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あの時の自分、書いてくれてありがとう!

この頃は過去に自分が書いてきたものを振り返ったりしています。そんなときに気付いたのですが、書いた当人であってもお気に入りとそうでないものってどうしてもあります。例えば自分が精神的に不安定で、誰かに気持ちをわかって欲しくて書いたものはあとになって「これはひどいな……」と思って削除してしまいます。その逆で「そうか、これがあのときの自分の精いっぱいだったんだ」と思い、非公開にしても心に留めておくことも。

人気が出たことでなんだか認められたような気持ちになり、嬉しくなって残しておく文章。一方で人気が出なくても単に自分がお気に入りだったり、記録になるということで残しておく文章。残しておくのにもいろんな理由があります。ちなみに自分がお気に入りの文章とは、つまるところ自分で何度読んでも面白いと思える文章のことです。どんなに認められなくても「本当にうまく書けてるし、やっぱり面白い!」となる文章が存在します。


それは何でしょうか。私はそれが混じりけのない自分の本質のようなものが多く含まれているものだと思っています。感情的になりすぎている文章は読みにくかったり引いてしまうことがあります。他人の目を過剰に気にしていて文章を飾りすぎ、本来の自分からは程遠いところへ行ってしまうこともあります。ネガティブすぎて読み返すこと自体辛くなってしまうことも。

まっさらな自分が表現された文章が結局一番わかりやすく、そして自分の心に響いてきます。世界中の誰よりも自分自身の好みをわかりきっている人が書いた文章なのだから当たり前です。筆がのっているときの自分というのは思った以上に饒舌にものを語っています。普段できないような表現も軽々とこなすのです。こんな言葉選び今の自分にはできない! というものに出会うこともしばしばです。そんな文章に再会したとき、私は心の中で声高に叫びます。

あのときの自分、これを書いておいてくれてありがとう!

その瞬間、自分のことを大好きになれる私がいるのです。そして過去の自分に対しての感謝の気持ちがふつふつと湧いてきます。心温まる展開の小説を残してあったとき、元気になるようなエッセイが見つかったとき、自分にとって本当に大切な思い出を描いた文章を見つけたとき。それがたとえ人気だったとしてもそうでなかったとしても、全く関係がなくなるのです。「私にとって大切」――きっと本当は最初からそれだけでよかったのでしょう。


公開していてもしていなくても、自分にとっての感動はずっと心の中に変わらずあることに気付かされました。それはまぎれもなくかつての自分が書いたことばが生み出した感情なのです。この文章を書いたことを誇りたいと思いました。誰のためでもない、自分の心を震わせるような文章というものを書いたんだって。

そうしてお気に入りだけが展示された場所が完成したとき、今までこつこつと自分だけで積み重ねてきた文章が、まるで勲章のようにキラキラと輝いているように見えました。そう、すっかり忘れていました。

ここは私が「私のために」と始めた場所だったのです。


読んで下さってありがとうございました。




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スピカ
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