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自分の別の可能性の存在を思い出させる映画: エブエブ!
昨年度2022年公開された最優秀映画を決定するアカデミー賞が発表されました。
下馬評通りに「Everything Everywhere All at Once」が2023年度の最優秀作品賞に主演女優賞など、主要な賞を総なめ。
アカデミー賞を貰えば必ず見応えがある映画であると言うわけではありませんが、この映画を見てみようと思ったのは、このオスカースピーチをニュースで見たからです。
ベトナム戦争後の混乱の中、家族と共に香港、マレーシアを経由して難民船に乗ってアメリカ合衆国に移民し、苦労した彼は、84歳になるお母さんはテレビで観ている、お母さんにこの言葉を伝えたいと泣きながらこう語りました。
難民がアカデミー賞を取るなんて、本当にアメリカンドリームだ、
お母さんありがとう
彼は、わたしが小学生の頃に見て、あのハリソンフォードと一緒に共演していた中国人の少年 (中国系ベトナム人) だったのです。
数十年ぶりに久々に銀幕に舞い戻り、アカデミー賞助演男優賞、快挙です。
成長した名子役たち
今回の映画で名優ミシェル・ヨー(主演女優賞を初受賞)の夫ウェイモンド役として好演したのが、1980年代に子供の頃に見た、アメリカのスピルバーグ監督作「グーニーズ」や、前述のインディー・ジョーンズに出ていた中国人子役だったとは大変な驚きでした。
同じグーニーズの主役マイキーを演じた少年がニュージーランドのピーター・ジャクソン監督の「ロード・オブ・ザリング」のサム役で2000年ごろに再会したのと同じくらい衝撃的でした(わたしは最近の作品は話題作の映画しか見ないので、誰が何をしているとかには疎いのです。テレビは見ません)。
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「ロードオブザリング」の真の主役だったサム役
映画を見るのは、自分の場合は映画自体の内容が目的。俳優目当てでは普段は見ません。
それでも、よく見知った子役が大成したことを知れるのは感慨深かった。
クリスマスになると毎年放映される「Home Alone」シリーズの子役が人生を踏み外したり、スターウォーズエピソード1で幼いアナキンを演じた少年が映画でスターとなって学校でいじめられて精神病を患い、その後の人生を不幸にしたことを思うと、グーニーズの子役たちの現在の活躍は自分には単純に嬉しいことですね。
見どころ
今回の「エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス」、略して「エブエブ」と呼ばれているそうですが、どうも日本語のカタカナ語には自分は抵抗があります。
「全て・どこでも・いっしょにある」みたいな逐語訳だと確かにかっこよくないけれども、「全てが同時に何処にでもある世界から生まれる愛(笑)」みたいな表現でもいいのではと思ってしまう。なんでカタカナ語のタイトルなのか?
愛と書くとネタバレかな。
主人公の名前を取って、「マルチヴァースのエヴリン」とすると、Vの音を不快に思われる方も多そうですね。
日本アニメのEvangelionはエヴァンゲリオンで「ヴ」が許容されているけれども、エヴリシングはThingが表記しようないし。
外国語は正確には絶対に日本語には置き換えられない。
この題名の英語の音からして、やはり洋画とは異文化体験なのですね。
そしてまさにこの映画はそんな洋画の舞台であるアメリカ合衆国の中の異文化である中国人移民の物語。
異文化問題こそがこの映画の本質。
MultiverseとStandard English
マルティヴァースというパラレルワールドSF設定はもちろん大事だけれども、この映画はジェネレーションギャップにマイノリティであることが主題で結論で導かれるのは、愛を失って壊れている家族の和解。
この映画を通じて考えたのは、異世界間を自在にジャンプするという特異な設定ではなく、次の二点でした。
ここにはない別な世界の可能性が教えてくれた、自分自身の別の可能性の存在。
マイノリティであること。マイノリティの喋る訛りある英語。
わたしは中国人移民の家族の話す中国訛りの英語と、そうでない英語とのギャップに大いに笑いました。
