普通じゃなくても
「それ、普通じゃないよね。」言われると、傷ついてしまう言葉だ。小さなころから、みんなと同じじゃないのはいけないことなのかなあ、と思いながら育つのが、日本社会では「普通」のことだ。
小学生の時に母の身長を超えたあとも、ぐんぐん背が伸び続けた健康優良児な私。すらっとしてていいわね~なんて近所のおばさまに言われても、どこにいても目立ってしまうのが、とても嫌だった。だから、注目を浴びないように、いつもできるだけ端っこにいた。今となっては、なんでそんなだったのと言いたくなるくらいに、ウジウジしてたなあ、と思う。
そこそこ優等生だったのに、なんだか自信がない。嫌いなものを嫌いと言えない、好きなことを好きだと言えない。そんな私に、典型的なB型のびのびキャラの母親が言い続けたのが、「自分の頭で考えなさい」だった。
何かが私の中で大きく変化したのは、大学生になってイタリア語を学び、バックパッカーのような旅をするようになってから。自分と違う文化を持つ人々と向き合うには、きちんとした自己主張ができることが絶対条件だ。誰かに合わせるのでなく、自分の考えを伝えられなければ始まらない。
自分の力で前に進むと腹をくくったとき、私にとって「普通かどうか」は大した問題ではなくなっていた。のびのび育った身長も自分らしいと思うようになった。不思議なものだ。
まあそれでも、日本社会に生きる日本的な私、空気を読まなかったせいで気まずいことになったりしちゃうし、なんとなく周りの意見が気にはなる。そんなこんなも、勝間さんは躊躇なくバッサリ。
曰く「『普通』なんて正規分布を前提とした平均の押し付け。モノゴトそんな平均で分布してるわけないんだから、普通普通普通普通ってうるさく言われても無視しましょう。『普通』は単なるカテゴリです。」
うーん、元気でる。 ありがとうです。
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