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セブンペイが炎上するのは3年前に決まってたし、原因は三国志だった

※粗い文章で公開してしまったので追記しました。追記箇所には※を入れています。(2019/8/4)


暇なのでセブンアイHDのIR資料を読んでいたら、面白いことに気付いてしまったので書きます。

結論から言うと、セブンペイの失敗の原因は2016年にあった!

というお話です。


セブンアイHDのIR資料って、ずっと英語で書かれていたのに、2016年からいきなり日本語になってるんです。内容も、経営計画とか今後の事業展開とか海外展開とか株主向けっぽい内容から、2016年以降は「地域貢献」やら、やたら国内に向けた作りになってる。

これは2016年に何かが起きた。

そう思って調べてみたら、どうやら2016年5月、「セブンの乱」と言われるお家問題が起きていたようです。

どういう出来事だったかというと、25年会長を務めていた鈴木敏文氏が退任し、当時セブン-イレブン・ジャパン社長だった井阪隆一氏がセブンアイHDの社長に就任したんですね。

これがなぜお家問題かといいますと、セブン&アイHDには、「2人の創業者」がいるのです。

まず、イトーヨーカドーを興し、総合スーパーを創り上げた伊藤雅俊氏。(2016年当時名誉会長)

もうひとりが、セブンイレブンをここまで成長させた、日本のコンビニの生みの親である鈴木敏文氏。(2016年当時会長)

そして、このお二方の子どももまた、対立とは言いませんが、全く異なるキャリアを歩んでいます。

まず、伊藤雅俊さんの次男、伊藤順朗(セブン&アイHD取締役常務執行役員)氏。
三井信託銀行に入行。退社後、米クレアモント大学経営大学院に留学、MBAを取得。90年にセブン-イレブン・ジャパンに入社。2002年に取締役、07年に常務執行役員マーケティング部長に就任。16年12月に取締役常務執行役員へ昇格して経営推進室長に就き、17年3月には事業子会社イトーヨーカ堂の取締役を兼務。

次に、鈴木敏文氏の次男、鈴木康弘氏(セブン&アイHDの取締役を退任、2016/12退社)。
武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部電気工学科卒。富士通のシステムエンジニアを経てソフトバンクに転職。1999年、ソフトバンクがセブン-イレブン・ジャパンと設立したネット通販会社イー・ショッピング・ブックスの社長に就任。同社が06年にセブン&アイHD傘下に入ると、システム基盤の整備などを担当。14年12月にCIO(最高情報責任者)に就き、15年5月には取締役に昇格。

伊藤氏の息子は経営畑、鈴木氏の息子はエンジニア畑。オムニチャネルとかシステム系は、鈴木敏文氏の号令のもと、全てこの鈴木氏次男が進めたプロジェクトだったとです。もちろん、二人ともセブン&アイHDの後継者候補であると考えられます。


つまり、セブン&アイHDには、伊藤派と鈴木派の二派閥があったわけです。

登場人物をまとめると、陣営はこんな感じであったと想像できます。(役職は2016年当時)


<伊藤一派>

・イトーヨーカドー創業者伊藤雅俊(名誉会長)

・伊藤雅俊氏の次男、伊藤順朗(セブン&アイHD取締役常務執行役員)→銀行出身のめっちゃ経営畑

・2016年に社長に就任した井阪隆一氏

・セブンペイの責任者、後藤克弘氏


<鈴木一派>

・セブンイレブンの祖、鈴木敏文氏(会長)

