「むちゃ食い症候群」という呼び名
前から気になっていた。
「むちゃ食い症候群」
過食性症候群という呼び方があったのに、医者の側は、どうしてこの名前を定着させようとしてるのか。大義名分はさておき、不愉快な意図しか感じられないのだが、それはただの誤解だろうか?
そもそもどんな症状を指すのか?……詳しくてわかりやすいページを見つけたので紹介します。端的に言えば、排出行為をともなわない過食症。拒食症の反動で起きることも多いけど、それだけではない。
※そもそも、どんな何なのか、もっと詳しく知りたい人は、クリニックによるこちらの説明をどうぞ。
ちなみに、上記のサイト階層で使われているのは/bed/でした。なんで?と思ったら、英語名の略語だそうです。
何はともあれ。
「過食性」よりも「むちゃ食い」と言われる方が、自らの意志で大食いをしているイメージが強くなる。「むちゃをする」と意味が似ているからか。
これだけで、その呼び名に悪意を感じると言ったら、被害妄想だと笑われるかもしれない。けれども‥‥‥多くの場合は社会の目にさらされることで、すでに厭世的になっているし、健診ではダメ人間と烙印を押され、さらにはいわゆる「摂食」界隈の人とも仲間になれない。(数年前にVOGUEのYouTubeチャンネルで流れた「ボディポジティブ」をたたえ合う動画のようにはいかない。一番苦しい時には、仲間に入れてもらえない)
そんな状態にある人が「自分は〇〇かもしれない」と自覚したり、どこかに相談したりするときに「むちゃ食い」というワードを使わなくてはならないのは、なんの因果があってのことか?
例えばこの記事とか。(NHKプラスに登録したら動画観れます!)※9/24まで
この記事は日経。(有料記事です)
この日経の記事を読みながら、ひとつ気づいたことがある。
それこそ気のせいかもしれないけど、「この過食性は男性にも多い」ということが言われ始めたころから「むちゃ食い」という言葉を見かけることが増えたように思う。ひょっとすると[強く見えるけど実は……]という「弱者男性」の視点で語りやすいのかもしれない。
ただし、なぜか女性に「むちゃ食い」と使う時には別の文脈がおまけについてくる。同じことを男性がするよりもなぜか「女の業」として語られやすい。古くはマリア・カラスやカレン・カーペンターというスターの存在。それらは遠いところにあるのではないからこそ、マンガであれば大島弓子『ダイエット』、安野モヨコ『脂肪という名の服を着て』、小説では松本侑子『巨食症の明けない夜明け』……等々。「むちゃ食い」という言葉に対する自分の反応も、それらの現実に対する過剰防衛なのかもしれない。
しかし、今後のことを考えれば、ジェンダーの差は接近してくるだろう。ルッキズムは批判の対象になりつつ、一方ではかつてないほどに、男女ともに率先して美しくなろうとしている。この状況で、男性が・女性がと言っている場合でもないのだ。みんなに関わることだから。
そこまで考えてもやはり、「むちゃ食い」とするのは、ナラティブの背景に無頓着すぎる。治そうという気持ちが萎えてしまうような名づけをする必要は……なかったように違いない。