ピアノのバッハ(番外編4):バッハ演奏史のコペルニクス的転回
30回にわたって綴った「ピアノのバッハ」は出版準備中。
「ピアノのバッハ」という主題は想像力の源泉であるとも言いたくなるほどに、この言葉を思うだけで、いくらでも書きたいことがわたしの中に湧き出してくるので、これからもきっと書き続けてゆきます。
20世紀の半ばに生じた、古楽器復興運動というパラダイムシフトのために、バッハの演奏様式は、それ以前とそれ以後で全く変わってしまいました。
バッハ演奏史は:
失われた音楽としてのバッハの時代(1750年‐1829年)
過去の音楽家の音楽が演奏される習慣はなかった時代のため(英国のヘンデルだけが例外)バッハは1750年の死後、忘れられる
息子カール・フィリップ・エマヌエルが所有していた遺産はプロシア王の図書館に集められる。それらの未発表楽譜はのちにヴァン・スヴィーテン男爵によって、ウィーンのモーツァルトやベートーヴェンに伝えられる。モーツァルトは、それまで知らなかったヨハン・セバスチャン・バッハの音楽を徹底的に勉強する。バッハの楽譜は写本として流通するようになる。
プロイセン王国の首都ベルリンには、のちのメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」歴史的蘇演を支援するバッハ愛好家が集まっていて、世間的には忘れられてゆくバッハの音楽を守り続けてゆく。
メンデルスゾーンの母方の大叔母サラ・レヴィ、メンデルスゾーンの作曲の師カール・ツェルターなど。
メンデルスゾーンの祖母ベラ・サロモン(サラの姉)もまた、こうしたバッハ崇拝する音楽家サークルの内にいたために、大曲「マタイ受難曲」の全曲写譜を入手。1823年か1824年のクリスマスにプレゼントとして15歳のフェリックスに贈る。
メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」歴史的蘇演(1829年3月11日)
「マタイ受難曲」全曲譜入手の五年後、二十歳のフェリックス・メンデルスゾーンはロマンティック解釈を加えて大幅なカットの上でクラリネットパートなどを加えて編曲した「マタイ受難曲」をバッハによる初演の1727年からほぼ百年ぶりに公演する。
メンデルスゾーンはチェンバロではなくピアノから弾き振り。
以来、限られたベルリン・サークル以外ではほぼ忘れ去られていた大バッハの名声が広く知れ渡り、バッハの楽譜が次々と出版されるようになる。
19世紀のバッハはメンデルスゾーンの例に倣い、19世紀的にロマンティック解釈が加えられて演奏されるようになる。
ロマンティックなバッハの時代(1829年ー1950年代)
シューマンやリストやブラームスは、バッハをロマンティック解釈で編曲してバッハ音楽を広める
19世紀後半、マーラーやストコフスキー編曲のオーケストラによるバッハや、ブゾーニやラフマニノフ編曲のピアノ版バッハなどが生まれる
20世紀になると、巨匠たちによる超ロマンティックなバッハ録音が数多く作られる
1920年代、18世紀の楽器を現代の需要にこたえる形でロマンティックな時代の好みを反映させた改造チェンバロが発明される。弦の数を増やして鋼鉄フレームを用いたため、チェンバロなのに大音量のバッハが大ホールで演奏される
客観的なバッハ演奏による新時代の到来(1920~50年代)
