴ録音が残されています)。
だからショパンのワルツはとても好きなのです。
ルビンシュタイン、ホロヴィッツ、コルトー、フランソワ、ソフロニツキー、ルイサダなどなど、有名なショパンのワルツ録音はさんざん聞きました。
そしてショパンのワルツとノクターンだけは、録音からだけではなく、音符を通じても、曲をとてもよく知っているのです。
ワルツはどれも弾きすぎてほとんど暗譜しているほどです。
一番のお気に入りは、ショパンとしては音符が四角い作品64の3。
音符が四角いというのはバッハのように、四分音符を必ず半分の八分音符で刻む音符のことです。
作品64の1の通称「小犬のワルツ」を一分以内で弾いてやろうという馬鹿なことを試みたこともありました(笑)。
この曲は英語では
として知られていて、一分で弾く(?)短いワルツということになっています。
なのですが、これは誤訳でオリジナルのフランス語では
は「短い、ミニチュア」という意味でした。
Minute waltz とは実はミニチュアワルツなのでした!
英語ではこの「Minute」という単語、同じ綴りで
のように形容詞だと「マイニュート・ミニュート」として「微に入り細を穿つ」という詳細な点までという意味になります。
作曲者ショパンはフランス語で
と呼んだので、この曲を日本語で「小犬のワルツ」と呼ぶのは極めて正しいことです。
仔犬が自分の尻尾を追いかけてクルクル回るユーモラスな姿にインスピレーションを得たのだとか。うちの子猫も似たことをしていました。
そしてこの曲のフランス語での別名が「ミニチュアワルツ」でそれが英語に間違って訳されて誤解されているわけです。
次のリパッティの演奏、伸びる音がフワッと飛ぶような感覚は唯一無二です。わたしにとっては史上最強のショパン録音です。
この曲は二分くらいで弾くのが一番良いテンポです。
モルト・ヴィヴァーチェ(とても急速に)でも演奏時間一分は速過ぎです。
ちなみにドイツではただの「作品64-1」で、「小犬のワルツ」とは呼ばないのだそうです。ドイツ人が概してショパンが好きではない由縁かも。
また、最近、「子猫のワルツ」というニックネームが日本で出現したことに仰天しました。
なんのことだかさっぱりわかりませんでした。
でも日本のコアではないクラシック音楽愛好家の間では人気な呼び名なのだとか。
チャットGPTで誰が呼び始めたのか探してもらうと、分からないということでした。日本だけの呼称であるということだけは確認できました。
作品34の3のことです。
最初の部分は確かに子猫が追いかけっこしている情景が目に浮かばないわけでもないですが…
ベートーヴェンの「運命交響曲」のように、日本国内でしか通用しない呼称として定着するのでしょうか?
またバッハの「音楽の父」も日本だけの呼称。
さらに面白いのが「ハレルヤコーラス」のヘンデルは「音楽の母」(笑)。
という明治日本人のネーミングセンスはぶっ飛んでいますよね。
ヘンデルの音楽は、ベートーヴェンが模範として尊敬したほどに雄大で男性的で英雄的なのに。
ジェンダーイメージには無縁な、父と母の組み合わせからネーミングは来ているのです。
明治日本では文明開化の中で大日本帝国憲法を作るのに欧州の新興国プロイセン(ドイツ帝国)を模範とみなしていたために(ついでに軍国主義まで)、メンデルスゾーンのバッハ復活上演以来、ドイツ音楽の父だとされていたバッハを一番だとみなしたのです。そのためにこの二つ名。
ドイツ人はバッハを「西洋音楽の父」と呼びますが、西洋古典音楽の伝統を生み出したフランスやイタリアでは誰もこんな呼称は認めません。
わたしは毎日バッハのことを note に投稿するほどにバッハが大好きなのですが、バッハを音楽の父とは呼びません。
この明治日本的な理屈を押し通せば、バロック音楽黎明期の大天才クラウディオ・モンテヴェルディは
でしょうか。。。🤔
日本屈指のバッハ研究者として知られていた故礒山雅氏(1946-2018)は、モンテヴェルディの音楽史における偉大な貢献に比べると、バッハなど小さなものであると述べておられました。
グレゴリオ聖歌みたいな中世アカペラ教会音楽をバロック音楽へと変革したのがモンテヴェルディでした。間違いなくバロック音楽の父です。
西洋音楽で最も重要なジャンルのオペラを芸術的ジャンルとして確立して、教会の対位法を世俗的なオペラのために応用して、対位法音楽の基礎を定めて、声楽一辺倒だった西洋音楽に管弦楽で歌ったり踊ったりする音楽を作り出したということで、創始者は一番偉いのです。
バロック音楽は1600年の世界最初のオペラ成立の年から始まり(モンテヴェルディ最初のオペラ「オルフェオ」は7年遅れて、1607年に完成)1750年のバッハの死をもって終わるとされています。
バッハはモンテヴェルディが確立した対位法理論を完成させた人なので、バロック音楽のアルファとオメガはこの二人という理屈。
ドイツ中心音楽史観は、中世カトリック教会の我田引水な天動説のように自分勝手なものです。
ショパンの遺言を無視したユリアン・フォンタナの場合
さて新曲ワルツに戻りましょう。
著作権のない新曲なので、だれがどのように編曲しても誰にも怒られることはない新発見のイ短調ワルツ。多分…
上記の二つの補作はショパンリスペクトが素晴らしいですが、実はショパンのワルツには、作曲家以外の他人が手を加えた作品がたくさんあるのです。
