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子育てを振り返って。父親になれたのかなあ。いまだに自覚がない自分に驚く苦笑
私の子育てについて少し。
私には子どもが3人いる。11歳(小5女)、8歳(小2女)、5歳(年長男)。当たり前だが、それぞれ性格が違う。似てるところってあるの?というくらい違う。
つまり、私が父親になって11年が経つ。前回のブログでも書いたが、職業が中学校教師で保健体育科。部活命な時期があったし、部活がしたいために教師になったと言っても過言ではない。動機は不純だと思いますが。
自分の専門のサッカー部の顧問になり、一段とのめり込んだ。もちろん授業も好きで、こんなことでお金もらってるっていいのかしら?と真剣に悩んだ時期もある。
でもやはり人生は順風満帆ではないですよね。いろんなしがらみに巻き込まれ、サッカー部の顧問はクビ。問題を起こして・・ではないです。人間関係かな。なんせ私は人の言うことを聞かないので苦笑。
仕事でも周囲との連携がうまくいかず、うつ病の手前くらいになったり。異動すればいいという問題でもなく、いよいよ真剣に転職を考え出した。家族のことは大切だけど、自分が壊れそうで怖かった。正直、家族どころではなかった。
そんなときに嫁さんから「大学院に行ってみれば?」と言われた。
以前から新しいことを学びたいと言っていた。現場を離れて、リフレッシュして、また仕事を続ければ?ということだった。職場の理解も得られ、合格もでき、2年間大学院生として学ぶことになった。
院に行くまでの育児の関わり方は、ほとんど何もしていない。寝かしつけはできないし、子どもと遊ぶわけでもないし、家事もあまりしていなかった。あんまり正確には覚えていない。
ただ、その頃の部活の指導は、土日のうち土曜日の午前中だけ。その午前に練習試合を入れる。練習は週3日で充分との結論に達した時期だったので、家庭を顧みず・・というほどではなかった。だからといって家事育児に積極的だったかというと、そうでもない。
転機は、大学院生時代。毎朝娘2人を保育園まで送り、迎えに行くこともあった。その頃は3人目がお腹にいたので、必然的に私が動いた。
通っているうちに顔見知りが増えた。先生はもちろん、ママ(当時パパはあんまりいなかった)、お迎えのじーじばーば、そして娘の同級生たち。もともと保育士になれば?と母親に勧められたこともあるくらい子どもは好きで、そのうち娘の同級生たちと鬼ごっこやサッカーをして遊んだりしていた。
そんな中、まず子育ての面白さを知った。
子どもの成長を目の当たりにすることがこんなにも嬉しいことなんだ!この前までできなかったことができるようになった、それだけで感動してる自分がいる!それは園の先生方と話をしていても気づく。先生方も丁寧に面倒を見てくれ、詳細にその日のことを教えてくれる。
それは毎日の楽しみになっていたし、自分が褒められている気がしてとても嬉しかったのを覚えている。
ちなみに、保育士さんの中ではお迎えに来るパパのポイントは高いらしい笑
かなり稼いだかな!?笑
一方、子育ての大変さ。特に母親の孤独感は想像を絶することを知った。育児ノイローゼという言葉があるくらい辛いことだということ。「〜であるべき」という固定観念も拍車をかけて、より一層母親の負担は大きくなっていた。育児している母親のサポート体制は急務だと感じた。
また、男性の育児休暇取得が進んでいるとはいえ、日本はまだまだ性別役割分業の国だ。男は外、女は中という固定観念から離れられないでいる。これは父親の考えではどうにもできない部分もあるだろう。職場の雰囲気や上司の目やいろんなバイアスがかかっている気がする。つまり休みにくい。
この部分は私も院生時代にかなり勉強したので、詳細はまた後日。
とにかく、母親のサポートが必要だということを痛感した。
今までの自分は何をしてきたんだろうという思いが頭一杯になった。嫁さんは何も言わないが、相当大変だったようだ。今ではその頃のことをポロッと言うときがある。「あの頃あなたはねえ・・・」と言い出したら早々に退散する。聞きたくない!ごめんなさい!
子どもが大きくなり、手が少しずつ離れてきた。こちらの関わり方も少しずつ変化させないといけない。それはゆっくり嫁さんと話し合いながら決めていこうと思う。