AIに負けない感性と美意識(2)
落合陽一さんと山口周さんの対談で、印象に残った話や感じたこと、その2
コンピュータ学者のアラン・ケイは、東博で日本の印籠を見たときに「江戸時代のモバイルって、なんてクール!」と感動したそうだ。さらにそれをスティーブ・ジョブズに伝え共感を得た結果、あの初代iPhoneのデザインが生まれたらしい。そういわれてみれば私も大好きだった、ころりとした美しい背中のカーブ。そうかあれは印籠だったのか。
ちょっとショックなのは、「それにしても、どうして今日本メーカーは、あんなに醜いケータイを作っているのか」とコメントしたという話。
江戸の日本人が持っていた、世界から称賛されるほど高い美意識。それは今も私たちの中に息づいていると信じたいけれど、権威主義のくせに新しもの好きの日本人は、古いものをどんどん破壊している。建築物の平均寿命でいうと、欧州は100年、日本は40年だそうだ。時間によって蓄積された情報が街に転写されているパリと比べ、再開発が進みツルテカな日本の街並み。
古ぼけるほどに美しくなるものの価値を理解する文化を、私たちは失ってしまったのだろうか。
単純な味わいを良しとする「ケチャップ文化」ではなく、手をかけ時間をかけてこそ生まれる複雑な味わいを評価する日本文化。今それを徐々に取り戻そうとする動きが生まれているとお二人は言う。複雑なものを複雑なまま届けること、その複雑な価値を理解できるように自らを鍛えることが肝心だ。
対談で語られていたとおり、コンセプトに頼りすぎたアタマでっかちな時代から、もっと身体性を大切にして、五感を研ぎ澄まして美しさを感じ取る力を取り戻す時代に舵を切れるかどうか、ということだろうと思う。
これぞ、AIに負けない日本の美意識の勝負どころだ。
もうひとつ、日本はカースト制度に向いているという指摘に、はっとした。曰く、多くの日本人は自由の重みに耐えられず、枠組みが欲しい決めてほしい、その範囲内で忖度して生きているほうが楽でいいと考えがちだと。
残念ながら認めざるを得ないけれど、それは自分がありたい姿とは違うし、ありたい姿を実現するためには、しんどくても行動しなければと思う。
さて、どうする。 (3)対談ビデオ後編 に続く。。。