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ショパン漫画、または漫画家ショパン

フレデリック・ショパンの新曲発見は驚くべきものでした。

二分にも満たない短い作品ですが、いきなりおどろどろしい荘重な音のドラマが開始するも、すぐにショパンらしい抑圧された哀歌のように静まり返る。そんな暗く静まり返った音の世界は最後の24小節目に達して冒頭に戻ると、アップビートする不安の響きはフォルティティッシモとなって最初に聴いた時よりもさらに悲劇感を増した響きとして再現されて胸が苦しくなります。

今回も実はNote公式企画にインスパイアされた投稿、第四弾です。

#好きなnoteクリエイター


ショパンの手紙を読まれて感銘を受けて、ショパンの少年時代のエピソードを漫画として紹介しようとされているハイハイミミさんを応援するつもりで紹介いたします。

これからショパンの少年時代のエピソードを漫画として紹介しようという企画。

上記の「少年ショパン~天才の育て方」では、母親と姉からピアノ演奏の手ほどきを受けていたショパン少年の最初の音楽の先生だったヴァイオリン奏者のジヴヌィ先生との暖かな交流について描かれています。

6歳の坊やと60歳の老音楽家。

孫とおじいちゃんのような二人ですが、ジヴヌィは天才少年ショパンの才能と前途ある未来を讃えて、幼いショパンをより大きな音楽へと導くのです。

ジヴヌィはショパンが生涯尊敬することになるバッハやモーツァルトやハイドン、フンメルを紹介したそうで、良い出会いだったのですね。

マンガの中のチョイ悪みたいな感じの初老のジヴヌィのキャラ造形は素晴らしく、いい味を出しています。

どんな人だったのか、ほとんどわからないのですが、でも歴史の空白を想像力で補って、このような物語に仕立て上げたことは素晴らしい。

わたしは流浪の音楽家ジヴヌィ(Wojciech Adalbert Żywny 1756–1842)がもうすでに60歳であったこと、そして大変に長命に恵まれて、その後二十年以上も生きたということに感銘を受けました。

後年、老いたジヴヌィ先生は異国で成功したショパンの名声を伝え聞いて、どれほどに喜ばれたことでしょうか。

ジヴヌィのことは以前にこちらで少しだけ言及しました。

ショパンという作曲家

ピアニスト兼作曲家フレデリック・ショパンは、19世紀初頭に完成したモダンピアノという楽器で、それまで誰も考え出したことのないような詩的なピアノ音楽を作り出した人でした。

音楽史上、もっとも偉大なピアニストのフランツ・リストさえも、ショパンのピアノの奏でる抒情的な半音階のメロディと独創的な和音に驚嘆したほどでした。

ショパンは音楽史上、ドイツロマン派にも、フランス音楽流派にもイタリア音楽流派にも、どこにも属さない全くのオリジナルな珍しい音楽家です。

音楽史という大海の中の孤島のような存在。

わたしはショパンよりもフランツ・リストの方が好きなのですが、ショパンとリストのエピソードはショパンが大人となって祖国ポーランドを後にしてからの物語です。

でも実はショパンという人物を知るうえで最も面白いのは、祖国ポーランドでのエピソード。

家族に囲まれて過ごした楽しい日々、家族の死、友情、初恋、冒険。

ショパンのワルシャワでの日々は、現代のわたしたちの誰もが共感できるような家族と友達たちとの思い出で一杯です。

次のような楽聖たち:

  • 貧民窟に生まれたブラームス(子どもなのに港町ハンブルクの水夫と娼婦相手のいかがわしい酒場で夜遅くまでピアノを弾いて、家族のために日銭を稼ぐ児童労働者。そんな劣等感からあんなに優柔不断で引っ込み思案になった???)

  • 幼児虐待されたベートーヴェン(家庭内暴力の被害者。学校にもゆけず、未成年労働者としてオルガンを弾いたりヴィオラを演奏したり。親に怒鳴られて育った子供は長じて、やはり怒鳴る人になります。幼少期のトラウマのために)

  • 孤児となったバッハ(9歳で母親、10歳で父親を失い、長兄の家で居候して肩身が狭い暮らしを強いられる。だからお金のことをいつも考えていた???)

などとは違って、家庭的な暖かさの中で幸福な子供時代の中で育つことができたのがフレデリック・ショパンでした。

ああ可哀そうな3Bたち。

手紙を読むと、ユーモアあふれる明るい人柄のショパンを知ることができるようになります。

そして若かりし日の楽しかった日々を知れば知るほど、後年の貧乏と病気の過酷な日々とのあまりのギャップに胸が苦しくなります。

あんなに家庭的な幸福の中で育ったのに、自分自身の家庭的な幸福は得られなかったショパン。

だからハイハイミミさんの着眼点は素晴らしく、素晴らしいマンガを完成させてぜひとも出版していただきたいと思います。きっと読んで元気が出る作品になるはずです。

でもここでショパンの子供の頃のエピソードを披露してしまうと、これから書かれる漫画のネタバレになりそうなので、ここではショパンの画才に注目してみたいと思います。

漫画家ショパン!

