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餃子をめぐる冗長な話(レシピ付き)
わたしは餃子という料理が好きだ。
主食にもなるしおつまみにもなる。総じて価格も安くてどこでも気軽に食べられるし、タレのバリエーションが自分で選べるのも魅力的なところである。
日本人くらい、餃子好きな民族は居ないのではないかと思うくらい、餃子が嫌いだと言う人に出会ったこともない(あくまで自分の限られた体験の中の話である)。
このコラムを書くにあたって、餃子の起源をサクッとネットで調べてみたら、その起源は3000年も前に遡り、中国の山東州で生まれたという説が有力なようだ(諸説はある)。
そして、餃子が好きになったの理由は何だっただろうと回想をしてみた。
まず、家での餃子が美味しかったからでは断じてない。
仕事に忙しく、そもそもあまり料理が好きではなかった母が作る餃子はスーパーで買ってきたパックに入っているものだった。
パック餃子のパッケージには焼き餃子のインストラクションしか書いてないので、我が家の食卓には焼き餃子しか登らないのであるが、98%以上の確率でうちの餃子は黒焦げに近かった。
ところが、ある日を境目に我が家の餃子は大変貌を遂げることになる。
母は、どこかで餃子を蒸し焼きにすれば、焦げずに美味しく仕上がるという情報を仕入れてきたらしい。
蒸し焼き用の水を「かなり多め」に入れて餃子を焼きだしたのだ。
当然、餃子がパリッと焼けるまえに、多すぎる水によって餃子はふやけてしまう。
結果、フニャッとしてベチャベチャした焼き餃子に姿を変えてしまったのだ。
それなりの調理技術と出来上がりのゴールイメージがないと、聞き齧ってきた情報はあまり役に立たないばかりか、よくない結果をもたらす事もある。
「なんで、こんなことになったんだろう。。少々焦げていた方がなんぼかマシだったのに。。」と小学生ながらに考えていた記憶がある。
そして、わたしの頭の中には、”餃子=あんまり美味しくないもの”と言う図式がうっすらと出来上がった。
※注:料理は上手ではないですが、とても働き者で明るい自慢の母です(笑)お母さんちょっとごめん。
その後、わたしは強烈な餃子体験をすることになる。
当時、祖父が経営している会社に中国から王さんという研修生が一時的に働きに来ていた。
瀬戸内の田舎町に外国人が来ることは珍しく、好奇心旺盛な小学生であったわたしは隙ががあれば王さんに絡み、片っ端から近所の餅まきや盆踊りというローカル行事に誘った。
今から思えば、当時の中国エリートだった王さんがよく付き合ってくれていたと、感謝している。
ちなみに、王さんは頭が薄かった。それを見て、「王さんは毛沢東さんに似ていますね」などと暴言を吐いて母に怒られたことも覚えている(すみませんでした)。
そんなある日、北京出身の王さんが北京式餃子と北京料理を作ってくれたのだ。
確か祖父母と我々家族4人、叔母一家と従兄弟、当時の会社の従業員さんあたりまでは集まったのではないかと思う。
中々の大人数での宴会だ。
その時の王さんの餃子が強烈に美味しかった。
まず、王さんはとにかく料理がうまかった。
野菜を丁寧に綺麗に切り揃え、バットに並べる。
餃子のタネを力強く練って、冷蔵庫に入れる。
餃子の皮ももちろん手作りだ。小麦粉を練って丸めて、棒で伸ばして餃子の皮にする。
包むのも早業で、どんどん美しく丸い餃子が仕上がっていく。
そして、湯がグラグラと湧き立った湯の中に餃子を入れて茹で上がったものからお玉で掬って、鉢の中に入れていく。
その一連の作業が流れるように美しくて、ずっと見ていたい程だった。
王さんは間違いなく几帳面な人であったのだろう、と今になって想像している。
大雑把なわたしからしてみたら少し羨ましい。
今のようにアイフォンが手元にあったら写真と動画をを撮りまくったに違いない!
