名画「ファニーとアレクサンデル」の冒頭を飾る最も夢想的な調べ(Noteの中に埋め込める動画が見つかりませんが、是非YouTubeで見てみてください)

20世紀最大の映画の巨匠の一人であるスウェーデンのベルイマンが最後に撮った映画は「ファニーとアレクサンデル」という五時間にも及ぶ長大なテレビドラマのための映画でした。1982年の作品。三時間に短縮された劇場用映画作品も制作されました。映画版はイタリアの巨匠トルナトーレ監督のシネマパラダイスにも似て、劇場版とディレクターズカットでは鑑賞後の感銘が全く異なるという映画の中の映画ともいうべき作品です。わたしは細部までしっかりと良くわかる五時間版が好きなのですが、短縮版もオリジナル版もある素晴らしい音楽から開始されます。

初めて聴いた時、この曲どこかで聴いたけど何だっただろうと考えてしまいましたが、やがて曲想は変化してローベルト・シューマンの大傑作「ピアノ五重奏曲変ホ長調」の第二楽章なのだと分かりました。

分からなかったのは、三部形式のこの曲の中間部の抒情的な部分から映画が始まったからでした。

夢想家シューマンの極みとも呼びたくなる幻想的な調べ。でもやがて不毛の世界を描き出しような音の動かない不気味なリズムを刻む音楽へと変わり、「ファニーとアレクサンデル」の壮大な物語が人形劇の世界から現実となってゆくのです。

全ての映画の中でも、これほどに見事な映画の導入部はないとわたしは思います。

この映画のことを思い出したのはもちろん作曲家ファニー・メンデルスゾーンと映画のファニーが同名だからですが、映画が面白いのは題名に名前が含まれているにも関わらず、ファニーはほとんど映画には登場しないこと。11歳のお兄さんのアレクサンデルばかりが物語の進行を担うのです。だったらどうして題名はファニーなのだと訝りたくもなりますが、名匠ベルイマンはほとんど活躍しないファニーの場面にこそこの映画の本当の意味を込めたのかなとさえ最近は思うのです。

まるでフェリックスと彼の影の存在にされた姉のファニーのように。

シューマンには劇的ドラマからの流れを壊してしまうような逃避的で超幻想的な音楽が激しい曲想の音楽の中に現れることがよくあるのですが、ピアノ五重奏曲は本当にシューマン音楽の典型なのだなと感動します。先日シューマンの知られざる名作弦楽四重奏曲一番と三番を聴いて、激しさや苦しみや不毛の世界と対比される幻想的音楽がやはりシューマンの素晴らしさなのだと再認識しましたが、この手の音楽の最高傑作はやはりピアノ五重奏曲です。何度か実演で聴きましたが、映画にあまりに感銘を受けたので、コンサートホールでわたしが最も期待して聴き耳を立てるのは第二楽章の中間部に対してです。

クラシック音楽を生涯愛し続けて自身の名作の中に何度もクラシック音楽の調べを使用したベルイマンですが、自作の集大成である本作品では徹底的に自分が好きな夢想的音楽の調べで映画を幕開けさせたのでした。人生とはこのような夢想と続く乾き切った虚無のような世界、その二つでできているとだとこの冒頭のシューマンで象徴させているかのよう。映画の中身もファニーのアレクサンデルの兄妹は夢と悲惨の世界を音もながらに彷徨い生きてゆきます。

シューマンの夢想こそが実は人生の全て、そんな思いにもさせられるのです。ハイドンやバッハ的な神を信じる健全な迷うない人生や不条理な人生に抵抗するベートーヴェン的な人生でもなく、フロレスタンとエウセビウスとシューマンが名付けた両極端な二面性の世界が人生で、激しい激情に身を委ねると滅び去ってしまう、そして残るのはこの映画の冒頭の音楽のような夢想的で幻想の調べのみ、人生とは泡沫の夢に過ぎないのだと。

普段はあまりシューマン的な内向きの音楽には親しみたくないのだけれども、ときどきアレクサンデルの現実の非現実の世界のはざまを彷徨い歩くような思いに囚われます。そして聞こえてくるのはピアノ五重奏曲の第二楽章なのです。

世紀の名画です。機会があれば是非ご鑑賞ください。わたしがこれまでの人生で最も深い感銘を受けた映画です。これまでたくさんみた映画の中で一つだけ選ぶならばこの作品。作品の中でシューマンの夢うつつの調べに耳を傾けてみてください。

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