子どものショパンは演技をすることが上手でした。

舞台俳優になれると子供の頃に大人たちから言われるほどでした。

姉妹と「何とかごっこ」とかに興じて遊んでいたのでしょうね。

わたしにも弟がいますので、心当たりがあります。

そのような遊びの中で名優だったショパン少年。

また絵を書くことも好きでした。

英才教育を受けたメンデルスゾーンのように絵を書くための家庭教師から水彩画の手ほどきを受けたわけではないので、ショパンには絵画作品はありませんが、いつくかの落書きを書き残しています。

いわゆる漫画(戯画・カリカチュア)ですが、落書きを書いて楽しむ性癖を持っていたのです。

現代まで残されたものは多くはありませんが、次の落書きは手紙の中で言及されていて、描かれた当時の状況がわかってなかなか面白い。

描かれているのは、手紙で言及されている大学教授たちです。

大学の先生?
先生なのに??

1828年9月16日の手紙には:

赤線 Caricature(カリカチュア)は漫画にされた人物のことですが
現代日本語では「キャラ」なんて風に訳すといいかも
丁寧に訳すのは面倒なので要約すると
大学の先生たちの会食に出席させられて退屈して
教授たちを観察して三種類にタイプに分類
その三種類をマンガ(カリカチュア)と呼んでいたのです
もちろん家族に対してだけ、こういう本音を語っています
会食のために神童ヴァイオリニストのコンサートに行く機会を逃したので、
別の日にはご飯はひとりで食べますと別行動。
まあそんな他愛のないことを家族に報告しています
フンボルトという名前がありますが、
有名な博物学者のアレクサンダー・フンボルトではなく
兄の方の哲学者・言語学者・政治家だったヴィルヘルムの方です

手紙はベルリンで書かれて、ワルシャワの家族に送られました。

つまりマンガが描かれたのはベルリンにおいてでした。

お父さんの友人でワルシャワ大学の動物学の教授のヤロツキ先生がプロイセンのベルリンの学会に出席する折、同伴することが許されて、ベルリンに数週間滞在していたのです。

18歳のショパンにとって、初めての外国旅行でした。

1828年のベルリンといえば、20歳のメンデルスゾーンによるセンセーショナルなバッハの「マタイ受難曲」復活上演が行われる一年前のことでした。

翌年のバッハ蘇演の陰の立役者メンデルスゾーンの先生カール・ツェルターはバッハの声楽音楽演奏を盛んに行っていました。

18歳のショパンはベルリンでコンサート三昧の日々を送り、ツェルターが指揮するバッハの合唱音楽を初めて聴いて感銘を受けています。他にもスポンティーニのオペラを見たり、ピアノ工房を訪ねたり。

残念ながら、このベルリン滞在時にはショパンはメンデルスゾーンには出会っていません。ショパンがメンデルスゾーンと友人になるのは、後年のパリ時代のことです。

メンデルスゾーンの歴史的快挙についてはこちらで詳細に語りました。

ショパンの落書きはただの落書きでしかないものですが、後年のあの陰鬱なマズルカや劇的なスケルツォや「革命のエチュード」を作曲したショパンなどからは、ショパンがこんな絵を遊びで書いていた普通の青年だったとはなかなか想像しがたいものですね。

大天才ショパンも普通の人だったのです。音楽以外では。

今日まで残されているものはあまりないのが残念ですが、教科書の隅に落書きしてふざけたりしていた私たちとあまり変わりのない、楽しい人だったと知っておくことはいいことでしょう。

ショパンは3Bのように近寄りがたい人たちではなかったことは確かです。

3Bは三人とも、何とも言えぬ人を寄せ付けないオーラを漂わせていた人たちですから。

楽譜の下書きにこんな落書きが。

書かれている人物、誰だかわかりますか?

この楽譜は、ショパン初期の傑作のモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の名アリアに基いた

『「お手をどうぞ」の主題による変奏曲』作品2

の下書き。

ドイツにいたローベルト・シューマンが楽譜を見て「天才だ!脱帽せよ!」と新聞で褒めちぎった作品です。

つまり書かれているのはモーツァルト。

なかなか良く似ていませんか?

ランゲ(モーツァルトの義兄)が描いた肖像画、この頃にはもう有名だったのですね。

作曲してて疲れたのか、脱線してお遊びで楽譜に絵を描いてみました!というところでしょうか(笑)。

ちなみにヴェリズモオペラの大作曲家ジャコモ・プッチーニも似たようなことをしています。

自画像でしょうか?

彼の出世作「マノン・レスコー」の自筆譜からです。

こういう遊び心があるからこそ、ああいう洒脱なオペラをたくさん書けたのでしょうか。

贅沢な派手好きで女好きで車狂いのプッチーニらしい。

大作曲家で他に絵を描くことが好きだった人には、十二音技法の創始者アルノルト・シェーンベルクがいました。

ワシリー・カンディンスキーと友人になり、影響を受けて、37歳で初めて絵筆をとり、長命に恵まれたシェーンベルクは余暇に油絵を描き続けて、かなりの数の作品が残されています。

CD時代にアルバン・ベルクやシェーンベルクのCDを買うと、ジャケットの図柄には大抵シェーンベルクの絵画が使われていました。

だからどれもとても馴染み深い絵ばかり。

弟子のアルバン・ベルク

わたしはまだ少ししか読んでいませんが(英語で読んでます)、ショパンの手紙はなかなか面白いですよ。

モーツァルトの手紙の凄さには到底及ばないかもしれませんが。

でも文学に匹敵するような多彩さと愉しさと悲劇性が刻み込まれているのは、音楽家の中では、おそらくモーツァルトの手紙だけです。

でもショパンにはモーツァルトとは違った魅力があるので、ショパンの音楽がお好きならば、きっと面白い発見がありますよ。

でもまずはハイハイミミさんのショパン漫画をお勧めいたします。


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