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人は役割を背負ってこの世に生まれくる…天命を知るってどういうこと?

2002年から月に一度、中国古典の勉強会に参加している。仕事に追われていた時期は休みがちだったし、コロナ渦を経て今はオンライン開催だけれど、東洋思想を学び始めて、かれこれ20年以上ということになる…。老荘思想からスタートし、言志四録、南洲翁遺訓などを経て、今は論語を読んでいる。

その勉強会はプライベートの小さな会合ながら、先生もメンバーも錚々たる顔ぶれ。私は幸運にも末席で学ぶ機会を頂いているのだけれど、参加するたびに大先輩に囲まれる自分がちっぽけだなあと痛感する。それでも、知恵ある先人たちの言葉から学ぶ楽しさは格別で、たくさんのご縁に恵まれる幸せを実感する場でもある。

脳メモリー容量の制約から(!)ちゃんと覚えていることは多くないけれど、人生の節目節目で出逢った「心の支えとなる言葉たち」は私の宝物だ。あれこれ苦しかった時には、佐藤一斎先生の「一燈」を何度も思い浮かべたりしたものだ。

一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。

佐藤一斎『言志四録』


で、昨日の勉強会で最初に読んだのは、孔子の言葉を説明する曾子の一節。

曾子曰君子思不出其位章
そうしいわく、くんしはおもうことそのくらいよりいでず。

論語:憲問第十四 28

曰く、「君子は『自らの本分』に集中して、他のことは考えないものだ」

つまり、自分の職責をしっかり果たせばよい、相応しいポジションにない時には余計なことをするなよ、ということなのかしらん?なんとなーく戸惑っていると、先生は「人間はそれぞれの役割を背負って生まれてくる。これが天の命ずるところ、つまり天命なのだ」と説明された。…うーん。

「40にして惑わず、50にして天命を知る」とはいうけれど、天が自分に与えた役割が何なのかなんて、そう簡単に悟れるものではない。なにしろ私ときたら、40歳の時は人生迷いの真っただ中、50歳過ぎて自分の道を探し始め、焦る気持ちをnoteに書き始めたくらいの "超遅咲きタイプ(まあ、良く言えば)" なのだ。

ぐるぐる考えてていると、先生が仰った。
「孔子が言いたかったのは、職位をわきまえろとかそういうことではない。大事なのは無理せず天性を活かして生きること。何かがうまくいかないのは努力不足じゃない。天性に合わないことはうまくいかないものだってことを理解すると、人生は愉快になる。」

なるほど。天職とは、天性天分を活かしきることができる役割ってことなのか。つまり、私がこれまで色々悩んできたこと、頑張ってももがいても突破できなかったあれこれは、自分に与えられた役割じゃないところでジタバタしていただけ、ってことなのか!!!

そんな風に考えてみれば、人生の方向転換や、進もうとしているコーチングへの道に希望がわいてくる。さらに言えば、ストレングスコーチングのアプローチは、東洋思想との親和性が高そうだ。英語でいうところの天職「Calling」を、Something Great つまり「天」が、自分の役割を示す声だと解釈してみると、とってもしっくり納得できる。
#Calling :もともとはキリスト教の神から与えられた使命の意らしい

さてさて。自分の新たな道筋が少しづつ明らかになってきた今日この頃。
天命を探し当てるまで、試行錯誤の旅は続くのだ~♪



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