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『赫夜(かぐや)』の〈全冊著者直筆サイン入り〉は、もっと騒がれていい

澤田瞳子の『赫夜』は7月末に発売された。もとは雑誌『小説宝石』で連載されていた作品の単行本化だ。平安時代初期に起きた富士山の噴火にまつわる群像劇を、国司に任命された主に京から連れられてきた「鷹取」という男の目を通して描いた作品。

時代小説、あるいは歴史ジャンルの中で、人の心に棲む澱を吐き出しながらパニックを描く筆致は、澤田瞳子の作品ならでは。苦しいのだが心地よくて、癖になる。加えて本作には「なにがあっても生きていかねばならない、人の心のありようを描く」という強い意志がある。一人の男の視点で描いていても、常に読み手は第三者であり続ける文体と相まって、小説という形でこそ、実を結んでいる。

書評は別稿で書くとして・・・話はタイトルに戻る。

本作の内容もさることながら、単行本の「全冊サイン本」という試みも、もっと騒がれていいと思う。よくある販促キャンペーンとは一線を画している。売れるためではなく、作品のための仕掛けだ。

サイン会チケットが当たる、ではなく。売上数で次のキャンペーンが決まる、でもなく。会員限定・書店限定、でもなく。「全冊」である。もちろんAmazonでも。

むしろ本来の意味でのキャンペーンに近いかもしれない。巻末にある「全冊サイン本に寄せる筆者のことば」を読めばわかるように、作家として、また文化の担い手としての矜持がある。とはいえ、澤田自身が述べているように、当然ながら著者だけの力ではない。出版社・取次会社、装丁家をはじめ、この本に関わるすべての人の賛同がなければできない。

先ほど「作品のための仕掛け」と記したのはもう1つ理由があって、これらの行動は、本作の内容にも通底する部分もある。

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