絶望の果てのロシア哀歌
滅多に聴くことのない、哀愁に浸るロシア音楽を聴いて、深い感銘を受けました。
というのも、学生時代にプーシキン、レールモントフ、トルストイ、チェーホフ、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキーといった革命前のロシア文学を愛読していたので、ロシアという国には特別な思い入れがあるのです。
ですが、文豪たちが絶えず憂いで嘆いていたように、ロシアの国の本質は、あまりにも階級格差が酷すぎるがゆえに悲しい出来事が耐えることがないというもの。
美しいリズムのロシア語によって、彼らが格調高く謳いあげた文学は、救いようのない国の実情をどうにかしたいという心の奥底からの希求だったのでした。
社会的問題を問い続けた忍耐強さにおいて、19世紀のロシア文学は、同時代の英文学や独文学や仏文学よりも優れていたと言えるでしょう。
そして、そうした嘆きの歌は芸術音楽の世界にも反映されています。
ロシアという国
19世紀、20世紀、21世紀と、どれほどに政権が変わっても、ロシアはロシアであり続けたと私は思います。
どういう意味か?
つまり、大量虐殺と文化統制の国ソヴィエトは帝政ロシアの正統な後継者であり、ロシアという土地の伝統を受け継いで、生まれるべくして生まれた政権。
ソヴィエト社会主義国家が消滅した後に残された、帝政ロシアが蘇ったかのような現代の独裁的ロシアもまた、古きロシアの伝統を忠実に受け継いできたロシアそのもの。
二十世紀のソルジェニーツィンやザミャーツィンのディストピア小説を読み、ショスタコーヴィチやプロコフィエフのディストピア国策音楽を聴いて、ロシア文学への関心からロシア語を数年ほど学ぶも、ロシアという国の在り方に、どうにも度し難い哀しみしか抱くことかできないのでした。
覇権主義国家ソヴィエト連邦の再興を悲願とする独裁者ヴラジミール・プーチンが生きている限り、我が祖国である日本国の北海道が第二のウクライナになることはほぼ間違いなさそうな世界情勢。
でもおそらくプーチンがいなくなっても、第二のプーチンが現れるのがロシアの伝統でしょう。
そういう祖国の行く末を憂いていて声を上げることのできないロシア人庶民は、ロシアにはどれほど数多くいることなのでしょうか。
帝政ロシアの頃から何も変わらない、ロシアの覇権主義のあり方を知ると、ロシアの隣国、遠い祖国の日本が心配でなりません。
支配する者と支配される者で出来上がっているロシアのロシアらしさは芸術音楽の中にも深く刻印されています。
豪壮で必要以上なほどに輝かしいファンファーレを伴った英雄的な音楽とともに、いつも表裏一体の存在として鳴り響いていたのは、絶望的なほどに哀しいゆっくりとした音楽の中の調べ。
外面的な音楽の裏返しのように、救いなき悲哀の中に沈み込む内向きの緩徐楽章はロマンティックだけれども、あまりに悲しい。
そんな両極端の音楽が併存しているのがロシアの芸術音楽。
ロシアのクラシック音楽
グリンカとチャイコフスキー
十九世紀帝政ロシアで最も著名だった作曲家チャイコフスキーで言えば、第四交響曲の第二楽章のメランコリーと第四楽章の爆発的な勝利の歌が好例。
または比類ない絶望で幕を閉じる第六番の悲愴交響曲。中間楽章では対照的に刹那的な明るさが対比されます。
勝利と悲哀の対比。
悲哀は克服されるものではなく、勝利の歌の隣りに並べられている。
チャイコフスキーの先輩ミハイル・グリンカ (1804-1957) も哀歌を書いています。
悲しい歌はロシア音楽の伝統。もちろん民謡から受け継がれてきたもの。
カリンニコフとラフマニノフ
グリンカよりも百年後のセルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943) も哀歌を好んで作曲しました。
