ラッパー 田我流 あまりにも共感できすぎるリリック
音楽フェス参加など、活動的にライブをしているのでこの名前を見かけた人も多くいるのではないだろうか。なにより変わった字面。なんて読むのか分からない人のために言うと「でんがりゅう」と読む。
漢字の名前はハードコアな印象があるかもしれないが、楽曲は詩的で叙情的。でもうるせえ説教くさいことなんて一つも言わない。
もし気になったらぜひこの記事を読んでいただきたい。
1.田我流とは
1982年生まれのミュージシャン。主にラッパーとして活動している。
山梨県一宮町の出身であり、地元の仲間たちとstillichimiyaというグループでも活動している(最近はあまり活動してる様子はないが)。
余談だが、今でこそ映像制作ユニット「スタジオ石」の活躍は目覚ましいが、彼らはもともとstillichimiyaのメンバーであり、田我流が知名度を上げると共に台頭してきた。
2.何がすごいのか
結論から言うととんでもなくかっこいい。初めて聴いたときは本気なのかふざけているのか分からなかった。
と言うのも、Money Power Respectを誇示するような、自分をできるだけ大きく見せるタイプのラッパーではなく、とはいえ草の香りが漂うようなサグな印象もなく、身近な友人の話を聞いているような感覚だったからだ。
ある意味スチャダラパーに近いと言っても良いかもしれない。
しかし、彼はスチャダラが前面に出してこなかった自身の想いの熱量をこれでもかというくらいに言語として吐き出してきたのだ。
3.共感できすぎる距離感
夜の街、しかも犯罪じみたことが身近な生活に無い者たちにとって、そういったリリックはいささかファンタジーと感じてしまうものである。私自身がそうだ。
田我流のリリックの多くは自分が進んでいる道が合っているのか分からない不安、悩み、葛藤。人生を歩む多くの人が自分ごととして置き換えることができる心情である。
彼は大多数の人々が共感できる言葉を紡いでいる。
4.目の前に広がる情景
まるで自分ごとのような悩みや葛藤をリリックに落とし込んでいる田我流。
その言葉たちがただビートに落とされているわけではない。
彼は「その時、その場所」を言葉で表現するのがとても上手い。
目の前の情景が手に取るようにわかる。それだけではなく、その場所の音も聞こえる。情景と共に心情が描かれることで田我流の言葉はありふれた一般論ではなく、彼自身の言葉となってビートと共に空間に舞い出すのだ。
5.自分を信じること
悩み、不安、葛藤を抱えている田我流であるが、決してダウナーの一辺倒ではない。むしろ彼はそのネガティブな心情に打ち勝とうという姿勢である。
冒頭で書いた自身の想いの熱量とはこのことである。
自分が好きなこと、自分がかっこいいと思うこと、それをひたすらに信じ続けている。今はまだ爆発的に売れているわけではなく、誰もが知るような知名度もない。しかし売れ線に乗るような安易なことはせず、迎合しない。そして時には自分を見失ってしまいそうになる時もあるが、自分が信じるべきものは音楽であり、自分自身であるということをこれでもかというくらいに言葉として残している。ある意味こうやって言葉にすること自体が不安の反動なのかもしれないが、そこも含めて本当にどこまでも人間味があって、まるで自分を見ているかのように愛おしく共感できる。
6.さいごに
人間だれしも、人生についてあれこれ考えるときがある。あの時こうしていればという後悔、今の自分は間違っているのではないかという不安。
しかし田我流は世間の波に飲み込まれないようにしがみついている。そのしがみついているものが自分自身である。
しがみついている自分自身はもしかしたら細い藁かもしれない、でも自分がそれを大きな丸太だと思えば、それは丸太になる。外的環境に左右されることない自分自身のことだから。
とにかく好きなことやるならとことん突き詰めろって話。
それがHip Hopだって思う。
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