それはショパンの遺言に由来します。
主要な内容には二つあり、
一つは自分の心臓を故郷ワルシャワの地元の教会に収めてくれ
一つは遺作の未完成作品は全て破棄せよ
というものでした。
心臓を教会に収めるのは聖遺物を重んじるカトリックの伝統ですが、それも聖人に限ってのことでした。
パリでショパンの最後を看取ったお姉さんのルドヴィカは司法解剖医に遺体から心臓を摘出してもらってコニャック漬け!にした心臓を甕に入れてワルシャワへと極秘裏に運び出します。
その後、ショパンは聖人ではないためという理由から教会に保存を拒否されて、苦労して運んだ心臓を入れた甕は地下墓所に保管されます。
ナチスがワルシャワを占拠したときには地下に安置されていたショパンの心臓は戦利品としてドイツへと持ってゆかれ、また大戦終了後の返還時には、ポーランド復興の象徴として、心臓はショパンの大切な遺体として帰還。
こうして戦争のおかげで、晴れてショパンは聖人に昇格して、ワルシャワ聖十字教会に祀られることになります。
今でもショパンの心臓は祀られていて、世界中のショパンを愛する人たちがワルシャワのショパンの心臓に詣でる巡礼を行っています。
でもルドヴィカたちは、二つ目の遺作を全て処分せよという言葉に悩みました。
西洋音楽史上、最大の大天才の一人ショパンの作品を破棄することは人類の遺産の喪失であると、ルドヴィカお姉さんは遠くアメリカに渡っていたショパンの友人で、ショパンの音楽を誰よりも知る作曲家ユリアン・フォンタナをニューヨークから呼び寄せます。
そしてヨーロッパに戻ったフォンタナは、ジェーン・スターリング(スコットランドのアマチュアピアニスト:ノクターン作品55の被献呈者)やカミーユ・プレイエル(プレイエルピアノをショパンに与えた人物)と共に、ショパンが遺した未出版楽譜の校訂を行うのでした。
フォンタナは1836年から1838年まで同じパリのアパートで暮らしていて、1840年には有名な「軍隊ポロネーズ」をショパンから献呈されています。
そのように親しい間柄だったのです。
こうしてルドヴィカとフォンタナはショパンの第二の遺言を反故にして、遺された作品出版に着手。
ショパン生前最後の完成作品は友人フランショームのための「チェロソナタ」作品65だったので、遺作を作品66「幻想即興曲」から作品74「17の歌曲」として校訂。
作品番号66以降のショパンの作曲は、完璧主義者ショパンの意志に逆らう形で出版された作曲者非公認作品なのです。
現在ではショパンの自筆譜とフォンタナ校訂版は、音符や曲の構成が相当に異なることが判明していますが、フォンタナ版が今でも一般的に「ショパンのワルツ」として知られています。
現代の有名ピアニストの演奏でも、リパッティやホロヴィッツ、ルイサダなど、有名なショパン弾きは誰もがフォンタナ版を使用しています。
作品70の1では、ショパン自筆譜には、冒頭の印象的な装飾音は書かれていません。
フォンタナ版はバロックのチェンバロ音楽のように装飾音だらけで、全くショパンの意志を反映していません。
この曲、飾りすぎてて騒々しすぎます。
ショパンはあんなに装飾音を書き込んでいないのです。その意味でショパンらしくないけれども、この編曲は好きではない。
フォンタナ版よりもショパンオリジナルの方がずっと曲が短いし。
われわれが慣れ親しんでいる作品69や作品70のワルツは全て、フォンタナ編曲版。
改良でしょうか?
改悪でしょうか?
わたしの手元には原典版(Urtext)の楽譜がありますが、相当に異なります。フォンタナ版と自筆譜版が両方とも掲載されている楽譜です。
フォンタナの補作は1850年代の最も一般的な作曲法に基づいて書かれていますが、ショパンの独特な作風の特徴は失われています。
ショパンは一般的な作曲技法なんて用いる人ではなかったからです。
ショパン自筆譜と弾き比べると、思いもかけないところで音符が半音ずれていたりします。
以上のような事情から、ショパンの音楽を称える祭典である「ショパン国際ピアノコンクール」では、ショパンの遺作は演奏曲目には選ばれないという伝統になっています。
ショパンの全ての作品の中でも人気ナンバーワンを競う遺作「幻想即興曲」が、コンクールでは滅多に演奏されないのも、この伝統のためです。
少なくとも自分は聴いたことがない。
禁止されてはいないようですが、この曲が弾かれると、まず審査員もいい顔をしないので弾かないのが賢明ですね。
自由に作品を書き変えたフォンタナのショパン未出版楽譜の扱いは時に非難されますが、唯一無二のショパンの作品を破棄することから守ったことは歴史的に評価されています。
個人的にはこの歌が破棄されなかったことが嬉しいです。
作品74のひとつ。「春 Wiosna」という曲。
モーツァルト「レクイエム」、ベートーヴェン「第十交響曲」、マーラー「第十交響曲」、エルガー「第三交響曲」など、未完成作品が補作・補筆されることはよくあることです。
今回の新発見のワルツの場合はショパンが友人に気前よくプレゼントしたものなので(こういう曲が何曲もショパンにはあるのです)「破棄せよ」と言い残した未完成作品とは事情が違いますよね。
今回紹介したショパンのワルツの補作二点は、新発見を一時的なニュースに終わらせない、ショパンリスペクトな素晴らしいオマージュでした。