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子どもが「学校に行きたくない」と言ったらどうしますか?
「◯◯(教室でも運動場でも)に行きたくない」
生徒(子ども)がそう訴えてきたら、みなさんならどうしますか?
1、みんながんばってるから行こうよ。(自分には関係ないし)
2、一緒に行ってあげるから。(一人で行けるし)
3、これが終わったら(給食とか帰れるとか)だよ。(いま嫌やねん!)
などなど・・・
概して教師は何かと頑張ら(参加さ)せようとする。それが仕事であり、そうすることが生徒のためになると思っていたり、それができたら自己肯定感が上がるからとか、いろんな考えがあるだろう。
逆に参加しないことを認めてしまうと、周囲から自分の評価が下がるのではないか、仕事をしていないと思われるのではないか、自分の実力のなさを痛感してしまうのではないか等々。
何より一番恐れているのは、参加しないことが続くのではないかというちょっとした怖さ。
これが意外と我々の頭の中には大きな存在を占めている。これは部活の練習も同様で、休みを増やすと弱くなってしまうのではないか、他校との差が大きく出てしまうのではないか等々、ちょっとした休憩というか「引く」ところを作ると、そこからダムが決壊するかのように今まで積み上げてきたものが崩れ去ってしまうのではないかという相当強い思い込みがいつの間にか出来上がっている。
しかもそのことに当の本人は気づかない。
たぶん世間一般の人から見たら、「何を小さいことを」と一笑に付されるのではないだろうか。でも教師は結構真剣。保護者の方でも一回休むと不登校になってしまわないだろうかと心配になると言われる方多数。
そんな偉そうに言っている私はどうなんだって?
やっぱり怖かったですよ笑
職員室がそんな環境だったり、先輩からそんな話をされたり、ある意味洗脳された感じがします。当時、それが正しかったのか間違っていたのか今となってはわかりません。その時々の考え方や時代もあるしね。
ただ、私自身は人から命令されることが小さい頃から嫌いだったことと、人と同じことをするのが嫌いだったことが幸い?して、いまでは「引く」ことを最重要事項と捉えています。
特別支援学級の担任をしていますが、いまでは支援学級を復活の場とか安全基地として捉え、交流学級で疲れた生徒たちの癒しの場になっています。そこで1時間ゆっくりしてリフレッシュして、またジャングルに単身冒険に行くかのような気持ちで交流学級へ向かう生徒のRPGでいう宿屋として存在しています。
部活も10年くらい前から、平日練習は3日間、土曜日は必ず練習試合を入れるが午前で終了、日曜日は毎週オフ。しかも月に一回は土日連休を入れる。夏休みは10日連続オフを2回実施。
問題の大会等の結果はというと、なんの影響もなかった。なんなら成績が上がることもあったくらい。あの、休んだら弱くなるかもと悩んでいた時間や労力は一体なんだったんだ?というくらい。
休み、オフ、休暇、休息、休憩。
日本ではどちらかというと悪に近いイメージがあります。
自分の身体と向き合って、話し合って、ただ「無理しすぎない」だけを考えた時に自分がどう思うのか、どう感じたかを素直に認めてあげればいいのでは?と最近思う。
無理はしないといけない。でも、無理しすぎにはご注意です。