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ジャズとクラシックの共通点(5)
<5>ショスタコーヴィチがジャズと呼んだ組曲
62歳でラヴェルが他界したのが1937年12月。奇しくもアメリカのジョージガーシュウィンもまた同年7月に天に召されてしまいます。
1940年代に入り、古き良きスウィングジャズはいわゆるモダンジャズへと変容します。スウィングジャズというスタイルのありとあらゆる可能性は試しつくされてマンネリに陥ったがためです。
ジャズミュージシャンたちはビッグバンドジャズの即興演奏の要素を独自に発展させ、ディジーガレスピーやチャーリーパーカーなどという天才が登場。
即興演奏を極めつくすビーバップと呼ばれる音楽の誕生です。スウィング・ジャズとは踊るための音楽でしたが、ビーバップではあまりにも激しすぎて踊れません。音の展開の可能性を徹底的に極めた限りなく密度の濃いアドリブ。曲の主題の形が姿をとどめぬほどに変容されてそれが何コーラスも延々と繰り返されるのです。極端な場合には一拍ごとに半音階的なコードによって変奏されてゆくのです。
踊れないダンス音楽。シューベルトは友人たちが踊るためにワルツを書きましたが、次の世代のショパンのワルツでは踊ることはできません。ジャズはクラシックと同様の奇跡をここから辿ってゆくのです。
しかしながらベートーヴェン的な理詰めのビバップは一部の熱狂的なファンを獲得した一方、あまりにも複雑化した音楽を嫌う聴衆はもっと洗練された音楽を求めるようになります。
それがハードバップと呼ばれるソフト化されたジャズで、ジャズミュージシャンは「作品」としてのジャズ音楽の制作に打ち込むようになるのです。ジャズのロマン派音楽化です。世界観を持つ音楽の制作はロマン派音楽の世界観に通じます。
1950年代そして60年代には数多くの優れた、自宅での鑑賞用のジャズアルバムが製作されました。わたしもたくさん聴いたものです。
やがて、ロマン派的なジャズもまた限界にぶち当たります。新しいものを追求して行けば古い殻を脱ぎ捨てて行かねばなりません。
新しい道の模索。つまりフリージャズやモードジャズへの変容です。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンの存在はクラシック音楽で例えるならば、この回答の最初にあげたドビュッシーに当たります。教会旋法(モード奏法)による新しい響きがジャズに取り入れられましたが、ここまでくれば行き着く先はクラシック音楽同様です。ジャズの調性崩壊にあたるものがコード進行をほとんど無視したフリージャズですね。
そうなるともう袋小路で、もはや和声的には開拓するべきものがなくなってしまう。進化するジャズができることと言えば音色を変えることばかり。つまり楽器を電子化したりするなどしかできなくなってしまいます。
マイルス・デイヴィスに見出された「黒人ではない」理論派ピアニスト・ビル・エヴァンズもまた新しいジャズを探していましたが、わたしには彼らの試みは美術史でいうところのマニエリスムですね。過去の音楽の洗練。
マンネリズムな美で支配されたキースジャレットのケルンコンチェルト(1975)。とてもクラシックで19世紀ロマン派風なジャズピアノ。ジャズとクラシックのフュージョン。
チック・コレアやハービー・ハンコック、そしてキース・ジャレット、こうした新しいジャズ世界の俊英たちが、電子楽器などを用いてもう一度ジャズの語法を洗練させてゆくのです。フュージョンだとかコンテンポラリー・ジャズなどと呼ばれますね。
こうしてこれ以降は、かつてのジャズの過去のスタイルを融合させて21世紀にまで至るようですが、1960年代の終焉をもって、発展という意味ではクラシック音楽同様にジャズも古典芸能化してしまったといえるでしょうか。
1960年代より世界の大衆音楽を牽引する音楽はもはやジャズではなくロックであり、大衆音楽もまたさらに多様化してゆきます。
クラシック音楽は現代においては映画音楽としていまも生き残っていますが、新しい音楽は過去に作り出された理論に基づいて再生産されている音楽。映画音楽を書くための音楽理論は完全に確立されていて教科書もいくらでも見つかります。これからの新しい音楽は今に過去に使われた音楽を同工異曲して使いまわしているばかり。過去のクラシック音楽に通じている私の耳には大抵の場合、新しい音楽にデジャヴ(既視感)を感じます。
ジャズもまた同じ。なぜならばジャズもクラシックも同根な音楽なのですから。そこでそんなマニエリスムなジャズとクラシック音楽の世界を象徴するように思えるのが、古い時代のスタイルで音楽を書くことを強要されたソヴィエト社会主義リアリズムのディミトリ―・ショスタコーヴィチ。
ショスタコーヴィチ作のジャズ組曲 (1938)はクラシックファンにはよく知られた音楽ですが、どこにも新しいものはなく、ジャズ的な要素もなく、普通の古い時代のスタイルのダンス音楽。
でもどこか古き良き時代のスウィングジャズを思わせないでもない。つまりショスタコーヴィチが思うところのジャズとはこんなもの。ジャズっぽい音楽。そしてわたしは21世紀においてよく持て囃されるジャズっぽい音楽のはしりなのではないかと考えています。
ジャズもまた、クラシック音楽の作曲家が作曲するにあたって、バロック風にしようか、ロココ風、ベートーヴェン風、後期ロマン風、スペイン風、または無調音楽風などと音楽のイメージを思い浮かべる素材の一つとなったのです。
ジャズもどき、ジャズ風、ジャズ的な音楽。
ジャズもまた過去に存在した音楽から派生したスタイル。クラシック音楽の伝統を汲む久石譲の映画音楽もジャズ風に演奏できてしまうのはクラシックとジャズが同根だから。
でもジャズっぽい音楽ではなく、本格的なジャズは?
<その6>へ続く。
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