ギフト:別れと出逢いがもたらす
二つの著作物を味わいながら、人生のギフトについて思う。
ひとつめは、Anne Morrow Lindbergh著 吉田健一訳:「海からの贈物」
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幼少時から海に馴染んで育った。
湿った磯の匂い。沖まで泳ぐと潮流が速く、流されそうになった。
従兄は大きなクラゲに足を刺され、腫れ上がった。
満点の星空とさざ波。満ち潮と引き潮。
潜るとゆらゆら揺れる藻、あいまを泳ぐ魚。
海が魅せてくれる景色が深く広くて、五感で感じ取ると、懐に抱かれているよう。
今も原点になっている。
こころが振り子のように落ち着かない時、別れと出会いで揺れる時。
海からの贈物につながる本著を読み返す。
65年以上前に著したのは、大西洋横断飛行に最初に成功したリンドバーグ大佐の夫人。
自分自身を相手に続けた、人生に関する対話となっている。
いろいろな貝と、人生のシーンが比喩され展開していく。
日の出貝の章:
W・H・オーデンの詩を引用し、「自分だけが愛される事を望むのは欠陥か?」と問う。
間違ってはいない。
けれど、観点を時間軸に移すと、いつまでも自分だけが愛されることを望んではならない、と。
私たちは、二つとないものが恒久的で、いつもそこにあることをつい望んでしまう。
しかし、「二つとないものなどはなくて、二つとない瞬間があるだけ」p.68より引用
段々それを受け入れるようになると、伸びていく生命の絶え間がない奇跡の一部だ、とわかる(そうだ)。
それらを日の出貝に例えるのは、美しく、壊れやすい、はかないものであるから。
或る時の、或る場所での現在の瞬間に属していることで、そこにしかないもの。
日の出貝には、美しくてはかないものに永遠の価値が、ある、と。
当たり前にそこにあると思っていた人との関係性を、上記のように表現してくれている。
その捉え方は私にとって、心の振り子が落ち着く、
こよなき人生からのギフト。
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ふたつめは。
佐藤俊一著:「別れー生を確かなものにする」 淑徳大学大学院研究科紀要 第26号、2019より
多くの人は別れを関係の終わりとして捉え、避けようとする。
しかし、必ず別れは訪れる。したがって、別れに対してどのような態度をとるかで、私たちの生が問われる。
(抄録より引用)
著者は日米の別れに対する自然的態度の違いを、別れと喪失という体験的概念をキーワーズとして明らかにしていく。
最初、ソーシャルワーカーのAさんとクライエントの母親との関係性を例に展開する。
Aさんと母親の関係は居心地悪いものだった。
しかし、ある過程を経て、互いの存在を大切にできるよう再び出会うことができて、今後もまた、新たな関係が生まれる可能性に開かれている。と。
出会いのイメージは、新しい人と得たりするものがあるが、
実は別れること=(自分が先入観を捨て、固定していた地点から相手の気持ちに応じること)
によって、同じ人と新たな出会いが生まれることもある、と述べる。
なるほど…。私的には、「情緒と感情」を、「思考と概念」の枠組みで整理し、辿っている感覚です。
私が腑に落ちた、理解できたのは、
次の(2)関係的存在を再確認する別れ の文脈。
「誠実に生きようとすれば、私たちは失敗や誤りを繰り返すことでお互いのことが見えるようになる。
言い換えれば、
別れや出会いを体験する中でしか相手のことを大切にする方法は見つからないし、永遠に正解は見つからない。
そうした中で、相手の個別性を尊重することができるようになる。」
p.10より引用
どのように別れるかが、互いの今をどのように生きているか、同時に将来の生きざまの決意を表している。
自身の体験に引き寄せて、視点をこころもち、新たにする機会となりました。
これからもゆっくり、マイペースで、活字中毒のまま。
人生のギフトみたいな、別れと出逢い。
ある人との瞬間的なつながりは、そのときだけの授かりもの、奇跡なんだな、と。
人との関係性もはもちろん、読み物&本とも、別れ、また出逢いたいと思ってしまいました。