秋のソナタ:落葉の季節が誰よりも似合うブラームス
悲しいもの思いに沈むのも長い人生の中では、長い目で見たときには大切な時間です。もう若くはない自分はそういう感慨にときどき憑りつかれて、ヴァイオリンが聴きたくなります。
秋の日の ヴィオロンのためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し
鐘のおとに 胸ふたぎ
色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや
げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな
こういう哀しみを味わえることは長い人生を通り過ぎてきた人の特権です。落葉に感情移入するような時間さえも人生の一ページ。
上田敏が訳したヴェルレーヌの美しい言葉も、若い頃にはわたしも理解できませんでした。でも今は胸に染み入る言葉です。
秋の日のヴィオロン(ヴァイオリン)と言えば「秋のソナタ」という言葉がよく似合うブラームスです。
何がいいかなとしばし考えて「悲劇のヴァイオリニスト」マイケル・レイビン Michael Rabin を思い出しました。レビンという一般日本語表記は正しくありません。aは二重母音です。映像の中の若くして死んだレイビンの姿は神々しいくらいに美しい。体幹の素晴らしさ。体が揺れても弓は常に弦に対して最も的確な角度で触れていて、体を振り動かし過ぎるヴァイオリニストたちとは次元が違うと思わざるを得ない。
白黒映像にセピア色が被せられたこの動画は、遠い追憶の調べをこうして秋の日にあなたに届けるにふさわしいものでしょう。
哀しみや悔恨は別の次元の思いへと昇華させてしまいましょう。秋の落葉を想って思い切り泣いてみて、いつかそんな秋の日があったのだなんて思える日がきっとやってくるものですよ。
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