・鈴木敏文氏の次男、鈴木康弘氏(セブン&アイHDの取締役を退任、2016/12退社)→めっちゃエンジニア畑


ここから、セブンの乱、そしてセブンペイの悲劇へと繋がっていきます。


~~~~~以下、2015~2016年で起こったこと、想像(敬称略)~~~~~

鈴木敏文「次男の康弘を取締役にしてネット戦略を任せるわ、エンジニアやし」(2015年)

セブンアイ社内「えっ康弘を後継者にしようとしてるんじゃね」(ざわざわ)
伊藤一派「これは鈴木許すまじ」


鈴木敏文「(伊藤派の)セブン-イレブン社長の井阪を解任したいんだが」(16年4月)
しかし、取締役会で否決! 逆に敏文は退任へ。後任には井阪氏が就いた。

政変により、康弘の居場所がなくなった!

康弘氏、2016年末に退社。(17年3月、ITコンサルティング会社のデジタルシフトウェーブを設立。敏文氏が全額出資)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

内部での話は想像ですが、表に出ている

・鈴木敏文氏の退任

・鈴木康広氏の退社

・伊藤一派である井阪氏の昇格

を見ると、当たらずとも遠からずではないでしょうか。

要は、

「ネットをもっと強めろ!」という敏文会長のもと、息子の康弘氏が「オムニチャネル戦略」の責任者として動いていた。しかし大抜擢が仇となり、後継者に据えようとしているとの憶測が広がった。これに伊藤家側が激怒し、「セブンの乱」が起きた(鈴木派の追放と粛清)

ということです。


そして、康弘氏亡き跡、空いたシステム系ポスト。

そこへ就任したのが、今回のセブンペイの責任者として会見に登壇した、セブンイレブン副社長の後藤克弘氏だったのです。

セブンアイHDのホームページに役員の経歴が載っています。
セブンの乱で勝った井阪氏の経歴と後藤氏の経歴を照らし合わせましょう。


☆井阪隆一 

2016年4月 当社指名・報酬委員会委員(現任)
2016年5月 当社代表取締役社長(現任)


☆後藤克弘

2016年4月 当社指名・報酬委員会委員(現任)
2016年5月 当社代表取締役副社長(現任) 当社執行役員副社長(現任)
2017年6月 当社管理部門、オムニチャネル管掌


後藤氏は、2016年5月。セブンの乱の直後、井阪氏と同時に副社長に就任していますね。伊藤派と読めます。


こうして鈴木氏の基盤を引き継いだ後藤氏ですが、オムニチャネルもセブン銀行も、鈴木氏が作ったものです。


なにか新しいプロジェクトを起こさねば。それも、鈴木派の再興の目を潰すため、素晴らしい成果を出さねば。鈴木氏の残したセブン銀行以外の金融事業をはやく育てねば。

セブンの乱により、エンジニア畑の経営者を失ったセブンアイHDの中で。

※ここから追記

伊藤順朗氏は銀行出身の経営畑。金融事業は得意分野のはずです。しかし、鈴木氏のように、いちはやくPOSシステムを導入し、セブン銀行を日本中へ広めたような、ネット・システム系の知識と経験がなかった。井阪氏も、経歴を見る限りシステム系の経験はなかったでしょう。

後藤氏だけが、唯一システム企画部に在籍経験があります。(2011年4月システム企画部シニアオフィサー就任)

なぜ、ここまで穴だらけのサービスのリリースを許してしまったのか。

後藤氏、というか伊藤派からすると、鈴木派の失脚から3年以内に結果を出したかったんでしょう。IR見てると、2018年で金融カテゴリの売上がマイナス成長になってるし↓

※追記(2018/8/4)

FINANCIAL SERVICESカテゴリの売上推移(セブン&アイHD決算説明会資料より)

営業収益   営業利益  

1924億円   496億円  2016年

2070億円   515億円  2017年

2029億円   497億円  2018年


2019年中のリリースが急務だったのではないか。その結果、ぐだぐだのまま、セブンペイを走らせてしまった。


お家騒動と派閥争いの末生まれた哀れな子どもが、セブンペイだったのです。

南無阿弥陀仏。

※※※

セブン銀行を設立し、nanacoをリリースしたのは鈴木敏文氏です。(IR資料内の2005年「独自の電子マネー発行を決定」を参照)セブンペイのリリースに伴ってnanacoの還元率が減らされた=冷遇されたのは、鈴木氏の遺した功績を嫌がったからではないでしょうか。(これは記事公開時後、複数同様の指摘がありました)

あと、セブン系列のアプリっていろいろありますが(イトーヨーカドー、ロフト、セブン-イレブン、アカチャンホンポ等)、なぜかパスワードとメールアドレスをそれぞれのアプリで登録しなくちゃいけないんです。

2018年からは7iDとの連携を進めたり、セブンマイルプログラムを始めたりと相互連携の兆しが見えていましたが、逆に言うとそれまでは統括するシステム部門がなかったのではなかろうか。あるいは、統括できない、連携が取れない理由があったのか。2018年にリリースするためには、2,3年前から準備が始まっていたでしょう。ここまでいくと妄想なので書きませんが。

※※※


ということで、IRから読んでいくと、セブンペイの悲劇はこんなストーリーになるよ、というお話でした。


※これは、セブン&アイHDのIR資料、役員紹介ページ、2016/5の社長交代報道のみをソースにした「想像」です。内部情報は何も知らないので、外から見えるだけの情報を元に書いています。

なので、「IRからはこういうストーリーを考えることができるよ」、という公開情報の楽しみ方としてお読みください。


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