特に主人公の中年女性エヴリンの夫であるウェイノルドの英語。
俳優クァンは次元の違うウェイノルドを演じながら、英語の訛りを言い換えていました。
つまり最初の世界のウェイノルドでは(映画を見ていない人はわからないかもしれませんが、こういう映画なのです)中国語声調の影響を受けた中国語アクセントの英語。
でもアルファ・ヴァースからやってきた(SFなのです)、世界の危機をエヴリンに伝える彼、アルファ・ウェイノルドは完璧なネイティブ英語といった具合。
日本語が母語のわたしも日本語訛りたっぷりのカタカナ英語を喋れますが、吐く息が多くて舌と口周りを思い切り動かす英語を喋る時には、自分としてはギアチェンジして喋っています。
多言語話者にはアクセントの切り替えは難しいことではないけれども、こういう切り替えを実際に映画で見たことはなかったですね。
わたしは中国語も基礎会話でするくらいまでは勉強したので、北京語、広東語、中国的アメリカ英語が入り乱れるこの映画、言語的に非常に興味深かったのです。
中国訛り英語
インド・ヨーロッパ語であるにもかかわらず語尾の活用に乏しい英語は、活用のない中国語の孤立語的な要素を多分に含んでいて、中国人には文法は割と理解しやすい言葉です。少なくとも日本人によりも英語はとっつきやすい。
いわゆる主語+動詞+目的語という語順で基本文を作ることができるからです。
英語も中国語もSVOと並べると文章になる。
三単現のSやBe動詞活用も、英語でコミュニケートする上ではほぼ支障なし。
It ain't no problem!
Double negativで、おかしなBe動詞。こんな標準英語からずれた文法でも、ある地域では通じるし、そこでは正しい。
でも語順は大事。
英語はSyntax(分の語順構造)がMorphology(活用の重要性)よりも大事な言語です。だから主語が絶対。
日本語は語尾の活用が豊かなために主語のない文章の方が自然。
映画見た、あたし映画見たんだ、映画を見たよ、俺映画見たぜ、
(S)+O+V (語尾変化付き)
などなど、いくらでも表現を変えることが可能。
主語がなくても全然構わない
でも英語では
I watched a movie = S+V+O
中国語も
我看了一个电影=S+V+O
で語順は同じ。
英語はアクセントがコミュニケーションを支配する言語。一方の中国語は、四声調という独特の上下する音を伴ったすべての言葉のシラブルが均等に発声される言語。
だからこの違いが中国語話者の中国語アクセントの源になるのです。日本人がカタカナ式で全ての音を均等に喋るのと同じ。
I watched a movie
英語ではこんな風に特定の単語が強調されて、更にwatchedのWaがアクセント、MovieのMoが強調される。
でも中国語では全ての音素が均等。
Ai Watch-t A Mo-Vie
極端に書けば、こんな風に全ての音素が均等に聞こえてしまう英語を喋る。おかしなリズム。強弱アクセントよりも母語の声調に準じた起伏のあるメロディ。
瞬時に中国人英語だとわたしには分かる。
そして映画では主人公たちは、若くて英語堪能なアメリカ生まれの中国人ではなく、中国から移民してアメリカに暮らしているけれども、家では中国語を喋って、英語は商売のためなどにしか使わないという人たち。
実際にこういう人は海外に山のようにいる。
移民家族の言葉の悩み
日本人も家族で英語圏の海外に移住すれば、家の中は英語、でも外では英語なんて暮らしになる(日本経済の将来が危ういからと海外移住を考えるのは考えものですよ)。
こういう人たちはなかなか社会に溶け込まず、中国人社会や日本人社会で暮らすという場合も多いのです。
だから海外移民1世は大抵、英語が下手なまま。
発音矯正したり本気で勉強をやり直さないと言葉なんて上達しないのです(私は頑張りました)。
現地の人と結婚した人でもパートナーさんは配偶者のひどい英語にそのうち慣れてしまって、その訛りある英語を受け入れてしまい、そのまま配偶者さんは英語発音が全く上達しないことも。
でもこういう家庭に暮らしていて、そのうちにこういう暮らしが嫌になる家族もいる。
つまり現地で英語で教育を受けて育った子どもたち。英語ペラペラで、親の話す言葉を理解するのに苦しんでいて、文字通り、言葉のためにコミュニケーションに齟齬がある。親子なのに、言葉が通じ合えない!