20世紀前半から始まった、主観を排して楽譜通りに演奏、19世紀的なロマンティックな演奏は慎むべき、という即物主義が新時代の旗印となる風潮の中、バッハの音楽はバッハの時代のスタイルで演奏すべきという流れが20世紀前半に生まれる
1904年、パブロ・カザルス (1876-1973) は練習曲としかみなされていなかった無伴奏チェロ組曲を公開演奏して復活させる。強拍と弱拍を明確に弾き分けたゴツゴツした演奏は、次の時代のバッハ演奏の先駆的模範となる
新時代のバッハ演奏が模索される。即物的解釈はバッハ演奏にも採用され、エドウィン・フィッシャー (1886-1960) やディヌ・リパッティ (1917-1950) の非ロマン派的なバッハ録音などが生まれる
カール・ミュンヒンガーはモダン楽器のオーケストラを用いて、主情的になり過ぎない、ロマン派表現を抑制した新しいバッハ演奏で脚光を浴びる
1955年デビューのグレン・グールド (1932-1982) のピアノ演奏が一世を風靡。賛否両論のなか、グールドはバッハ演奏史上、最も影響力を持つ演奏家となる
声楽においては、聖トマス教会のカントルであるギュンター・ラミン(1898 -1956) の弟子カール・リヒター (1926-1981) が「現代楽器」の演奏によって、非ロマン派的なリズム主体の新しいバッハ像を確立
バッハ・ルネサンス=古楽器復古運動始まる(1960年代以降)
博物館に保管されていたバッハ時代の楽器が復元され、バッハ時代の演奏方法が研究される。強拍弱拍の交代、アクセントの長短という考え方が発見される
バッハ・ルネサンスの始まり:アーノンクール、ブリュッヘン、レオンハルト、ピノック、コープマン、ホグウッド、クイケンなど、20世紀後半は古楽演奏の巨匠の時代となる
バッハ時代の古楽器が復元されて、複製も作られて、バッハ演奏に仕様れるようになる。モダン楽器とは全く異なる発声方法を持つ古楽器にふさわしい演奏方法が模索される。
日本からも世界的な古楽演奏家が輩出される:有田正弘、鈴木雅明、寺神戸亮、鈴木秀美など。
バッハ・ルネサンスは演奏史が浅く、日本人演奏家たちは遅れてきた人たちではなく、パイオニアとして初期よりバッハ演奏発展に貢献。そのために日本人古楽演奏家のレヴェルはまさに世界最高水準!
新しいバッハ演奏では、19世紀20世紀前半に培われた欧州のクラシック音楽の伝統・悪習・権威主義・流派に基づかない演奏が可能なので、新しいバロック音楽の演奏は自由でいまもなお新しい
21世紀、巨匠たちの死による世代交代が現在進行中
大体このような流れをバッハ演奏史においては認めることができます。
1950年代を境にして、バッハ演奏が様変わりしてゆく様は、まさに天動説から地動説への転換のようなパラダイム・シフトなのでした!
過渡期の演奏家として(わたしの個人的な解釈では)バッハ音楽の新しい在り方を改革を推進したのは、モダン楽器のカナダのグレン・グールドとドイツのカール・リヒターです。
彼らはバッハをリズムとビートの音楽家として位置付けたのだと思います。
そういう風潮の中、バッハ時代の復元楽器が普及して、バッハ・ルネサンスが花開きます。
しかしながら、おかげでそれ以前の19世紀の偉大なロマン主義音楽の伝統を20世紀に伝えていた巨匠たちのバッハ演奏は、過去の遺物に成り果ててしまったと言っても過言ではないほどに貶められるようになりました。
古楽器演奏は「正義」という悪しき風潮さえも、バッハルネサンスの副産物として生じてしまったのでした。
ブラームスやヴァーグナーのスタイルで演奏されるバッハは時代遅れ!