ラフマニノフの時代遅れなロマンティシズム(20世紀になっても19世紀後期ロマン派的な音楽ばかりを書いていた)はロシア的な悲哀の表現の昇華されたもの。
ただの時代遅れな音楽ではないと思います。
数日前に偶然聴いた同じような音楽が、チャイコフスキー (1840-1893) の次の世代の作曲家ヴァシリー・カリンニコフ (1866-1901) の代表作である交響曲第一番と第二番でした。
交響曲の両端楽章は、チャイコフスキーのように外面的に派手なファンファーレの音楽。
そして中間には、やはり甘い哀愁の緩徐楽章を持つロシア的な交響曲の典型。
特に演歌のようにこぶしを効かせて歌い上げるアンダンテ楽章の悲哀の歌は、ロシア人民の国家に服従するほかはない運命の下に生きているロシア人の魂の訴えのよう。
または甘い夢想による現実逃避。
どうしようもない暴力的な権力の前にはただ悲しむことしかできない。
そして悲しみはいつしか祈りに変わる。
とてもロシア的な表現に思えます。
表面的には愛らしい響きの中に響き渡る虚無が、脳裏から離れることがない。
チェコのドヴォルザークのスラヴ調にもわたしは深く共感しますが、ドヴォルザークにはノスタルジアを思わせる甘さが虚無に支配されることはありません。
ロシア音楽は徹底的に悲哀に淫している。
そんな絶望的な悲しみをロシア音楽を聴くたびに見出すのです。
モーツァルトと同じ若さで夭折したカリンニコフには「悲しみの歌 Chanson Triste」というピアノ小品があります。
今回初めて発見してピアノで弾いてみましたが、ロシア的な五拍子のメランコリーな音楽が耳に心地よい。
ロシアの五拍子
五拍子とは三拍子と二拍子が交互に現れる音楽です。
伝統的なロシア音楽特有の混合拍子が五拍子。
異なる拍子が組み合わさっているので、音楽がスムーズに流れてゆかない。
悲愴交響曲の第二楽章や、後述するムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」のプロムナードなども五拍子。
ピアノ愛好家向きの易しい小品ながらも、忘れがたい佳品。
メランコリーで五拍子だから真っ直ぐに小気味良くは進まない音楽。
ああロシア音楽だなあと嘆息しました。
ロシアの哀しいワルツ
こういう悲哀に浸る音楽は本当にロシアの芸術音楽の世界にはたくさんあり、わたしが愛奏するチャイコフスキーのピアノ小品「感傷的なワルツ」や、あまり知られていないヴラディミール・レビコフ Vladimir Rebikov (1866-1920) の「メランコリックなワルツ」などがあります。
ここではチェロ版をお聞きください。いろんな楽器に編曲されています。ロシア音楽の中のロシア音楽といった趣の音楽。
ロシア音楽にはこうしたメランコリーやセンチメンタルがあふれている。
ロシア人の短調偏愛はまったく国民的嗜好。
しかしながら、どうしようもない独裁政治に対して背を向けて現実逃避なメランコリーに浸るほかはなかったが故に、このような悲しみに浸る音楽がしきりに愛されたと言えるでしょうか。
19世紀、農奴が帝国を支えていたロシア貴族たちは、長大な文学読書に浸り、メランコリーな音楽の世界や、ヴォトカの酩酊に現実を忘れたのでした。
20世紀、ソヴィエト独裁の時代にもロシア音楽は悲哀の中に浸る調べを生産し続けて、哀愁のロシアの伝統を保ち続けました。
哀歌
ルネサンス・バロック作曲家カッシーニの名を借りて前世紀の終わりに発表された、ソ連作曲家ヴァヴィロフのアヴェ・マリア。
この作品もまた、ロシアの哀歌。
ロシア音楽は哀しい。
どこか日本の演歌にも似ている、ロシア節とも呼びたくなる独特の節回しの音楽。
派手なファンファーレ轟く軍歌的な勝利の歌の反対側にはいつだって存在していた哀しいロシアの歌。
