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知らないことを知ること。そのためにも学校と保護者が最高のパートナーであるべき。
支援級の子たちは、いろんな意味でいろんなことを「知らない」。
相手の表情や様子を見ることを「知らない」
年齢が一桁の就学前の子どもは自分の気持ちに素直で、相手のことを気遣うとか配慮するとかができない。それと同じようなことをする。その時々の自分の気持ちに素直に行動する。その際、相手の表情や状況までは見えていない。そのため、定型発達をしている同年代ではしないことを悪びれることもなく行う。例えば、女性に体重を訊く、年齢を訊く。かなりしんどうそうにしていても相手して!オーラを出して声をかける。
基本的な言葉を「知らない」
「横断歩道」「登る」「住所」を知らない。なぜ知らないのかはわからないが、おそらくそれを知らなくても生活に支障はなかったのだろう。例えば、願書に住所を書く欄があるが、その欄で手が止まる。悩んでいる様子。住所を覚えていないのかと思いきや、住所という言葉の意味を知らないことがわかった。まあ、知らなくても郵便物は届くし、漢字が苦手なら年賀状も書かないだろうし、困ることはないだろう。
自分の可能性を「知らない」
自分の興味のあることにしか手を出してなかったり、続かなかったりしていたのかもしれない。ちょっと無理矢理にでもやらせたら、意外と面白かったー!と言ってスケッチブックに絵を描くことを続けていたりする。これは大人でもありますよね。意外な自分を発見!みたいな。
保護者は子どもが「知らない」ことを「知らない」
保護者が、その時々に子どものことを思って一生懸命考えた結果が、今私の目の前の中学生としての姿である。これは私自身にも言えることだが、子どもの可能性を保護者だから見えないということは、往々にしてあるのかもしれない。他人だから可能性を見つけたり伸ばしたりできるのかも。
生徒の過去10数年をどう生きてきたのかわからない。でも、30名近く支援級の生徒を見てきたが、共通しているのは「経験不足」であり「未学習」「誤学習」である。
発達障害を抱えているからこそ配慮が必要だし、必要以上にストレスを与えるわけにもいかない。本人の興味があることだけをやらせてあげたらいいですよと言われてきたのかもしれない。成長過程を否定も批判もしているわけではまったくない。
ただ、もう少し集団に入れてあげられたら、もう少し親子の会話をしてあげたら、もう少しスキンシップをしてあげられたら(赤ちゃんの頃から触られるのを嫌がる子もいますが)、と思うことは多い。
中には、発達障害ではなくただの経験不足なのでは?と思う生徒もいる。
その一方で、保護者も大変だったんだろうなぁと思うが、その苦労を想像できない自分がいる。そこはもどかしい。
でも、足りないのであれば、中学校で埋めてあげれば良い。
机に向かって勉強に取り組むことも大切。でも同じくらい社会性や協調性を学ぶことも大切。言葉を知ったり、それを遣ってコミュニケーションを取る経験を積むのも大切。
保護者だからできること。学校だからできること。それぞれがそれぞれの立場で生徒の成長に関わることが大切。
保護者は最高のパートナーであるべき。
保護者と学校は二人三脚である。