AIに負けない感性と美意識(3)
落合陽一さんと山口周さんの対談で、印象に残った話や感じたこと、その3
この対談から私が受けとった強烈なメッセージは、
「あなたの競争資源はあなたの感性しかないのだから、もっと自分自身の好き嫌いを大事にしたほうがいい。我儘こそ美徳。」
このニッポンで、とりわけ会社組織に属していると、個性全開で我儘に生きるのって勇気がいる。それでも、お互いの感性が響きあうジャズセッションのような対談をきいているうちに、そのことに向き合っていきたいなと思った。AIに負けない存在になるには、自分らしさを磨くしかないのだから。
後編の内容はというと、たくさん共感したのだけれども、うまく説明できそうにない。皮膚で音を聴くとか、映像の楽譜を作るとか、今までない概念が次々と言語化されていき、とにかく、ふたりともとても楽しそうだった。
音にしろ映像にしろ、情報量の多い複雑な組み合わせが生み出す美が気持ち良いと感じること自体の価値について、その感度が問われる時代だ。
西洋文化は情報量を下げることを目指してきたが、日本の侘び寂びは真逆で多様性を創発して複雑性を増幅していく世界。それを山口さんは、なんとフルートと尺八の比較で説明した。安定して正しく演奏できることを目指して進化したフルートと、弾き手によるエラーすら仕掛けることで、より複雑な波形を生み出す方向に進化した尺八。方向性が全く異なるというのだ。
大切なのは、その複雑な美を感じ取るリテラシーを本来日本人は持っているってこと。単純なパターン化によってダイバーシティを吸収するやり方でなく、複雑なものを複雑なまま味わうことの贅沢さを選択してきたってこと。
自分なりの考えを語るのは、ちょっと時間がかかりそうだけれど、ここで感じたことをきっかけに、いろいろ考えてみたいと思う。