今後、そのようなスタイルの演奏をプロの演奏家が奏でるようなことはもはやありえないと思われるので、ロマン派スタイルの巨匠たちの録音もクラシック音楽演奏史的には貴重な遺産です。
彼らの演奏は、今となっては旧時代のレトロな演奏なのですが、わたしはバッハの音楽の可能性として、19世紀の流儀に基いた、超ロマンティックな後期ロマン派的な解釈によるバッハ演奏も嫌いではありません。
例えば、空前絶後のベートーヴェン演奏家ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1886-1954) 指揮による管弦楽組曲第三番。
大編成オーケストラによる序曲やガヴォットはまさに一大交響曲。
フィナーレのジーグはテンポがあまりに遅くて、もはや舞曲ではないけれども、小編成のアンサンブルでは作り出すことは絶対に不可能な、とても壮麗なサウンド。
「G線上のアリア」は甘いカンタービレのロマン派音楽。
最弱音からの長い息のクレッシェンドがフルトヴェングラーらしさ。対位法が強調されつつ奏でられる、分厚い弦楽合奏のポルタメントが素敵です。
ブルックナー・ヴァーグナー演奏において誰よりも19世紀的伝統と正統的解釈を守り続けたハンス・クナッパーツブッシュ (1888-1965) 指揮するブランデンブルク協奏曲第三番。
驚くべきスロー・テンポ。
お風呂の中で歌う鼻歌のような愉快なバッハ。
バッハ特有の上がったり下がったりを繰り返す音型がなんとも気持ちいい。
ユーモアたっぷりの演奏といえるでしょうか。それとも超真面目に演奏していますか(笑)。
大指揮者兼作曲家だったグスタフ・マーラー (1860-1911) にお気に入りの指揮者として認められていた、ロマン主義演奏の権化ウィレム・メンゲルベルク (1871-1956) の「マタイ受難曲」。
バッハなのに、必ずフレーズの終わりでポルタメント(音のずり上げ)をして、蕩けてしまう甘い音。
あまりに主情的なテンポとフレーズの強弱変化はセンチメンタルの極み。
でもこのスタイルが好きならば、とても感動的な世紀の名演。
この大曲を、最初から最後まで徹底的にこのスタイルを貫き通して本気で演奏しています。メンデルスゾーンの歴史的蘇演の延長上の解釈の最高峰。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー弾き振りのバッハ
バッハルネサンス以降の現代風バッハ演奏 (つまり18世紀的バッハ) は、彼らの演奏よりもずっと
テンポが早くて
リズムがキビキビとしていて
歌うフレージングが短い。
こんなにも往年の巨匠たちと現代の古楽演奏家によるバッハは違うのでした。
そして、バッハルネサンス以前のバッハ演奏を何よりも言い表してくれるのは、やはり「ピアノのバッハ」。
録音は古いですが、すぐに耳は慣れます。
チェンバロとヴァイオリンとフルートの三つの楽器にソロとする、合奏協奏曲形式のブランデンブルク協奏曲第五番は、世界で最初のチェンバロ協奏曲です。
バッハには相当な数のチェンバロ協奏曲がありますが、ほとんどはヴァイオリン協奏曲などからの編曲で、当初からチェンバロで演奏されることを意図して作曲された協奏曲はこの曲を持って嚆矢とするとされています。
フルトヴェングラー弾き振りによる演奏は、もちろん超ロマンティック。
超スローテンポによる味わい深さを堪能出来るならば、あなたは本当にロマン派クラシック音楽を深く愛されている方ですね。
すべての音符に歌がある「歌うバッハ」スタイルの演奏。
古楽器至上主義な考えをお持ちだと、あなたにはまさに噴飯物の前世紀の遺物のような演奏。
YouTubeのコメント欄には、
という全面否定の声と、
などという正反対の賛美が溢れています。
YouTubeコメントは世界中のいろんな音楽理解を持つ人たちの生の声に触れることができて勉強になります。
プロの音楽家からアマチュア、クラシック初心者、ベテラン愛好家など、本当にいろんな人たちの声に出会えます。
さて、フルトヴェングラーの録音が良くないのは、1950年8月のザルツブルク夏の音楽祭のライヴ録音のため。
でもライヴで燃えるフルヴェンだけに、テンポやダイナミズムが激変するフルトヴェングラー節をこの演奏においても大いに認めることができます。
ロマン派音楽らしさ全開でテンポがあまりにも遅いので、第一楽章中間部の独奏フルートとヴァイオリンの二重奏は、長調の音楽なのに憂いさえも漂わせます。