家に帰ると、中国、でも外は英語の世界。つまりこんな子供たちは二つの世界を抱えていることになる。
ただでさえ避け難い世代間の断絶は、言葉の隔たりゆえに救いのないものとなる。
世界中には数カ国語を稼いで喋っている人も確かにたくさんいるけれども、そういう家庭で直面する問題は、外の世界とは全く異なる、親たちが守り続けている家の中の中国文化や日本文化。
ティーンエージャーはこの問題に人生の何処かで必ずぶち当たる。
二つの世界の間で生きている。
Identity Crisis アイデンティティ・クライシス!
これこそが「エブエブ」の映画の本質なのです。
映画はパラレルワールドに引き込まれた主人公エヴリンは、世界が不調を来している原因の悪の根源を存在を知りますが、のちに悪玉は、実は現実世界の我が娘ジョイであると彼女は知るのです。
英語の世界と英語の下手な中国文化の家族の世界に暮らす若い娘は両親の文化を嫌っているし、自分が同性愛者であることを受け入れない母親に不信感を抱いていて、家を出ようとしている。
また両親の不和を知っていて、それもまた、母娘の間に大きな溝を作っている。
この歪な現実の母子関係が世界にゆがみの原因。
パラレルワールドなマルティヴァースの世界は現実世界が反映されたものなのです (SF的にはパラレルワールドとマルティヴァースは似て非なるものですが、ここではややこしいので、同じようなものとして扱います)。
なんだかエヴァ的な世界系物語なのかも(笑)=自分の存在が世界の存亡にかかわるという物語。
ウェイモンド=レイモンド?
あと、Waymond ウェイモンドという名前は英語の名前ではないのです。
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こっちは潰れかけのローンドリーを経営しているダメ男ではない、
カッコいいヴァージョン
ある中国系マレーシア人の方が指摘していましたが、中国語のRは英語のRとは違うので、Raymondのはずが、いつしか Waymond と呼ばれるようになったのだろうと語っておられました。
日本語にもRはないですが、Rは言語ごとに違うのが難しい。
日本語の「ラリルレロ」は、英語のRでもLでもない、Dに似たHard Rと呼ばれる音。
中国語のRはそれとも全く違う。発音する時の舌の位置が違うから。
中国語の日常語の「然后=それから」は拼音で
rán hòu
ですが、このR、全く英語のRとは違います。
わたしの耳には、Yan houといつも響いてしまう。今は慣れましたが、中国語は発音が本当に難しいと思いました。中国語Rは日本語のYの音に近いのです。
だからこの音で Raymond を発音すると、英語ネイティブにはきっと、Waymond みたいに聞こえるというわけです(英語耳には中国語RはWに聞こえるのか?)
英語を勉強している人には良い教材かも。
きちんと英語を話すヴァージョンのウェイノルドもエヴリンも、俳優たちは本来ネイティブスピーカーではないので、きっと日本人の耳にはわかりやすいはず。
Multiverseの可能性
この映画の設定の面白さのもう一つは、別の世界へ瞬時にジャンプすること。
でもそこからの設定が奥深く、別の世界を体験することで、その世界の自分が身につけている能力を元の世界に持ってこれるというのはなかなかユニーク(SFにはよくあるのでしょうか?)。
シェフである自分の世界、カンフーを極めた自分の世界など、他の世界を訪れて、その世界で培った能力を持ったまま自分の世界に戻ってくるのです。
映画を見ていない方には分かりづらいのですが、いろんな別の自分が別の世界にはいて、人生の分岐点の違いからこんな人生の選択をしていればこんな風になったであろうということが興味深い。
パラレルワールドの自分と一体化できる!
