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#05 - Canon P
今回取り上げるCanon P は、1959年に発売されたライカL型スクリューマウントのレンジファインダーカメラです。
高級機の大衆路線カメラ?
Canon P の ”P” はPopulaireの ”P”。「高級機の大衆路線カメラ」
このややこしい立ち位置のいきさつは、この頃の状況から紐解く必要がありそうです。
キヤノンは1936年のハンザキヤノン以降、35mm 高級レンジファインダーを標榜。「ライカに追いつけ、追い越せ」と技術開発を続け、1949年のCanon IIB ではファインダー倍率を手動で変えられる3段変倍一眼式連動距離計という本家ライカにも勝る機構を搭載します。
しかし、1954年のライカM3登場により状況が一変。一度は追いつき追い越せたとさえ思えたはずなのに、ライカはM3で再びはるか先に行ってしまった。同時に、M3の完成度が高いがゆえこれ以上技術革新を追い求めてもレンジファインダーであるが故の限界が見えてきた。
そんなわけで、1954年のライカM3登場を機に国内メーカーの開発の主力は一眼レフカメラにシフトしていく。(1957年にアサヒペンタックス、1959年にNikon Fとキャノンフレックスが登場)
そんな中でキヤノンは、レンジファインダー機についてはさらなる高機能化/高性能化ではなく、これまで培った成果を低価格化して広く普及させる方向を選択。1959年発売の Canon P は、「3段変倍一眼式連動距離計」というコストのかかる機構から倍率固定のファインダーに変更しコスト削減をはたす。これが「大衆路線」のゆえん。
「キヤノンがぼくの手に」
等倍ファインダー
コストダウンの目的で搭載された「等倍」ファインダー。
製造コストのかかる3段変倍式のファインダー機構を止め、広角35mmレンズ用の全視野内に50mmレンズ用と100mmレンズ用の視野枠をルミフィールド式で示す等倍型のパララックス自動補正式として簡略化した。
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ファインダーの倍率1.0倍に固定されました。
通常(例えば一眼レフカメラで)、右目でファインダーを覗くときには左目は閉じておかないとおかしなことになります。
ところがファインダーの倍率が 1 であれば、ファインダー越しの見え方と左目の直接外界を見る見え方が同じになるので、左目で全体を見ながら右目で撮影範囲を決めることができます。
この感覚がここちよい。
機能を絞ったことにより、逆にこんなメリットにつながりました。
ちなみに「大衆路線」と言いながら「パララックス自動補正」という凝った機構がついているあたり、お茶目です。
インプレッション
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この端正な顔立ち、ステキです。ブライトフレームの採光窓や露出計用窓なんかがついていない分スッキリした印象です。人気があるのもわかります。
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おわりに
キヤノンの35mm 高級レンジファインダー路線は、1968年の「7S型の製造中止」を持って終わりを告げることになります。以降、高級機は一眼レフに、普及機としてコンパクトカメラに移り変わっていきます。