極め付けは、9:10からの指揮者によるピアノソロ。
このカデンツァは、曲を贈られることになるブランデンブルク辺境伯の御前演奏会でバッハ自身が演奏するために書き上げた華麗なカデンツァ。
ケーテン宮廷に居心地が悪くなり始めた1719年(ケーテンの殿様の新妻が音楽嫌いだったため楽団が縮小されたのでした)バッハは次の就職先を探す目的でこの曲を携えてベルリンを訪問しました。
結果は就職活動失敗でしたが。バッハは生涯を通じて何度も就職活動を行いました。最晩年のフリードリヒ大王の会見さえも就職活動の一環でした。
曲は、自身の鍵盤楽器の腕前を大袈裟に披露する目的のために書かれたために、人生肯定にあふれた前向きに躍動する音楽。たいへんに技巧的。
白眉は第一楽章終わり近くのカデンツァ。
全曲のクライマックスは第一楽章の終結部に置かれているのです。これを超高速で弾くのがバロック流。
このカデンツァ、フルトヴェングラーの手にかかるとギリシア悲劇の英雄の歌のように奏でられます。
速い音楽のはずなのに、超スローテンポ。
曲が進むと、テンポはますます遅くなり、最弱音のピアノの音は、人生の儚さや生きている哀しみさえも想起させるのです。
弱音による長調の調べの寂しさが再びエコーします。
やがて後半部、ピアノの速度は加速してフォルティシモで、壮大なクライマックスを形作る。
フルトヴェングラーはベートーヴェンの交響曲などでもコーダ部分を前にすると加速しますよね。フルトヴェングラーらしいドラマなのです。
ピアノソロなのに、なんとも巨大な音楽。
フルトヴェングラー・マジック。
劇的さは比類なく、大編成のウィーンフィルはソロの後、一大シンフォニーのようにわざわざリタルダンドして第一楽章を劇的に締めくくります。
第二楽章アダージョのAffettuosoとは、英語で With affection という意味。
つまり、愛情を込めて、愛らしく。
タイトルから大変にロマン派的な表現なので、フルトヴェングラーは能う限り、ロマンティックに演奏。
バッハらしさは微塵にも感じられない、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の緩徐楽章のような演奏。
短調のメロディは、やはり一編の哀歌を思わせるほどに感動的に歌い上げられる、没我の世界のフルトヴェングラー節。
この楽章のピアノは通奏低音の伴奏役なのでおとなしい。主役はヴァイオリンとフルートのソロ。
でもフィナーレのアレグロでは、再びピアノがソロ楽器として前面に出てきて大活躍。
三部形式のジーグの軽快な音楽は、壮大な音響を得て精神の舞曲になる。
ロマンティック過ぎて拍子感がほとんどないので、全く踊れない舞曲。
バッハのブランデンブルク協奏曲って、こんなにも悲しげでドラマティックな音楽だったのかと我が見識を疑わせるほど。
久しぶりに聞いた新しいフルトヴェングラー録音でした。
わたしはフルトヴェングラーCD全集を持っているほどにフルトヴェングラーが大好きですが、弾き振りは初めて聴きました。
リストの孫弟子フルトヴェングラー
フルトヴェングラーは、高名な考古学者を父に持ち、当時最高の教育を与えられました。
したがってフルトヴェングラーが受けた音楽教育もまた、当時最高のもの。
ヴァイマルのフランツ・リスト (1811-1886) の弟子、19世紀終わりから20世紀初頭にベートーヴェン弾きとして知られたコンラッド・アンソルジェ (Conrad Ansorge 1862-1930) の薫陶を受けて、ベートーヴェン音楽のピアノ解釈の超王道の教育を授けられたのでした。
アンソルジェによる1927年のベートーヴェン嬰ハ短調ソナタ・第一楽章(月光)。こんな伝説の録音が復刻されているとは!
しかしながら、ピアニストになる腕前を十二分に持ち合わせていたにも関わらず、フルトヴェングラーは大学の哲学科を経て、あくまで作曲家として音楽家を志したのです。
そういう19世紀最高の教養と音楽的教養を備えた人物のバッハ演奏、つまり、19世紀風ロマン主義的バッハ演奏は、もはや失われてしまった時代の文化的遺産。
そのような古い時代の解釈に基づいたバッハ演奏を通じて知れるのは、フルトヴェングラーのロマン派音楽とは、ここにはないどこか遠くの世界を夢見ることで、音楽的躍動よりも、音楽を通じて人生の悲しさや苦しみを共感する音楽なのだなということ。