昔から料理好きだったわたしは、王さんの餃子作りの手つきを真似て、餃子を作ってみたが全く上手くいかない。
まず皮が丸く伸ばせないし、餡も上手く包めずにはみ出したり、皮を破ってしまったり散々だった。
茹で上がった北京式水餃子は、ものすごく、ものすごく、ものすごーく美味しかった。
最初の話に戻るが、母のベチャっとした焼き餃子がスタンダードであった我が家にやってきた美味しい水餃子は、レボリューションであった。
餃子という料理に対するわたしの期待値は、「ベチャ餃子」のせいでものすごく低くて、あまり好きな一品では無かった。
しかしだ。王さんの餃子は口に入れた瞬間に、プリッとした皮から肉汁が溢れ出して何とも幸せな味が広がる。
茹でると一気に熱々の沢山の餃子が出来て、それもまた効率が良い。
野菜と肉が混じり合った何とも優しいが、誰でも好きな味で、自分で酢や醤油で味をカスタムできるのも楽しい。
箸休めには王さんが作ってくれた、青菜の炒め物やバナナの炒め物(これも新体験)が活躍した。
不思議なことに、いくら食べても食べ飽きないので本当にお腹がはち切れそうになるまで食べた。
その日の王さんは、中国では水餃子がスタンダードである事や、家庭料理の話をしながら延々と餃子を包んでくれていた。
中国の美味しい家庭料理が大好きになったのもこの時だ。
しばらくして王さんは中国に帰ってしまった。
「餃子が美味しかったし大好きになりました。また日本に来た時には餃子を作って欲しいです」などとしつこくお別れの手紙にも書いて渡した。
今思えば、子どもながらに恐ろしい程の執念だ。
この餃子体験に感動したわたしはどうにかしてこの水餃子がもう一度食べられないか、と長い間苦心した。
なんせ当時の日本のスーパーに売られている餃子は焼き餃子にする事を前提に作られているレトルト品ばかりで水餃子は作るしかなかった。
今ほど餃子に関する知識もなく、餃子の皮に無謀に挑戦して惨憺たる結果に終わるばかりだった。
時は流れ、ひょんなことから料理を教えるという仕事をすることになった。
再び、餃子という料理に向き合ってレシピを作り始めた。
今思うと、子ども頃の「餃子は焼くもの」と言う概念を変えてくれたのは間違いなく、王さんの水餃子だった。
餃子を茹でるのが、むしろ中国の人にとっては当たり前の事というのは、大人になってもう少し深く知ることになるのだが。
そう思うと、具材だって自由で良い気もしてきて、変わった餡の中身も考えるようになってきた。
少し前に柑橘が入った餃子が作れないだろうかと考えて誕生したのが、出身地瀬戸内の名産品であるレモンを使ったレモンの餃子だ。
これは完全にわたしのオリジナルレシピで、良いレシピだと思っている。
「料理は自由でわたしが常識だと思っていることが他人にとってはそうでは無い。」
餃子の思い出はそんな信念となって自分の中に生きている。
王さんは何をされているかな。
生きておられば80歳を超えていらっしゃるだろうし、餃子作りももう引退されているかもしれない。
できることなら、もう一度王さんの餃子が食べたい。
今、王さんの餃子を食べてあそこまでの感動があるか定かではないけれども。
ただ、良い思い出となっていること、本当に美味しかったことを一言伝えたいなとずっと思っている。
RECIPE 檸檬餃子
レモンの皮が爽やかな餃子です。
ぜひお試しあれ!
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材料
豚挽肉 150g
白菜の漬物 60g
→みじん切り塩 小1/2
砂糖 小1/2
檸檬の皮すりおろし 1個分
檸檬果汁 1個分
油 大3
餃子の皮 25枚
〇焼き用油 大2
湯 50mL
→小麦粉小1/2を溶かしておくごま油 小1
作り方
豚挽肉に、塩、砂糖、レモンの皮、油、レモン果汁を入れて粘り気が出るまでしっかりと練る(ジューシーな肉だねを作るための最大のポイント。白っぽくなるまでしっかりと混ぜましょう)。
1に白菜の漬物を加えて、さっと混ぜる(30分ほど冷蔵庫で休ませる)。
餃子の具を皮で包む。
フライパンに油を入れて、餃子を並べて中火にかける。
餃子に薄く色がついたら、湯を入れて蓋をし、蒸し焼きにする。
水分が飛んだらごま油を回し入れて、強火で皮をカリッと焼く。
Note
蒸し焼きに使うお湯は入れすぎないように注意!