ロシア革命勃発した祖国に帰国せずに亡命を選択したラフマニノフのヴォカリースもそんな伝統的なロシア的哀歌の一つなのでしょうか。
ビドロ(牛車)という名の農奴
19世紀のムソルグスキーは親友ヴィクトール・ハルトマンの遺した絵の展覧会から受けたインスピレーションからピアノ組曲を作曲しました。
「展覧会の絵」という曲集には、ビドロ (牛車) と呼ばれる、重々しい低音が、とてつもなく重い何かを引きずってゆく牛車ののろのろとした足取りを音化した小さな曲が含まれていますが、実はビドロを引いているのは、牛ではなく、人であると言われています。
ビドロ (牛車)とは虐げられた農奴の婉曲表現のこと。
ビドロは農奴。奴隷のように貴族に酷使されていたロシア農民たち。
捜せば、ロシアの芸術音楽の世界には悲しい歌がいくらでも見つかる。
ロシアの哀愁の音楽は甘い憂いの音楽ではなく、絶望的なほどに沈鬱な現実への嘆きの歌だとわたしには思われてなりません。
国家を代表する国民的作曲家だった十九世紀のチャイコフスキーの唐突な死は謎めいています。
ですが、独裁者に反対の立場をとっていたアレクセイ・ナワルヌイ Alexei Navalny (1976-2024) 同様に消されたことは間違いないと、わたしは確信しています。
不可解な死を遂げたチャイコフスキーの死因は当時の公式発表では伝染病のコレラ感染によるものだとされていますが、たとえ、どのように消毒されようとも、その後すぐに国葬として大勢の人々の前に伝染病死した人物の遺体が安置されたことは当時の医学的常識からしても不可解なことです。
ナワルヌイが毒殺または凍死させられたであろうと推測されていたとしても、彼は「病死」だったのですし、チャイコフスキーもまた「病死」したのでした。
世界的な名声を誇っていた大作曲家の同性愛疑惑はロシア帝国には不都合な真実。
不都合な真実が露呈しそうになると、密かに悲劇的な出来事が起きる国がロシア。
ロシア音楽の沈鬱さはそんな国の実情の反映。だからわたしはロシア音楽の憂愁に単純に酔うことはできない。
こんなロシアが祖国日本の隣国であることを異国に住むわたしはただただ憂うばかりです。
ショスタコーヴィチの場合
ロシア音楽の悲哀の後ろ側には必ず現実世界の悲惨さが投影されているのです。
ロシア音楽の二十世紀的な正統的後継者のショスタコーヴィチの音楽を極度に偏愛しているわたしはそう思わずにはいられない。
スターリン政権下を生きたショスタコーヴィチの音楽には、チャイコフスキーやラフマニノフやカリンニコフの甘さが欠如している。
俗っぽい大衆ウケする作品も国策として求められたためか、ジャズ組曲などもいくつか作曲していますが、ショスタコーヴィチの本質は悲しいロシアの現実を描き出すことでした。
でもショスタコーヴィチの捻れた音楽は鍛えられていない耳にはなかなか届かない。
それでも哀愁に溢れたヴァイオリン協奏曲は聴きやすいのでは。
ロシア的な悲哀の音楽の伝統を受け継いでいるようなのだけれども、抒情性と暴力性が一体になったような不思議な音楽。
ここではノクターンと題された第一楽章をどうぞ。乾いた哀愁の世界が次第に壊れてゆく音楽。
ロシア音楽の哀愁って、このショスタコーヴィチのように、悲劇的世界の中で現実逃避しているような音楽に思えてならないのです。
21世紀にもロシアの哀歌は受け継がれていることでしょう。
現代のプーチン・ロシアまで綿々と続く、あまりにも過酷なロシアの歴史を紐解くとそう思わざるを得ないのでした。
音楽は有閑支配者階級のための娯楽以上の、本当のことを語ることのできない人間たちの魂の表現方法。
音楽に対して真剣に向き合うと、そういう音楽もあるのだと心底思わざるを得ないのでした。
世の非条理を儚んで悲しむための音楽、世の中にはそんな音楽もあるのです。