キリスト者として、人生を喜びあるものとしての現実世界を生きた18世紀人バッハの音楽精神とは真逆の思想に彩られているのが、産業革命によってロマンティックな世界が失われてゆく中、ここにはない、かつてあった世界を夢見ていた19世紀ロマン派音楽。
あまりにも感性が違いすぎるのですね。
ですので、バッハを聴いたにもかかわらず、ブルックナーやブラームスの交響曲を聴き終えた後のような気分です。
音楽演奏って不思議ですね。
見知っている音楽が演奏解釈の違いによって、こんなにも異なる印象を与えてくれるなんて。
フルトヴェングラーの使用した楽譜は、おそらくロマン派的にバッハのオリジナル楽譜を改変したものなのだろうけれども。
演奏家は楽譜に表情記号などを足して演奏するのが常識なので、同じ楽譜を使っても音楽が違ってしまいます。
さて、聴き比べです。
パラダイムシフトを体感されるために、次の最新のバッハ解釈に基づいた古楽器演奏と聴き比べてみてください。
とても面白い。
我が国が誇るべき日本人古楽器演奏家の佐藤俊介氏 (1984-) 率いる、オランダバッハ協会録音の、最も十八世紀らしい演奏でどうぞ。
古楽器最前線の先頭に立つ日本人演奏家。
ブランデンブルク協奏曲第五番は人気曲なので、たくさんの録音がありますが、フルトヴェングラーのロマンティックの極みによる弾き振りは、出色の出来であると言えるでしょう。
ザルツブルク音楽祭録音なので、正規のEMIやDeitsche Gramophone のフルトヴェングラー全集には含まれていない録音。
まだ聴かれたことがないというフルトヴェングラーファンの皆様、ぜひご一聴を。
ご感想、お待ちしています(笑)。
フルトヴェングラー以降のピアノのブランデンブルク協奏曲
ピアノ演奏によるモダン楽器のブランデンブルク協奏曲録音は、他にも
グレン・グールドのテレビ放送録音 (1960年)
カザルス・ゼルキン・マルボロ祝祭管弦楽団(1965年)
レナード・バーンスタインのテレビ放送録音 (1969年)
などがよく知られています。1960年代がバッハ演奏の一大革命時代だったのです。
これらの新しい時代の演奏は、ロマンティックではないピアノによるバッハ演奏。
フルトヴェングラーのような超ロマンティックな演奏は、もはや過去のものとなっていたのでした。
グレン・グールド
体を揺らして興に乗るグールドの演奏は、ロマンティックでもバロックでもない、グレングールド唯一無二のスタイルなので、バッハ演奏史における異端児というべき演奏。
パブロ・カザルス
カザルス率いるマルボロ祝祭管弦楽団は比較的小編成ですが、バーンスタインやグールドよりも大きな編成のモダン・オーケストラ。
やはりカザルスはフルトヴェングラーと同世代の古い音楽家です。
ルドルフ・ゼルキン (1903-1991) のピアノは、フルトヴェングラーのピアノよりもずっと音が鮮明で「ピアノのブランデンブルク協奏曲」を愉しむに最良の録音ですが、ロマンティックな味わいは、絶対にフルトヴェングラーのピアノには到底及びません。
だんだんロマンティックなバッハは過去のものとなっているのだなということがわかります。
レナード・バーンスタイン
1950年代から1970年代初めまでテレビ放送された「Young People's Concert」では、弾き振りが得意な司会者のバーンスタインが見事なピアノ・ソロを披露。
わたしはこのテレビシリーズが大好きです。教養番組としてこれ以上の音楽プログラムはありません。
1969年のこの録画はモダン楽器ですが、小編成でバッハ的なリズムの躍動が感じられて素敵です。
さすがにグールドと何度も共演した、グールドに共感していた(?)音楽家だけあって、バーンスタインのソロには、どこかグールド的な強弱のデコボコ感をはっきりと感じとれます。
影響されていたといえるでしょうか。
演奏スタイルはバロック的。
でも使用された楽器は、ピアノも含めて19世紀以降のロマンティックなモダン楽器という折衷スタイル。
過渡期時代のバッハの典型ですね。
マレイ・ペライア
より最近の録音では、ピアノでバッハを弾くことは時代錯誤であるという認識を完全に理解したうえで、あえてピアノでバッハを演奏する確信犯的な演奏家たちの演奏もあります。
代表は、アメリカの名バッハ演奏家・マレイ・ペライア (1947-) 録音。
古楽器スタイル(リズムを先鋭化・小編成の伴奏)をモダン楽器演奏にとりいえるという、もっとも最先端な演奏スタイルによる演奏。
