「葬送のフリーレン」名言とドイツ語名称分析
2024年前半期アニメの中でも出色の出来栄えだった「ダンジョン飯」と「葬送のフリーレン」に非常に深い感銘を受けました。
二作についてはアニメ放映以前の昨年暮れ(2023年12月)に期待を込めて、長寿種族と短命種族という観点から、大まかなテーマについて語りました。
人類の亜種である大変な長寿を誇るエルフという人種が物語の主題となる両作品。
人類=ホモ・サピエンスの仲間は現在では全て絶滅しましたが、ネアンデルタール人やデニソワ人など、種類の異なる人類は確かに実在していたので、エルフやドワーフが別の人類としてフィクションの世界で存在していてもごく自然なことです。
寿命が異なるということから「人生の質と量」という深刻な問題が非常に興味深く追及されたことにわたしは深い感銘を受けました(巨体のネアンデルタール人はホモサピエンスよりも短命だったと考えられています)。
エルフ ELF とはもともと、ケルト神話の「小妖精」という意味です。
アイルランドなどに住み着いたケルト族の末裔の言葉「妖精、妖怪」を意味するエルフが英語に取り入れられたものでした。
Elvishという形容詞は「小妖精のようないたずら好き」から「チャーミング」であるなどと言う意味で現在でも使われます。
神秘的で耳長で長命で高貴な存在である特徴はトールキンの「指輪物語」によって一般化されました。
中世魔法世界をポピュラーなものとしたボードゲームの「ダンジョン・アンド・ドラゴン」の世界観を受け継ぎ発展させた日本のロールプレイングゲームから派生した二次作品はもう日本のアニメや漫画では当たり前のものとさえなっています。
長年、日本が培ってきたRPGというジャンルの伝統の結実として生み出された「フリーレン」と「ダンジョン飯」は、数ある中世風魔法ファンタジー漫画(アニメ)のおそらく最高傑作。
スタジオジブリが映画化した「ハウルの動く城」や「ゲド戦記」なども同じジャンルの作品なのですが、最新の「フリーレン」と「ダンジョン飯」はより洗練された世界観を持つものです。
「フリーレン」の原作はまだまだ続いていて、28話まで放映されたアニメもまた、最終目的地のエンデまでの旅は続くという言葉で終わっています。
ですので、「ダンジョン飯」同様に、おそらく来年2025年にはシーズン2として、続きがアニメ化されるものと期待しています。
名作の読み方、鑑賞の仕方は人それぞれなのですが、わたし的には「葬送のフリーレン」の最大のテーマは、長命のエルフと人間を理解しない魔族の視点から「人とは何かを理解する」ということ。
長寿種族ゆえに「人」の気持ちがわからないエルフのフリーレンは、短命種族の「人」である勇者ヒンメルの生き方に感化されて「人」という異人種を知りたいと願うようになる。ここが物語の始まりなのです。
一方、魔族という「人の言葉を喋る、人を捕食する魔物」の中には、種族的に人の感情を全く理解できないのにも関わらず、自分たちとは異なる「人」を興味本位に知りたいと願う個体さえもいる(人がチンパンジーの精神構造に興味を持つようなものです)。
でも種族的に相異なるために、魔族は「人を知りたい、共存したい」と願えば願うほど、殺しあうことになる。
エルフのフリーレンが人の感情を理解しない姿は、まるで発達障害の人を見ているかのようで発達障害に親しいわたしには非常に興味深い。
本格的作品論をネタバレせずに書くことは不可能なので、今回は印象的だった言葉を原作・アニメから抜き出して「葬送のフリーレン」の物語の本質について論じてみたいと思います。
「葬送のフリーレン」をまだ知らない人たちに知ってもらいたい楽しんでもらいたいが本投稿の趣旨なので、物語のネタバレはなしです。
原作は少年誌連載ですので「努力することのすばらしさ」と「ヒューマニズム」が作品の大事なテーマとしてブレることなく描かれています。
でも「ジャンプ」ではなく「サンデー」なので「努力と友情と勝利」は物語の中心主題にはならないところが自分には新鮮に思えたのでした。
名言集
「人生の長さについて」
「葬送のフリーレン」の副題は
つまり「旅の終わり」を超えて、「旅の終わり」のその先という意味です。
「葬送のフリーレン」にご覧になった方はもちろん、関心を持たれている方ならば聞かれたことがあるかもしれませんが、「フリーレン」は典型的なロールプレイング的な物語の終わりの場面から、物語が始まります。
勇者が仲間を集めて、苦労して最後に魔王を倒す。
このテンプレート、日本の昔話の「桃太郎」と全く同じです。
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