指がホットドッグになった世界では、現実世界で敵対している女性と、娘のジョイのように同性愛者として心を通じ合わせている。
だからこそ、この体験を現実世界に持ってきて、ジョイを理解できるようになり、彼女を受け入れられるようになる。
指がホットドッグなので、この世界では足の指でピアノを弾く!ドビュッシーの月の光は、足で弾いているという設定のためか、それほどいい演奏でもないけれど。
なんだかその昔に読んだ藤子不二雄FのSF短編集のパラレルワールドのお話が思い出されて仕方がありませんでした。
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そして自分はこんな生き方もできたのでは、こんな能力も持てた可能性があったのだということに思いを馳せることができたのは、もしかしたらこの映画を見た、わたしにとっての最大の収穫だったかもしれません。
自分自身のあり得たかもしれない、別の人生に、別の能力。
こんなことを考えたのは久しぶりで、新たな可能性に挑戦してみたくなりました。
SF要素のために見る人を選ぶかもしれませんが、この映画、非常にマンガチックで、最後のBe kindというメッセージも心を打ちます。全ての人に良いことをしていれば世界は開けるのか。
あまりに理想主義的だけれども、こういうことを思うことも大切です。
ネタバレしないので、詳細な内容は語りませんが、わたしにとっての見どころは、中国人英語と移民家族文化摩擦、そして自分自身の可能性への自覚でした。
ベーグルが支配する世界
いろんな見方があってもいいのでしょうが、もし自分がもっと若ければ、主人公の娘に感情移入して、世界は無意味であるというベーグル新興宗教に共感するのかも。
自分の今いる世界に満足できずにニヒルに生きたい、心の底では消えてなくなりたい自傷願望がある、容姿に自信がないティーン!
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これがジョイという女性の真実
こんな女の子はどこにでもいる。
自分を取り巻く世界が嫌いで仕方がない、典型的な当たり前な女の子のアメリカ版。
***
こちらにベーグルに関する非常に興味深い考察があります。
ChatGPT4はシンボリズムについても言及するとか。
わたしは村上春樹の「ノルウェーの森」的な、文学や映画の象徴主義的な記号論な深読みは嫌いですが、このGPTの意見には一理あると思います。グーグル目玉とベーグルの関連性、なかなか興味深い考察。
***
さて「エブエブ」、お勧め映画ですが、二度ほど出てきた「大人のおもちゃ」を小道具にした下ネタは大嫌いです (大笑いされた方もきっと世界中にはたくさんいたことでしょう)。
しかしLGBTQなジョイの世界観からすれば、あの場面で男性器のオモチャが出てくることは理に適っているのは確か。まさに無用の長物でふざけた武器には向いている。でも浣腸はどうなのか?
あれがなければ、家族で見れる、もっと万人受けする素敵なファンタジー映画にもみなせたたのに。蛇足ですが、まあそう一言、書き込んでおきます。
何はともあれ、奇抜な設定にも関わらず、「エブエブ」は壊れた家庭の、ありふれた家族の和解を描いた映画。
和解の言葉は Be kind…
このセリフをコロナでロックダウンの時にテレビでよく目にしました。
他人に優しくありましょうという当たり前すぎる言葉!
![](https://assets.st-note.com/img/1679890650628-JT19AjZcFq.png?width=1200)
「物事の良い面を見ることを選んだ時、自分はダメな奴じゃない。
それは戦略的で不可欠だ。
全てを通じて生き残るために学んだ方法だ。
君は自分がファイターだと理解している。
ああ、自分もそんな奴だと思うよ。
これが自分の戦い方だ。
自分が知ってるただ一つのことは、
僕らは優しくならないといけないということ。
お願いだ、思いやりを持ってくれ。
特に何が起きているのかがわからないときには」
このセリフで彼はアカデミー賞助演男優賞を確定したと言えるでしょうか。
暗記しておきたいような名セリフ
この普遍の真理を、このハチャメチャな映画の結論に押し込んだ映画製作者たちには脱帽です。どう繋いでいるかは見てのお楽しみ。
他人に優しくあれば、他人の痛みに共感して、苦しんでいるのは自分だけではないと分かるようになる。そんなメッセージ!
聖書みたいに Love one another なんて言えないけど、きっと Be kind ならば言えるはず。
助け合うことなければ、この異常気象や食糧不足で壊れてゆく、21世紀の複雑な世界を生きてはゆけないのだから。
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