フルトヴェングラー的なロマン主義は皆無なので、わたしにはあまり面白い演奏ではありません。
特におすすめもしませんが、フルトヴェングラー的な超ロマンティック演奏は、たとえ現代において現代楽器でバッハをピアノで演奏しようとも、決して現代には蘇らない例として挙げておきます。
ペライアは現代において、誰よりもカンタービレな「ピアノのバッハ」を奏でる偉大な演奏家です。
19世紀人フルトヴェングラーは、20世紀生まれのゼルキンやグールドやペライアとは全く別次元の演奏家だったのです。
名ソプラノ・シュヴァルツコップの伴奏者として
最後に侃々諤々の賛否両論の標的とされるロマンティック・バッハではなく、名ピアニストであるフルトヴェングラーの面目躍如たるピアノ録音をどうぞ。
マーラーの同級生で、ヴァーグナー和声をドイツリートの創作に取り入れて不滅の名声を得た、フーゴー・ヴォルフ (1860-1903) の歌曲を伴奏したものです。
後期ロマン派音楽はフルトヴェングラーの得意中の得意なので、フルトヴェングラーらしさが発揮されればされる程、バッハとは違って、フルトヴェングラーの演奏はますます輝きを増すのです。
この演奏もまた夏のザルツブルク音楽祭録音。
1953年の録音は、1950年のものよりもずっと優秀。
フルトヴェングラーのピアニストとしての力量を堪能できます。
後期ロマン派の雄であるヴォルフの音楽は、詩の意味を理解しないと分かりづらい音楽ですが、シュヴァルツコップの歌は完璧なドイツ語発音による、理想的なヴォルフ歌唱です。
第一曲めの「春に」は、まさにロマンティック世界そのもの。
遠い世界を夢見る音を表現するのは、半音階的なメロディと不安な和声。
フルトヴェングラーのピアノは、コードが変わるたびに、ペダルを絶妙に踏みかえて、音色の色彩変化を強調。
ヴォルフのピアノ伴奏パートの半音階的和声は、天才だけが書き得た、本当に美しい音楽です。
長いデクレッシェンドは超一流の伴奏者だけが可能な超高度な演奏技術。
フルトヴェングラーがどれほどに優れたピアノ演奏技術を持っていたのかを如実に伝えてくれるものです。
音楽の原始的なリズムの躍動よりも、複雑な和声の音響世界が醸し出すイメージを意識して、微妙に変化してゆく音の移ろいに最大限の関心が払われているといえるでしょうか。
同じことをバッハでしてしまうと、現在では誰もが疑問を抱くわけですが、フルトヴェングラーは信念をもって、バッハをロマンティックスタイルで演奏していたわけです。
フルトヴェングラーの奏でるベートーヴェンの超難曲のハンマークラヴィア・ソナタのアダージョを聴いて、ベートーヴェンの音楽を初めて理解できたと語った方の言葉を読んだ事があるのですが、フルトヴェングラーがソロ・ピアノ録音を遺してくれなかったことは返す返すも残念です。
信念の音楽
古い時代の「ピアノのバッハ」は、当時においては最も正しいバッハと信じて演奏家に演奏されていたピアノの音なので、正しくないバッハであるという認識を持たなかったロマン主義的演奏家たちの「ピアノのバッハ」は、彼らが最も美しいと信じたバッハであるがゆえに、真に美しい。
天動説から地動説への常識の転回は、人々が地動説が正しいと信じたから実現されたものではありませんでした。
天動説を信じていた古い世代の人々が寿命を終えていなくなって、地動説を正しい知識として教えられた人たちが世界の大部分を占めるようになったから実現したのでした。
天動説を信じていた人たちには天動説は正しかった。
それを信じて生きてきたのだから彼らにとっては絶対的な真実。
科学的に正しくないことだったとしても。
バッハ演奏のパラダイムシフトも同様の出来事でした。
ロマン派時代の流儀を完璧に身に着けたフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュやメンゲルベルクらは、彼らが最も美しいと信じたバッハを信念をもって演奏しました。
たとえ彼らの演奏するバッハは歴史考証的に正しくはないとアカデミズムに指摘されても、彼等には自分たちの音楽を変えることはできなかったことでしょう。
たとえ正しくなかろうとも、彼らの音楽には彼等だけが知る、音楽的な真実があった。
彼等の遺産を語り継いでゆきたいものですね。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。