なぜ須賀敦子さんを辿りたいのだろうか(2)
須賀さんの著作からふたつ取り上げ,考えてみたい。
『小さなファデット』と,『クレールという女』。下記に収録される。
須賀敦子著.『遠い朝の本たち』須賀敦子全集第4巻.河出書房新社.2000.7.
1.小さなファデット
ジョルジュサンド著『愛の妖精』に,須賀さんの幼年期が重ねられる。
自然の秘密がわかってしまう不思議なファデットに憧れる須賀さんは,六甲の山で土と花に馴染んで育つ。
原作は,バルボー家の視点で「ものの底まで見通す頭脳」にめぐまれている女性が,愛に目覚め,コオロギのような殻を脱ぎ,周りの家族や村と共に成長する物語。
私にとって不思議だったのは,須賀さんがスポットを当てなかった箇所があることだ。それらは,双子の主人公との愛ゆえの悩みと葛藤。その後ファデットが営んだ私設の学び舎。
弟ランドリーとは想いが叶うが,兄はファデットへの恋思慕から病に至る。
ファデットの献身的な看病が効きすぎ,兄は身を切られるような方法で距離を置く。
やっと私は気づく。そうした全体像を並べる必要はないのだ。
最も伝えたいことのみを選んで書くのだ。
そうすることで,須賀さんのファデットとランドリーがくっきり立ち上がる。
ジョルジュサンドは,フランスとポーランドの血筋を受けついだ。
「せめぎあうふたつの血筋を受けたことへの意識が,あのたしかな人間性への洞察力をあたえたのではなかったか。p.138」
日本とイタリア。須賀さんはふたつの国で生き,伴侶を得て,失った。
夫ペッピーノと翻訳した日本文学の作業において,サンドのように人間性への洞察力が鍛えられる時間が,須賀さんの中を濃く流れたのではないか。
そう考えるうちに,ふたつの国に魅かれ,暮らしたいとかつて願った私自身が,本書の世界に追体験をする。意識の中で,ひとは自由自在に想像の翼を広げられる。須賀さんを辿りたい理由のひとつが,ここにあった。
2.クレールという女
クロード・モルガン著.『人間のしるし』1943.にクレールという女が登場する。私の読後感は3点。
・愛はすれ違う。しかし,嫉妬や行き違いの時期をも含め,自らの歩いてきた道を照らし,糧にもなりうるかもしれない。
・クレールとジャックのように,パルチザンという同じ方向を向いた活動の絆もあれば,ジャンのように嫉妬に苦しみながら,いつしかクレールを「ひと」としてかけがえなく想う愛もある。
・「夫にかわいがってもらうだけの妻には,なりたくない。p.151」とある。須賀さんが友人と交わすことばに,「何のために生きようか。」と問い続けた人間としての姿がある。
私自身へ投げかけられたように刺さる。こうした問いを文学と自身の半生に照らして書かれるから,私は須賀さんを辿りたくなるのだと思う。
2023.9.21 須賀敦子作品を読む~旅する読書会・音読より
3. なぜ須賀敦子さんを辿りたいのだろうか(1)
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